hall-hole-fall

春日千夜

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 贅を尽くした宮殿の、煌びやかなダンスホール。着飾った紳士淑女が手を取り合い、軌跡を描く。王室主催のパーティーは、王子の結婚相手を選ぶとあって、大勢の貴族で賑わっていた。


 娘たちは、妃になろうと血眼だ。一挙手一投足、指の先からつま先に至るまで、わずかなミスも許されない。

 いかに美しく踊れるか。ダンス好きの王子は、条件の第一にそれを掲げていた。


 集まった全ての貴族がダンスに夢中になる中。ただ一人、壁の花となり動かぬ娘がいた。

 男爵家の三女である彼女のドレスは、時代遅れの地味なものだ。身を縮め俯く娘に、誰も見向きもしなかった。


 ダンスホールに王子が姿を現わす。娘たちが色めき立ち、踊りながら色気を振りまく。


 王子は会場を一瞥すると、侍従の耳に口を寄せた。侍従は頷き、オーケストラに指示を出す。奏でられる優雅な曲は、一転してテンポの速いものへ変わった。


 娘たちは、曲に付いて行こうと必死に足を運ぶが、次々に足をもつれさせ、転んでいく。惨状を前に、我こそはと加わる者もいたが、皆、敢え無く散っていった。


 誰も踊らなくなった会場を、つまらなそうに見回した王子は、壁に立つ地味な花に目を止めた。転んだ娘たちが気まずそうにドレスの裾を直す中、王子は花に歩み寄った。


「なぜそなたは踊らない」


 王子の言葉に娘は顔を上げ、首を傾げた。


「なぜ踊らねばならぬのですか」


 娘の答えに、王子は戸惑った。


「ここは私の妃選びの場だ。そなたも触れを見て来たのではないのか」

「わたくしは、父から言われて来ただけにございます。わたくしには、想いを寄せる方がいますので」


 思いがけない言葉に、王子は笑った。


「面白い。私より、魅力的な男がいるというのか」

「はい。申し訳ございません」

「よい」


 王子は、娘に手を差し出した。


「そなたの気持ちは分かった。しかし私も、妃を選ばねばならん。そなたの踊りを見たい。一曲踊ってはくれまいか」

「かしこまりました」


 地味な花と美しい王子。釣り合わぬ姿に、娘たちは悔しさを滲ませながらも、すぐ転ぶだろうと薄ら笑った。


 演奏が始まり、興味や羨望、嫉妬の輪の中で、二人は踊り出す。緩やかに始まった曲は、徐々にテンポを上げていくが、娘の足がもつれる事はなかった。



 ●○●



 王子の華麗なステップに、娘は遅れる事なく付いていく。曲は激しさを増していき、バイオリンの弦が切れ、ピアニストの指がつった。踊り終えた王子は、微笑みを浮かべた。


「素晴らしい。そなたこそ、私の妃となるべき人だ」


 娘は、小さく首を振った。


「申し訳ありません。わたくしには、想いを寄せる方がおります。お受け出来ません」

「関係ない。私がそなたを欲しいと言っているのだ」

「ですが……」


 俯く娘に、周囲から批難の声が上がった。


「殿下に見初められたというのに、断るなど」

「殿下、そのような者を妃としてはなりません」


 無数の敵意が、娘を貫く。怯えたように小さく震える娘の肩を、王子は抱いた。


「皆の者、よく聞け。私はこの者を娶ると決めた。私の妃に、そのような無礼を申すのか」


 王子の一言で、会場は一気に静まる。王子は笑みを浮かべ、言葉を継いだ。


「しかし、そなたらがそこまで言うのなら、私も考え直そう。二週間後、もう一度宴を催す。その場で、より妃に相応しい者が現れなければ、私はこの者を妻とする。良いな」


 有無を言わせぬ王子の言葉に、反発する者はいなかった。王子は、娘の耳元で囁いた。


「私にも機会をくれまいか。そなたに無理強いをしたくはないのだ」

「殿下……」

「これから二週間で、そなたの心が私に向くよう、努力しよう。もしそれでも嫌ならば、二週間後のパーティーでは、途中で転べばいい」


 優しい目で話す王子に、娘は戸惑いながらも頷いた。


「かしこまりました。その話、お受けいたします」

「感謝する」


 ダンスパーティーの翌日から、王子は娘の元へ足繁く通った。娘の事を知れば知るほど、王子は娘に心を奪われた。



 ●○●



 二度目のダンスパーティーの前日。王子は娘に問いかけた。


「そなたの想い人というのは、どこにいるのだ。この二週間、全く姿を見せぬではないか」


 王子の言葉に、娘は切なげに目を伏せた。


「わたくしが想いを寄せる方は、既に亡くなっております」

「それは誠か」

「はい。その方は騎士でした。二年前、賊の討伐に出かけ、名誉の死を遂げました」

「そうか」

「わたくしは、忘れられないのです。結婚の約束をした、あの方のことを」


 儚げに言う娘に、王子の胸は痛んだ。


「そなたの心に、その者がいようとも構わない。そなたの寂しさを、私に埋めさせてはもらえないだろうか」

「殿下……」

「答えは明日、パーティーで聞こう」


 娘は迷った。王子を見送った後、一晩中考えた。それでも答えは出なかった。



 ●○●



 そうして迎えた、二度目のダンスパーティー。集まった娘たちは必死に挑んだが、努力が報われる事はなかった。

 王子の手を取る地味な娘に、恨みのこもった眼差しが向けられる。突き刺すような視線の中で、二人は踊り出した。


 緩やかな曲は、徐々にテンポを上げる。二週間前と同じ、華麗なステップ。王子の心は変わらないと、誰もが思った。しかし不意に、娘の足がもつれた。

 尻餅をついた娘を見て、王子は答えが出たのだと、切なげに顔を歪めた。


 一方、娘は愕然としていた。娘は迷っていたものの、わざと転んだわけではなかった。

 激しいダンスで打ち付けられた、数々のヒール。妃の座を欲した娘たちの欲望が、大理石の床に小さな穴を空けていた。


 王子は、辛さを滲ませて語りかけた。


「そなたの気持ちは分かった。もう会うこともないだろう」


 王子が立ち去ろうとした瞬間、娘の目から涙が溢れた。王子は戸惑い、問いかけた。


「なぜ泣くのだ」

「またわたくしは、お慕いする方を失うからです」

「どういう意味だ」

「わたくしは、失わないと気が付かない。愚かな女だということです」


 王子は、しなだれた花に手を伸ばした。


「そなたは愚かではない。まだ失ってなどいないのだから」


 王子の言葉は、娘の心に光を差した。結ばれた二人は、多くの人の輪の中で幸せに踊り続けた。



 ●○●



 ダンスホールに空いた、いくつもの小さな穴は、色付きパテで埋められた。王宮のダンスホールは、星座のような美しい模様の床と共に「星空の間」と呼ばれるようになった。穴が繋いだ縁は、幸せな恋物語として末永く語り継がれた。



 ――Fin――

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