第11話 小さな手仕事
「カズハ様、体が冷えてしまいますよ」
ユーエンが肩に上着を掛けてくれて我に返った。
「あれ? ……私……」
さっき布団に入って目を閉じたのに、玄関の外に立っている。しかも裸足。
「えっと……」
数日前にも同じことがあった。夜中に気が付くと、玄関の外に立っていて、そばにユーエンがいた。
見上げた夜空には赤と緑の月が輝き、小さな白い月は欠けている。村では降り注ぐような星空が見えたのに、帝都の灯りが星の輝きを抑えている。
「この世界に来て夜空を見た時、怖いと思ったの。私がいた世界には、赤い月も緑の月も無かった。白い月が満ち欠けを繰り返して、大きく見えたり小さく見えたり。時にはピンクや赤に見えたりしたけど、月は一つだけだった」
本当に異世界に来てしまったと震えた時、肩を抱いて笑ってくれたのはリョウメイだった。『僕がいるから怖くないよ』と言ってくれたことを思い出す。
そっとユーエンの手が私の肩を包んだ。ユーエンの手も温かい。
「ごめんなさい。少しだけ」
背の高いユーエンに寄りかかると、そっと抱きしめられる。ふわりと渋みのある柑橘の香りに包まれると安心できる。女性なのにリョウメイの替わりにしてしまって、申し訳ないと思う。
リョウメイと結婚したのに、寂しい。婚姻式の時、リョウメイは私だけだと言ってくれた。その言葉と〝華蝶の簪〟を信じるしかない。
「カズハ様、部屋で温かいお茶でも飲みませんか?」
ユーエンの優しくて低い声が耳元でくすぐったい。
「ありがとう。そうね。すっかり冷えちゃった」
くすぐったさに笑うと一瞬だけ強く抱きしめられて、腕が離れた。
「寝ぼけて外に出たなんて、リョウメイに言ったら笑われちゃうかも」
「笑われたら、待たせる方が悪いと言ってみてはいかがですか?」
「そうね。そう言って黙らせるわ!」
冗談を言って笑いながら、私たちは玄関へと向かった。
それからも何の変化のない日々が続いていた。
「……籠でも編もうかしら……」
窓の外を眺めているのも飽きてきた。リョウメイからの贈物の中に絵巻物や本が入っていても、恋愛物ばかりでつまらない。
何となく、リョウメイが贈り物を選んでいないのではないかと思う。リョウメイは村長の息子としてかろうじて読み書きできる程度。本を贈り物として選ぶだろうか。
ユーエンは、皇帝は忙しいので私が退屈しないように本を贈れと指示をしただけではないかと優しい憶測を述べる。
村では本はとても貴重だった。百名程の村に、両手で数える程の本しかない。紙が貴重なので、竹を薄く切った竹簡が紙の替わりだった。
後宮には紙は豊富で溢れている。上質な懐紙、汚れた物を包むのも真っ白な紙。三年余りを紙がない村で暮らした私には、あまりの格差に驚きの連続だった。
「籠……ですか? 竹でしょうか。
「冗談よ。ちょっと言ってみただけ」
ユーエンにお願いすれば、材料をすぐに用意してしまうかもしれない。
「この世界に来て私が習得したのって、籠を編むことくらいなの」
元の世界でもっと勉強しておけばよかった。繰り返し繰り返し、後悔が止まらない。裁縫は下手だし、編み物もできない。高校二年だった私は、とりあえず大学に行ってから将来を考えればいいと呑気に考えていた。
「今からでも、何か覚えることできるかしら? 縫物とか」
「針仕事は私も苦手ですので、教師をお呼びしましょう」
ユーエンは優しく微笑んだ。
数日後、教師として老齢の女性がやってきた。王宮で代々の皇帝の衣装を仕立ている人で、最近は目が悪くなって引退を考えていたと笑う。
私が髪に挿した〝華蝶の簪〟を見て、女性は懐かしいと微笑む。先代の青月妃も先々代も儀式の時にしか着けていなかったので、見る機会は限られていたという。
教師は豪華な布の端切れを大量に持ち込んで来た。端切れと言っても服が作れない大きさというだけで、割と大きい。
「まずは直線を縫う練習をしましょう」
丁寧な指導を受け、練習に使うにしては贅沢すぎる布に戦慄しながら直線を針と糸で縫う。緊張のあまりに手元を覗き込み過ぎて、簪が落ちてきた。すぐ横の端切れが積まれた机の端に簪を置いて作業に戻る。
午後の時間をまるまる使って、手のひらサイズの小さな赤い色の袋を縫い上げた。苦手と言っていたユーエンは、初めてとは思えない可愛い二色使いの袋を完成させている。
「ユーエンって完全無欠よね。侍女にしとくのもったいないと思う」
出来上がった袋を交換して欲しいというので交換したものの、どうみても私の方が得をしている。
「あれ? 簪がない?」
外して机の上に置いていた簪が無くなっている。横に積まれていた端切れは、教師が袋に入れて持って帰った。
「まさか……船を呼んで追いかけます!」
教師は華舟に乗って出て行った。華舟は一度船着き場に入らなければ戻ってこないと、ユーエンは小舟を呼ぶための笛を吹く。
「申し訳ありません。注意が足りていませんでした」
「いいえ。外していた私が悪いの」
声が震える。まさか目の前で盗まれるなんて思わなかった。あんなに優しそうな人だったのに。自分の見る目のなさが情けない。
「船が来ました」
侍女が乗った小舟がゆっくりと進んでくる。じりじりと焦りながら待っていると、青い蝶がひらひらと飛んで来た。
「あ……蝶が……」
青い蝶は私の髪に舞い降りて、紫水晶の蝶の簪に変化した。髪から抜いて手に取ると、間違いなく盗まれた〝華蝶の簪〟。
「……本当に戻ってくるんだ……」
私とユーエンは、不思議な簪をいつまでも見つめていた。
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