第53話 全てを愛する
「先輩、すぐに私のことを選んでくれませんでしたね。素直になっていいんですよ。素直に。私ね。分かっていたんです。本当は。先輩、本当は安西先輩のことが好きなんですよね?でもなんて言えばいいのか分からない好き、なんですよね。きっと私にも同じ様に思っていると考えたんでしょうけど、私、あの時、先輩に抱かれた時に分かったんです。先輩の好きの心が私の中に入っていないんだって。身体を重ねるとそういうのが分かるんですね。詩乃ちゃんの気持ちがちょっと分かったような気がします」
「俺はそんな気持ちでしてない。あの時は七海のことだけを見ていた」
「あの時、ですか?」
「あ、いや。今も……」
安西の腕に力が入る。同時に七海ちゃんが身体を離した。
「先輩。私のこと。抱きしめて下さい。安西先輩。ちょっといいですか」
安西が俺から離れる。そして七海ちゃんが俺をぎゅっと抱きしめてきた。
「どうですか?ドキッとしましたか?胸の奥がムズムズしましたか?優しい気持ちになれましたか?」
そう言ってすぐに離れた。そして頷いた。
「道彦。私ね。道彦がいないとだめなの。この気持、全部道彦に受けて止めて欲しいの。だから……お願い……」
今度は後ろから安西が俺の身体に腕を回してきた。
「先輩。私から言えるのはこのくらいです。あとは先輩が決めて下さい。安西先輩。安西先輩はもういいですか?」
「だめ。もう道彦を離さない。七海ちゃんには渡したくない」
腕が離れない。引き離そうと思えば引き離せる。でも……でも……。心の侵食が止まらない。
「先輩。素直になって下さい。私のことは心配しなくても大丈夫ですから。自暴自棄になったりしませんから。そのまま振り向いてあげて下さい。安西先輩が待ってます」
七海ちゃんのは優しく微笑んでいる。今までの中で一番やさしい顔をしている。背中から小さな声で「お願い……」という声にならない声が聞こえる。
「七海ちゃん、俺は……」
「いいんですよ。先輩。私は先輩から沢山の思い出をもらいました。全部私のことを見てくれていなかったのは残念ですけどね。私の力じゃ安西先輩を先輩の心から追い出すことは出来なかったみたいですね」
「なんでそんなこと……」
「分かりますって。その顔を見れば。それに。私、結構鋭いんですよ?気がついていないと思っていたんですか?」
七海ちゃんはそう言ってぐるりと回って俺の背中の方に回った。俺はそれを追う。安西が俺の胸の中に収まった。
「似合ってます。とても良く。先輩。安西先輩を愛してあげて下さい。私はここまでです。先輩の気持ちの中には私、残るつもりですけど、先輩の彼女でいるのはここまでです。本当に大好きでした。でも、やっぱり私は私に嘘をつけないです。ほんっとすごい考えたんですよ?今日こうして会えばなにか分かるかもって思ったんです。そして分かったんです。ああ、私は安西先輩には勝てないんだなって。先輩の中から安西先輩を追い出すことは出来ないんだなって。私はとにかく早く私の所に来て欲しかったんです。安西先輩と白黒つけるとかそういうのよりも先に私の所に。でも先輩、心の中に安西先輩が居たんですよね。負けちゃいました」
「七海ちゃん……俺は……」
「だから!先輩は安西先輩を安心させてあげて下さい。先輩を必要としているのは私よりも安西先輩です」
「お願い……」
胸の中で安西が小さくなっている。これ以上放っておいたら潰れそうなくらいに。
「ふふ。よかった。今私に駆け寄られたらどうしようかと思ってたんです。でも安西先輩、それを許してくれなかったと思いますけどね。はぁーっ!スッキリしました。私、先輩から卒業しますね。安西先輩のこと、よろしくおねがいしますね。後輩の私が言うのはなんか変ですけど」
そう言って七海ちゃんは2年参りの雑踏の中に消えていった。結局、俺はそれを追うことは出来なかった。
「安西」
「あかね。あかねって呼んで?ね?あのね道彦。正直ね。道彦は私を選んだわけじゃないと思うの。七海ちゃんが私に譲ってくれただけだと思うの。でも私は道彦が私の方を見にくれるように頑張る。努力する。そしてもう自分に嘘は付かない。私は道彦が好き。ずっと前から大好き。だから一緒にいたい」
「あかね……俺……俺は……」
その日はそれ以上なにも言えなかった。あのあと2年参りに来た稲嶺と笹森に安西と抱き合っている姿を見られて、色々と言われた。まとめると、どうなっているんだ、だったんだけど。それに対して俺は曖昧な返事しかできなかったんだけど、安西ははっきりとこう言った。
「私ね。諦めきれなかったの。七海ちゃん、それを分かっていて。私にもチャンスをくれたの。道彦の気持ちはまだ定まっていないと思うけど、今、道彦の前にいるのは私。だから私はこの奇跡を信じる」
「まぁ、あなた達、三人がそれでいいならいいけども。桐生くんがぶれなければね。これでまた七海ちゃんに手を出すようなことしたら、さすがに私たちも怒るからね」
「それじゃ、私たちは行くね」
稲嶺と笹森はそれだけ言って雑踏に消えていってまた安西と二人きりになった。
