七夕にはまだ遠い

大宮コウ

七月一日

 日差しは毒だった。

 強烈な太陽光線は、直接視界に入れずとも壁や地面に反射して目を焦がす。日陰の中でへたり込んで、逃げるように瞼を閉じる。

 たった今、日差しの向こうへ駆けて行った少女を追いかける気になんてなりやしない。

 比較的静かな校舎裏の空間も、遂には脅かされてしまった。なんでこんなところまで告白しに来るというのか。俺のことなんて知る筈もないだろうに。

 目を瞑っていれば、昼休みの喧騒もどこか他人事だ。

 静寂に浸っていれば、足音が聞こえる。またぞろ誰か来たのだろうか。今日は大繁盛だ。目を開けば、見知った顔がいる。クラスメイトの性悪女。

 そいつは人の弱味を見つけたように、いかにも楽しそうにやってきた。


「また振ったんだね?」

「別に、したくてやってるわけじゃない」


 この高校にきて、早三か月。しかしこれで告白を受けるのは四度目だ。一体どんなペースか。俺は何もしてないのに、どんどんと肩身が狭くなっている気がする。物珍しさか。あるいは受験勉強を控えた最後の一年。最後のひと夏目前。一花咲かせたい年頃なのか。

 進学校からの転校は、転校先の学校の授業を物足りなくさせた。バカをやる相手もできていないせいで、周りから大人に見えてしまっているのか。

 目の前の女は「恋愛できる妥協点の容姿と能力で、別れた後も後腐れなさそうだから」などと、あてになるのか確認したくない答えを受けていた。

 彼女はにんまりと笑って、こんな暑い日によせばいいのに俺の隣に座ってくる。


「罪な男だねー。別に、適当に頷いておけばいいのに」

「分かってることをわざわざ言わないでくれ」

「うんうん、もちろん忘れてなんかいないよ、君には遠距離恋愛中の彼女がいるから仕方ないんだよね」

「そう厭味ったらしく言うな。なんか、俺が悪いことしてるみたいな気がしてくる」

「自分が振っておいて、罪悪感を抱かないでよ」


 クラスメイトであり、こうして話しかけてくる彼女が、何を隠そう告白ブームの先駆者だった。告白を断り、その理由を聞かれたので答えれば「やっぱり」などと笑って、そのあともこうして付きまとってくる、平たく言えば変なやつ。

 目下の悩みは二つあって、そのうち一つは、そんな変なやつくらいしか友人がいない現状だった。


「年下の彼女ちゃんとはどう? 上手くいってる? 連絡はちゃんとしてる?」


 どこでどう知っているのか、こいつは俺が告白されるたびにやってくる。まさか自分以外の相手の告白を受け容れていないか警戒している訳でもあるまい。


「電話は……最近はしてない」

「いいの? マメじゃない男の子はすぐに愛想をつかされちゃうよ」

「俺が悪いんじゃない。アイツが通信制限にかかったんだ。家のWi-Fiが故障中で、気づかないで動画を流してたんだと」

「普通に電話すればいいんじゃないの。通信制限とか、別に関係ないでしょ」


 世界の真理を説くように、彼女はまっすぐな視線で投げかけてくる。俺は、それに思わず目を逸らしてしまう。


「電話番号を知らないんだ」


 付き合っている彼女は、中学時代の部活の後輩だった。連絡は携帯のアプリケーションひとつで済ませていた。付き合ったいまでも、俺たちはそれでしか繋がってない。

 中三の頃に告白されたから、付き合い始めてもう二年だ。いまさら電話番号聞くのも、女々しい気がして、二の足を踏んでしまう。


「ふぅん」


 俺の内心を知ってか知らずか、彼女はどうでもよさそうに目を俯かせる。かと思えば、閃いたとばかりに笑顔をこちらに向けてくる。


「じゃあ、もし愛しの彼女と連絡が取れなくて心細くなったら、私に電話してもいいよ。男の子だって、そういうときもあるもんね」

「心細くならないし、もしなったとしても、お前にするわけないだろ」

「そうだといいね」


 微笑む彼女は、流れ星を期待する子供のようだった。




「一緒の制服着て、一緒にデートしようって言ったじゃないですか」


 引っ越しを伝えたときの、後輩の第一声がそれだった。転校の予定ができたのは高校一年生の夏。そして中学三年生の、受験生の後輩にとっての山場真っ盛り。

 彼女の糾弾は甘んじて受けとめるしかない。場合によっては、このまま別れ話になることも覚悟していた。


「志望校、変えませんから、私」


 だが、彼女は別れようだなんて一言も言わなかった。進路を変える予定はないという宣言は、意固地になっているようにも見えた。

 それから少し顔を合わせ辛くなったものの、彼女とは別れる予定もない。

 そして目下の悩みは二つあって、もう一つは、その彼女のことだった。

 あいつには幼馴染がいる。異性の、隣に住む幼馴染がいる。窓から窓に移って、相手の家に入ることができる仲。初めて聞いたとき、嫉妬よりもまるで漫画みたいだという感想を抱いた。創作物であったなら、後輩と付き合っているのはそいつに違いない。

 普段、後輩がその幼馴染とどういう付き合いをしているのか、俺は知らない。

 けれども彼らの関係で知っていることもあって、彼女の携帯が通信制限のとき、幼馴染の家に行って、Wi-Fiを借りに行くのだ。


『先輩は、最近何かありましたか?』


 夜も八時になって、後輩から電話がかかってきた。

 通信制限中だというのに来た連絡は、知ってはいたが、幼馴染の家からだった。

 後輩からの電話はたいてい予告なくかかってきて、最初はその日あったことや、意味のない質問をしてきたりする。無軌道な話は脱線に脱線を重ねて、元の話題が何であったか、電話を切る頃には忘れてしまう。

