ガゼルと金色の獣

 あるところに、ガゼルの母親と男の子がいた。

 ガゼルの男の子は明るく元気のいい子供で、どんな生き物とも仲良く慣れるのが自慢だった。

 彼にかかれば、同種の動物にとどまらず、虫や鳥や年老いたワニさえ心を許し友だちになってしまうのだった。

 母親は、そんな子供の性格を愛しく思う一方で、友だちになるためには多少の冒険ややんちゃをしてしまう息子をハラハラしながら見守っていた。


 ある日、ガゼルの男の子は、川のそばに大きな洞穴を見つけた。乾季が来たことで、川の水位が大きく下がったのだ。

 先の全く見えない暗い穴を見て、ガゼルの男の子の胸は大きく高鳴った。

「あの洞穴を探検していい?」

 男の子はお母さんに聞いた。

「だめよ、危ないもの」

 お母さんはそう答えた。

 男の子は取り付く島もないお母さんの言葉に心底がっかりした。

「あの洞穴、どうなってると思う?」

 次の日、男の子は仲良しの年老いたワニに尋ねた。

「さあ、ワシには分からんなあ」

 ワニは興味もない、といった様子で答えた。

「でも、ワニのおじさんなら簡単にあそこまで行けるでしょう?」

 ワニは首を振った。

「ワシはもう年だからな、あまり動きたくないんだよ」

 でも、と続けようとするガゼルの男の子に、ワニは優しく言った。

「そろそろ、若いワニたちがこちらまで餌を探しに来る時間だ。そろそろ帰りなさい」

 ガゼルの男の子は仕方なく母親の元へ帰った。


 それから何日経とうとも、ガゼルの男の子は川岸の洞穴を忘れることはなかった。起きている時間はご飯のときでも洞穴のことを考え、毎晩洞穴の夢を見た。

 母親ガゼルはそんな子供の様子を見て心配していた。だがある日、仲間のガゼルに誘われ、男の子を他の大人ガゼルに任せて、少し遠くの水飲み場に行くことになった。

「あの洞穴に行ってはいけませんよ」

 母親ガゼルは言った。

「大丈夫、わかってるよ」

 ガゼルの男の子はそう答えたが、母親ガゼルが他のガゼルと出かけると、残った大人ガゼルたちの隙を見て、洞穴の入口まで行ってしまった。

 お昼もまだだというのに、入り口からしてすでに暗い洞穴を、ガゼルの男の子はじっと見つめた。

 そして、一歩、二歩と踏み出した。

 岩でできた洞穴は、しっとり、ひんやりとした空気で満たされていた。床は所々濡れていて、歩くとぴちゃぴちゃと音がした。

 自分の足音以外に聞こえるものはなく、止まると心臓の音が漏れて聞こえそうなほどだ。

 洞穴の暗さに目が慣れ、少しずつ進んでいくと、少し深い水たまりを見つけた。どうやらここだけ天井が低く、水滴が落ちやすくなっているようだった。

 冷たい水滴が頭に落ちて、ガゼルの男の子は「きゃっ」と悲鳴を上げた。

 すると、洞穴の奥から唸り声とともに声がした。

「誰かいるのか?」

 男の子はますますビックリして、もっと大きな悲鳴を上げた。

「ああ、悪い。驚かすつもりはなかったんだ」

 誰かが言った。男の子よりすこし低い声で、でもしわがれてはいない。どうやら若い動物らしかった。

「僕、ガゼル。あなたは誰?」

 ガゼルの男の子はたずねた。

「ガゼルの坊やか。どうしてここへ来たんだい?」

「探検に来たんだ。あなたは?」

「僕は少し怪我をしてね、ここで休んでいるんだ」

「怪我?僕、傷が良くなる葉っぱを知ってるよ。洞穴の近くに生えてるはずだから、持ってきてあげる!」

 ガゼルの男の子は入口近くに生えていた薬の葉をとると、水たまりの手前においた。

「薬の葉はここにおいておくからね。また明日も来るよ!」

 それから2日、3日と、ガゼルの男の子は大人のガゼルの目を盗んでは、洞穴に薬を届けた。

 お兄さんはガゼルの男の子にありがとう、とは言うものの、けだるげであまり元気になっていないようだった。

 心配になったガゼルの男の子は、お兄さんに聞いた。

「僕の持ってきた薬、効いてない?まだ怪我は痛い?」

 おじさんは答えた。

「おかげさまで怪我は大丈夫だよ。ただ、少しお腹が空いてね」

「ごはんだね。分かった!」

 そう言うとガゼルの男の子は、このあたりで一番おいしそうな葉の若芽を摘んで、お兄さんに届けてあげた。 

 お兄さんは「ありがとう」と言ったものの、大きなため息をついた。

「お兄さん、どうしたの?」

 ガゼルの男の子は聞いた。

「元気がなくて、きみが持ってきてくれたごはんを取りに行けそうにないんだ」