「ねぇ道彦」
「なんだ?」
「本当にこれでいいの?今ならまだ間に合うかも知れないよ?」
「あかねはそれでもいいのか?」
「やだ。この手は絶対に離さない」
「言っていることとやっていることがあべこべだぞ」
「じゃあ、この手を離しても道彦はここからいなくならない?」
「まだ間に合うかも知れないんだろ?」
「間に合わないよ」
「どっちなんだよ」
「間に合うけど間に合わない。捕まえることは出来ても掴むことは出来ない」
「身体と心の話か?」
「そう。本当のことを言うとね。私、今日の午前中に七海ちゃんと会っていたの。でね。この前のこと、ちゃんと話したの。その上で道彦のことを信用できるなら、今日会ってあげてって言ったの」
俺は次の言葉を待った。安西は俺の方から祭りの明かりの方へ視線を移して話を続けた。
「だから、本当は夕方になっても七海ちゃんから道彦に連絡がなかったみたいだから期待してた。だから部屋に呼んだの。道彦が私との件をはっきりさせるために連絡してくるかなって思ったから。部屋に入ってくれなかったら諦めるつもりだった。でも道彦、入ってきてくれたから」
あの行動ですべてが決まっていたのか。
「あかね。あかねがここに来たのは七海ちゃんに呼ばれたのか?俺を追ってきたのか?」
「どっちだと思う?」
「追ってきた、かな」
「ハズレ。最初から七海ちゃんとここで待ち合わせしてたの。お互いに振られたときにはここで待ち合わせしようって。道彦、どっちも選べないって引きこもるとか思っていたし」
「ひどいな」
「だって意気地なしだし。だから私の家から走っていった時はどうしようかと思ったんだけど、七海ちゃんとの約束を果たすためにここに来たの。そしたら勝っちゃった。正確には七海ちゃんが譲ってくれたんだけどね」
「七海ちゃんをそんな気持ちにさせるような男だぞ。俺は」
「知ってる」
「俺は七海ちゃんと、その……」
「知ってる」
「俺は……」
「いいの。そんなの。私は今からの道彦を愛するの。好きになるの。だから今までなにがあったのかなんていいの」
「あかねは強いな」
「誰かを好きになるってこういう事よ。すべてを受けれるの。だから、道彦も自分を受け入れて、私も受け入れてくれるとうれしいな」
結局、俺はあかねの心の広さに甘えてしまうのか。これでいいのか。本当にいいのか。
「あ、今、これでいいのかって思ってたでしょ。いいの。これで。私がいいって言ってるんだから」
「そうか」
それから俺たちは付き合うでもなく一緒にいた。キスをするわけでもなく一緒にいた。冬休みが終わってからも。スイーツ研究会には七海ちゃん、もう来ないと思っていたのに、初日から顔を出してきた。
「先輩。なに魂が抜けたような顔してるんですか」
「七海は大丈夫なのか?」
「七海ちゃん、ですよ。なんなら伊藤さん、でもいいですよ」
「完全に振られちゃったな」
「当たり前じゃないですか。先輩、私になにをしたのか分かっているんですか?反省しているんですか?安西先輩がかわいそうですよ。あと!安西先輩、私から先輩を奪ったんですからちゃんと責任をとって下さい。なんで先輩、こんな顔にさせているんですか」
「ゆっくりのほうがいいかなって……」
「はぁ、こんな先輩なんですよ?少しくらい強引にやらないとフラフラするような人なんですよ?しっかりして下さいよ。もう」
これじゃどっちが先輩か分からないな。
「ねぇ、これは痴話喧嘩なの?あんた達、結局どういう関係になったの?」
稲嶺が面倒臭そうに頬杖をついて聞いてくる。まぁ、そう思うよな。俺自身もよく分かってないし。
「先輩、どういう関係なんですか?」
「道彦は私のもの。でも心はまだかな。これから掴んでみせる。だから、私と道彦は友達以上、恋人未満、かな。七海ちゃんはそれを見張っているみたいな」
「私は安西先輩じゃなくて桐生先輩に聞いたんだけどなー」
「勘弁してくれ。今の俺は七海ちゃんもあかねも両方ともに傷つけたどうしようもない男だよ」
「はぁー。先輩、それ、私たちへの侮辱ですよ。私、そんな先輩を好きになった記憶はありません。だからいつもの先輩でいて下さい。ちゃんと見届けますから」
俺とあかねはこの目の前にあるケーキと同じくらいに甘い関係になれるのだろうか。それは俺の気持ち次第か。
「先輩、食べさせたあげましょうか?」
「あ!だめ!」
「冗談ですよ、あかね先輩」
目の前ではいつもと変わらない日常が戻っている。あの日のままで止まっているのは俺だけだ。進もう。前に。それが二人に対しての誠意だ。
「道彦。好きだよ」
「あー!なんなんですか!私に対しての当てつけですか!」
「あーもう、他でやってくれない?さすがに鬱陶しいわ」
高校生活はまだ1年ある。この先俺たちはどうなるんだろう。分からないけど、この気持ちには答えるべきだと思った。俺はそう生きる。このとても甘いケーキに誓って。
Sweet Sweet Sweets PeDaLu @PeDaLu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます