三題噺「北海道」「郵便配達員」「ライト文芸」

三木光

第1話

 落下直前のこの瞬間は何度味わっても慣れることがない、ガタガタと震えが止まらなくなる——そんなことを言っていたのは、『宇宙の戦士』に出てきたジョニーだったか。完全な気密が保たれた落下ポッドの狭い空間。その中で複体たちは強化服を着たまま膝を抱えてダンゴムシのように丸まっているはずだ。

 落下軌道がずれるとまずいので、自由落下のタイミングはこちらからは何も手出しすることができず、いくら周囲で問題が起こっていてもこれまたダンゴムシのようにだんまりを決め込み、生きるか死ぬかを運の女神の采配に託さざるを得ない。全ては不確実の中にある。確定的なことは、落下中の人間は無力であること。毎回毎回乗員の生命を保証してくれないのに、慣れることがないのも当然だ、とレイは思う。

 ただ「好き」という感情にも食べ物から恋人まで色々あるように、「怖い」という感情も一概に震えに直結しない。軍兵ジョニーがポッドの中で武者震いをしている一方で、傭兵のレイは恐怖によって震えることを知らない。いや、知っていた時代もあったが、震えても物事は解決されないことを学んでからは、震えは消えた。消えると同時に傭兵になった。人は与えられたカードの中で戦うしかないのだ。震えることは、レイの戦う方法に含まれていない。だから、自由落下の三十分内になるべく死なないことを静かに願うのが、レイなりのこの時間の味わい方だった。複体とはいえ自分と同じ肉体が散っていく光景を楽しむことはできない。震えることはないが、怖くはある。

『あと五分で射出する。トラブルはないか』

 静止軌道上に浮かぶ管制室からゴードンが声をよこした。レイは短く答えた。

「オールグリーン」

『よし。今回はクライアントにブツを届けて、さらにクライアントとともに帰還するまでのワンセットが任務内容だ。落下までで失敗することもあるが——まあその場合は再度複体を送るとして——クライアントは複体を持っていないからベイルアウトできない。合流したら何としてもソーヤまで守り抜け。東シベリア共和国に手渡したら、あとはミーシャと合流して帰ってこい』

「わかってる」

 即答したら疑われた。

『……本当か?』

「わかってるよ」

 もう一度短く答えたら、ゴードンに鼻を鳴らされた。

『だそうだ。陳、お目付を頼んだ』

《あいよ。よーするにいつも通りってことだろ》

 数秒遅れて、軽い口調のお返事が回線に割り込んできた。カプセルが高高度に突入した時点でヤシマ軍からの防衛反撃が予想される。それを妨害するために先回りして地上に降りているのが陳であり、その距離のために通信に数秒の遅れが発生している。

『まあな。いつもより金額が大きいおつかいだ』

《そいで運んだあとは用済みとなって消されてしまう》

『哀れ、ゴードンCEOを筆頭とする民間軍事会社DAICONは歴史の陰謀に巻き込まれてその短い生涯を終えるってか』

《ま、そんな大それたシナリオに関われたら夢のまた夢だな》

『おっと。代理戦争勃発の片棒担ぐんだからあながち夢でもないかもしれん』

《イヤイヤ冗談きついって》

 レイはローテンポでやり交わされる二人の会話を流しながら、胸の前に抱えたブツについて考えていた。大きさはだいたい10×20センチ、厚みは2センチ程度と軽く、片手で持ってペラペラめくることができる。どこからどう見てもただの文庫本だが、カプセルに入る前に検分したところいくら引っ張っても折れも変形もせず、材質は紙ではなかった。おそらく強化プラスチック。書いてある内容もヒーローとヒロインが出てくるありきたりなエンターテインメント。

 およそ、宇宙からの輸送などという最終強行手段が必要な物品ではない。クライアントが四面楚歌で囚われているといえ、陸にも強襲部隊はたくさんいるのだ。オホーツクを渡ってヤシマに突入するくらいのことは共和国なら朝飯前で、今回の輸送では実際に共和国軍じきじきの支援がある。しかし。政治問題での炎上を前提にしているなら、わざわざ宇宙からレイが落下してくる必要はない。……陽動、あるいは陽動も含めた本命か? いつもに増して、不可解な点が多すぎる。

 何にせよ、政治の沼は深入りしたくはない。レイとしてはクライアントが運びやすい人物であることを祈るだけだ。与えられたカードの中で戦うにしろ、カードは強い方がいい。

『発射まで30秒を切った』

 もう、誰も喋ろうとはしなかった。静寂が残りの30秒を埋めた。

 現在、レイの本体は管制地区横のニューロボックスに横たわっている。意識もその本体に所属している。そして10の落下ポッドのどれか一つでも低高度まで辿り着けば、意識はポッド内の複体に転写されて、一瞬の意識の暗転の後、レイは静止軌道上から着地数分前の上空で目を覚ますことになる。それまでのおよそ三十分はひたすらに待つしかない。

『発射』

 わずかな振動と共に、ポッドが射出されたのがわかった。

 窓外を埋め尽くす地球の青に、複数の黒い影が現れる。それに続いて、防宙レーダー撹乱用の宇宙ゴミ——これは旧世代ISSの残骸だ——が青に飲まれるようにして雪崩をうって落ちていく。まもなく。

 第一フェーズ。

『衛星の対宙レーダーが反応した』

 ゴードンのセリフと寸秒置かず、幾条もの光の束が無音のまま交差していく。レーザービームに照らされた残骸が、白色の光の中で赤く煮立って飴のようにとろける。わずかに被害を受けたポッドが、加熱による空気膨張で内側から爆ぜる。背景の青をこのトラストにした色彩のオーケストラが眼下で繰り広げられていく。しかし一つのビームは30秒ほど照射を努力してから、徐々に光量を落としてはたと止まる。衛星の数は無限ではなく、多量の落下物に守られたポッド群はぼそりぼそりと生存者を出して高度を落としていく。

 このあたりからはもう映像モニターでは確認できない。ニューロボックスコンソールが映し出す3Dホログラム上で各ポッドの様子を把握するしかない。

 しばらくして、生存マーカーの減りが止まった。それで宇宙圏から大気圏へと突入したことがわかった。ポッドの残数は4つ。かなり上出来だ。対応してくる防衛システムが切り替わることで、この間は攻撃の手に隙が生まれる。ただし大気との摩擦で、今まで装甲がわりになっていた宇宙ゴミは蒸発して消えて無くなる。一息つけるタイミングでもあるが、嵐の前の静かな緊張が心から消えることはない。

《んじゃ、そろそろ俺の出番だな》

 陳からの入電。すでに迎撃体制に入っているのだろう、マイクが背後の飛行機エンジン音を拾っている。

「頼んだ」

『今回は4つ残ってんだから、失敗したら減俸確定だな』

《冗談きついぜ。このレベルでミスってたら、今までこの世界で生きてないぜ。それよりレイ、大変なのは多分そっちだ》

「こっちでも見えてるよ。残存ポッドが全て目標地点から遠い」

《おう。耐久レース頑張れよ》

 第二フェーズ。あと五分もすればレイもポッドの中に乗り移る。

 3Dホログラムが解像度を上げる。ポッドの発光点のほか、対象空域にユニークマーカーを置かれた陳の機体が現れた。おそらく西南方向からは隊列を組んでヤシマ空軍、西からは東シベリアからの航空支援が来ているはずだが、DAICONニューロが接続できるレベルのネットワークデータではそれらを反映することはできない。

 突然、陳の機動が複雑なカーブラインを描いた。交戦が始まったのだろう。反重力ディーンドライブを利用しての超物理的運動が北海道天塩山系を縫うように繰り広げられている。

 ポッドの光点が一つ消えた。また一つ。減り方が激しいことに不審を抱いた直後、焦燥が飛び込んだ。

《環パセ本隊が出張ってきてる!》

 焦りがDAICONメンバー全員を貫いた。

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三題噺「北海道」「郵便配達員」「ライト文芸」 三木光 @humanism

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