第13話 侍女の優しさ

 厳しい表情のユーエンが箱の中から取り出したのは、血に汚れた猫。命が尽きているのは明白で、血の気が引いて行く。


 どうして。頭の中には疑問しか浮かばない。どうしてこんなことができるのか。人を不快にさせる為だけに、小さな命を奪うことも平気なのか。


『蜘蛛のご主人様に、珍しいご馳走をお届けします』

 箱の中に入っていたのは血に汚れた紙片と汚れた装束。


「……これ、どういう意味……なの?」

「申し訳ありません。私の落ち度です。蜘蛛がネズミを捕獲しているので、この月宮での駆除は不要と報告していたのが原因と思われます。……おそらく、ネズミ程度の死骸では蜘蛛がすぐに処理してしまうだろうと考えて、ネズミより大きな動物を選んだ……のだと思います」

 ユーエンの言葉も表情も厳しい。きっと自分を責めているのだろう。


「ユーエンのせいじゃないと思う。……ごめんなさい。私が蜘蛛を怖がってるふりをしていたらよかった……」

 怖がっていると嘘でも広めてもらえば、ここまでエスカレートすることは無かったかもしれない。涙が溢れて止まらない。


「……いいえ。カズハ様が蜘蛛を怖がっていたとしても、防げなかったでしょう。小さな悪意は徐々に煮詰まって過熱し、大きな悪意になっていくものです」

 ユーエンの慰めは優しい。繰り返し私のせいではないと言ってくれるけれど、それでも私のせいだ。


 ユーエンと一緒に小さな体を土に埋め、庭に咲いていた小さな花を供えながら、私は自己嫌悪に震えることしかできなかった。



 その日の夜から、私は熱を出した。

 二日が過ぎても、目を開くと必ずユーエンが微笑んでいる。額ににじむ汗を拭き、白湯やお粥を出してくれる。一体いつ眠っているのか気になって仕方ない。


「ユーエン、大丈夫だから眠って」

「ちゃんと眠っていますから大丈夫です」

「……じゃあ、隣で寝て」

 大人三人が余裕で眠れる寝台は、ユーエンと並んでも十分広い。


「と、と、と、隣で?」

 ユーエンが翡翠色の目を泳がせてうろたえる。

「嫌なら、居間で眠って。心配で眠れなくなりそうなの」

 散々駄々をこねると、隣で寝る前にお湯を浴びてくると言って浴室へと走って行った。


 ユーエンは素直で真面目で優しい人だと思う。いつも隣にいてくれて、私の寂しさを紛らせてくれる。顔も仕草も美しい。絶世の美女と呼ばれても不思議はないのに、背が高いというだけで侍女という地位に甘んじるしかないのは気の毒。


 私のことをいつも可愛いと褒めてくれるのは、私があるじだからだろう。一生懸命世話をしてくれるのも。


 主従を超えて、ユーエンと友達になりたい。元の世界にも、村にも友達を置いてきてしまった。これから後宮にいる限り、きっと友達は望めない。くだらないおしゃべりを何時間もして、一緒にお茶をして。深い付き合いでなくても、軽いもので構わないと思う。


 すぐに戻ってきたユーエンの姿は艶めかしい。いつもは降ろしている赤銅色の髪を軽く結い上げ、白い夜着が優雅なドレープを作って床に裾を引いている。首にはふわりと巻かれたガーゼのような布。


「首、どうしたの?」

「喉が弱いので温めています」

 いつも詰襟の服を深衣の中に着込んでいる理由がわかった。


「入って」

「……失礼します」

 掛け布団を持ち上げると、ユーエンが滑り込んできた。湯上りの体温が温かくて心地いい。


「あー、いい匂いー」

 渋みのある柑橘系の匂いがふわりと漂う。熱で浮かされた頭が少しだけすっきりしたような気がする。


 いい匂いが嬉しくて擦り寄るとユーエンの体がびくりと震える。

「あ、ごめんなさい。嫌だった?」

 少し距離を取ろうとした体を抱き寄せられた。ユーエンは何枚も夜着を重ねているのか、硬い布地の感触がする。寒がりなのかもしれない。


「嫌ではありません。どうかお眠り下さい。私も眠ります」

 髪を撫でるユーエンの声に安心して、私は目を閉じた。



 それから三日が過ぎた。

「カズハ様、外は晴れていますよ」

「……そう」

 熱は下がっているし体は動く。それなのに気分的にだるい。起き上がる気になれないから、このまま眠っていたい。どうせ一日待っているだけだ。


 リョウメイは、いつ来てくれるのだろう。私が熱を出していたと知っているのだろうか。


「仕方ありません。最後の手段を取らせていただきます」

 やけにきっぱりと宣言したユーエンは、私を軽々と抱き上げた。いわゆるお姫様だっこという体勢。

「ええっ!?」

 暴れたら落ちるかもしれない。固まったまま庭に連れ出された。


 庭に用意されていたのは小さなテーブルと椅子。テーブルの上には、湯気が立つ饅頭と揚げ菓子が山のように用意されている。


 椅子にそっと降ろされて、花茶の茶碗を手渡された。ちょうどいい温度のお茶が手のひらを温める。


「町に出て買ってきました。沢山買い過ぎたので、一緒に食べて頂けますか?」

 ユーエンが優しく微笑んでいる。沈んでいた私を心配してくれていることが良くわかる。

「ありがとう」

 茶色の饅頭の中身は、甘い甘い胡麻餡に白餡、つぶ餡。二人で分けながら食べると温かい。


 揚げ菓子は二種類。ねじり棒のような形と平たい形。

「よりよりに似てるかも」

 正式名称は忘れてしまった。中華街に行くと袋入りで売られている菓子によく似ている。歯が痛くなりそうな硬さもそっくり。


 平たい形の菓子はサクサクのふわふわ。黒砂糖でコーティングされた駄菓子のような味がする。貴族は砂糖を使う菓子を食べないけれど、帝都の平民は砂糖をたっぷり使った甘すぎるお菓子を食べるのが普通らしい。


「砂糖って高級食材じゃないの?」

「砂糖はさまざまな原料が豊富にあるので安価です。貴族が甘味として使うはちみつは、採取できる場所が非常に限られているので高価です」

 砂糖の原料はサトウキビではなく、地中に太い根を張る草や、木になる実、芋、多くの原料で作られるから量もたくさん採れる。


「甘いお菓子なんて久しぶりだから、すごく美味しい。ありがとう、ユーエン」

 二人で笑いながら食べるお菓子は、心も温めてくれるような気がした。

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