 ガゼルの男の子は、「それなら大丈夫!」と、葉っぱをくわえてぴょんと水たまりを飛び越え、お兄さんの声のする方に進んでいった。

「来てくれたんだね、ありがとう」

 大きな体をしたお兄さんの前に、ガゼルの男の子は葉っぱをおいた。

「これを食べたら、すぐに元気になるよ」

 お兄さんはありがとう、というものの葉っぱにはあまり興味がないようだった。

「お兄さん、大丈夫?」

 ガゼルの男の子は、お兄さんの顔を覗こうとした。たが、暗くてよくわからない。お兄さんは、つらそうに横たわっている。

「他にいるものはある?」

 ガゼルの男の子が聞くと、お兄さんの体がぴくりと動いた。

「そうだなあ、少しだけでももらえると、元気になるものはあるなあ」

「それは何?僕に持ってこれる物?」

 再び入り口に向かおうとガゼルの男の子が後ろを向いた瞬間、背中に痛みが走った。逃げようにも、背中にお兄さんの爪が深く食い込んで、全く身動きが取れない。

「怪我を直してくれたから、ちょっとだけにしておくよ」

 お兄さんはそう言うと、ガゼルのしっぽの先をガブリと噛み、食べてしまった。ガゼルの男の子は、お兄さんが爪を離して尻尾を食べている間に、どうにか逃げ出し、仲間の群れのもとへ帰った。


 その日はちょうど群れにガゼルのお母さんが帰ってくる日だった。ガゼルのお母さんは、ちぎれた尻尾の痛みで泣いている男の子を見つけると、とても驚いた。

「その尻尾はどうしたの?血が出ているじゃない」

「洞穴にいたお兄さんに食べられてしまったんだ」

 ガゼルの男の子は泣きながら答えた。お母さんは、慌てて薬の葉をとってくると、男の子のしっぽに貼り付けた。

 ガゼルのお母さんは、男の子の背中についていた金色の毛を見ると、とても驚いた。

「まあ!これはライオンの毛よ。あなた、ライオンに食べられそうになっていたのね!」

「ライオンって何?」

 男の子がキョトンとしているのを見て、ガゼルのお母さんはライオンの怖さを話して聞かせた。

「ライオンは怖いのよ?いつだって私達を狙っているし、食べようとする生き物なの」

「ワニも怖い生き物なんでしょ?でもワニのおじさんは仲良くしてくれるよ?ライオンのお兄さんだって一緒だよ。頑張れば仲よくなれるんじゃないかな」

 男の子がライオンを怖がっていないのを見て、お母さんはとんでもない!と声を上げた。

「あのワニはおじいさんでご飯をあまり食べないから、たまたまあなたと仲良くしてくれているだけよ。ライオンにいたっては、私達のことを食べ物としてしか見ていないの!」

 でも、と言い続ける男の子にお母さんガゼルは言った。

「確かにこのまま毎日会っていればライオンとでも仲良くなれるかもしれないわね」

「うん、僕もそう思うんだ!」

 ガゼルの男の子は目を輝かせ、嬉しそうに同意する。

「でもその場合、あなたはこれからライオンに尻尾以上のものをあげないといけないかもしれないわ。最初はあなたの尻尾一本からかもしれないけど、それが前足、後ろ足となって、最後には完全に食べられてしまうでしょうね」

 ガゼルのお母さんは悲しそうに言った。

「お母さんも、あなたが色んな動物と仲よくできることは素晴らしいことだと思ってる。でも、あなたを傷つけることに躊躇しない動物とまで仲良くしてほしくないの。あなたがこれから毎日傷ついた体で帰ってきて、最後には死んでしまうのかと思うと、つらいわ」

 そう言って泣くお母さんガゼルを見て、男の子ガゼルは何も言えなくなってしまった。

 次の日から、男の子ガゼルは洞穴に行くのをやめた。お母さんが男の子の尻尾のちぎれたあとを見て静かにぽろぽろと涙を流すのが、辛かったのだ。

 行かなくなった最初の数日はライオンを見捨てたようで男の子も辛かったが、何度か雨季と乾季を繰り返すうち、気にもとめなくなり、ガゼルの男の子は群れの中で立派に成長した。

 ただ時折、少し湿った風のある晩に、大人になったガゼルの子はあの日のライオンのことを苦い思い出として夢に見る。


 あの美しい金色の毛を持つ獣は、今でも洞穴の中で素直で愚かな子供がやってくるのを静かに待っているのだろうか。



 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

童話部屋 まよりば @mayoliver

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