 それでも、終わったあとには楽しかったと思えるのだから、悪いことではないはずだ。

 さて、最近何があったのか。隠す必要もない。むしろやましいことがないのだから、話していくべきだろう。


「あー……また告白された」

『またですか。で、先輩はどーしたんです? おっけーしたんですか?』

「バカなこと言うな」

『えへへ。でも、先輩、別にいいんですよ』

「いいって……何が」

『……現地妻?』

「お前は何を言ってるんだ」


 付き合う前から知っていたが、こいつは突拍子もないことを急に言う。仮にも二年付き合っていれば、語彙力がないだけで、言わんとしていることは分かるのだが。

 よくない流れだ。この後輩は、変なところで自信がないのだ。あるいは、こいつも、俺も――遠距離恋愛というのは、やはり人の心を不安定にさせてしまうものなのか。

 あまり、長引かせたくない話題だ。露骨に話題を変えてしまう。


「つーか、幼馴染が同じ部屋にいるんだろ? こんな話聞かれて、恥ずかしくないのか?」

『うわ、急に思い出させないでくださいよ。まあ、弟みたいなものですし、ヘッドフォンつけてゲームしてるんで聞こえてませんって……え、私が妹? なに言って……ああ、すいません、私も幼馴染の耳はどうやら余計なことばかり聞こえてしまうみたいで』

「……そうか」


 案の定というか、聞こえているみたいだった。そもそも、幼馴染という彼は、本当にヘッドフォンで聞いているのか。ただの幼馴染に、Wi-Fiを貸すためだけに夜中に部屋に招き入れるものなのだろうか。

 俺は小学生の頃から転校続きだった。だから幼馴染という概念に、いまいち輪郭を持てない。先入観も経験則もない全くの未知は、夜空と同じくなにも見えない暗闇で、恐怖の対象だった。


『先輩、もしかして、嫉妬してます?』


 どことなく嬉しそうな声色。否定するのは簡単で、肯定するのは癪だった。それでも、焦りに駆り立てられるがままに、俺は声を出してしまう。


「そうだよ、悪いか」

『だったら、してやったりです。私ばっかりいやーな気持ちにさせられるの、ちょっと不公平なので』

「悪かったって」

『何がですか?』

「……告白されてること?」

『うわ、先輩なんだかクズっぽい』

「おまえなあ」


 ケタケタと笑う声がする。楽しそうでよかった――本当に良かったと思えたのだ。

 一時期、気まずくなっていたせいで、こうして気軽に話せることが尚のこと楽しい時間になった。告白されたのは彼女のほうからというのに、余計に依存してしまう。


『悪かったと思っているなら、先輩、ちょっと私のご機嫌とってくださいよ』


 愛しの後輩は、調子を取り戻して雑な要求をしてくる。いくらか軽くなった気持ちで、俺は思ったままを言う。


「可愛い後輩の制服姿が見たいな」

『……先輩、けっこう変態的ですよね。いいですよ、今度写真撮って送ってあげます』

「そうじゃなく……いや、写真も嬉しいけど、直接見たいって話だ」

『直接、ですか」

「そうだな……」


 カレンダーを確認する。日曜日、七月七日――七夕。


「七月七日とか、空いてるか? ほら、そっちだとそこら辺の時期に七夕祭り、あっただろ」


 転校する前は、一緒に行く機会はなかった。思い返してみれば、イベントというイベントを一緒に過ごしたことがない。どちらかが受験生で、遊んでもいられない状態だった。付き合い始めが俺の中学卒業直前。


「土日くらいなら、新幹線使えば日帰りで行けるし、一緒に行かないか?」


 我ながら、いい提案だと思った。しかし、彼女の返答は予想と違うものだった。


『ごめんなさい、先輩。その日はちょっと、用事があるんです』

「そ、そうか」


 正直、断られるとは思っていなかった。言ったのが直前過ぎたのか。それとも、俺以外の誰かと一緒に行くのだろうか。例えば、そう、幼馴染とか――嫌な想像が膨らんでしまう。落胆が電話越しに伝わってしまったのか、彼女は努めて明るく声を出して言う。


『まだ夏は始まったばかりですし、夏休みに入ったら一緒にどこか行きましょうよ。海とか、花火とか』

「……ああ、そうだな」

『先輩、リアクション薄い! まさか私の水着や浴衣にご不満でもあるんですか?』

「まさか。楽しみにしてるよ」

『ならいいんです。では、そろそろ時間ですので切りますね』


 時計はもう十時を示していた。まだ夜は長い。けれども彼女は切ろうという。勿論他人の、それも男の部屋にいるのだ。早く帰るのが健全だ。おかしいことは言っていない。

 それでも、胸が軋んだみたいに、苦い味が口に広がる。


「ああ、じゃあ、またな。おやすみ」

『はい、おやすみなさい、先輩』


 そして音が消える。

 痛い静寂に、めまいがした。

 もうすぐ七夕だ。織姫と彦星が会う日。年に一度の逢瀬の日。

 彼らはその日を迎えるまでに、どう不安を耐え過ごしてきているのか。

 あるいは、やりすごせることが、大人であるということなのか。

 クラスメイトのアイツを思い出す。

 いつでも電話をしてもいいとアイツはいった。

 後輩のことが脳裏によぎる。あいつは幼馴染の家にいるといった。

 あいつを好きでいるために、俺は携帯に電話番号を入力する。コール音が三回。やがて電話越しに聞こえる声。

 夜はまだ、長い。

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七夕にはまだ遠い 大宮コウ @hane007

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