名前を呼んで

 私たちは一緒の教室にいたけれど、ほとんど話したことがないから、お互い知らないことだらけだった。喋ってみると、山下さんは、私が想像していたのとはだいぶ違う人だった。いや、今日一日一緒に行動することによって、それは薄々感づいていたけど。


 クールで大人っぽい人だと思っていたのだ。でも違った。お洒落な洋楽とか好きな人だと思ったけど、実際はアイドルが好きで、結構ミーハーだった。モダンな豪邸に住んでると思ってたけど、実際は昭和の香り漂うぼろくて小さな家に住んでるとのことだった。白黒まだらが美しい、すらりとしたダルメシアンが似合いそうな人だけど、飼ってるのは茶色くてもしゃもしゃした雑種の犬だった。山下さんの好きな食べ物は塩昆布で、流行りのファッションにはあんまり詳しくなくて、それよりも、キラキラしたイケメンたちが出てくる深夜アニメのほうに詳しかった。


 私たちは喋りながらむしゃむしゃ食べて、そしてくだらないことで大笑いした。


 日が陰っていく。いつの間にか女の子たちもいなくなっていた。少し、灰色がかかった公園で、私たちも帰る準備を始めた。余ったお菓子はきっちり半分こ。公園を出て、私は左へ、山下さんは右へと向かう。でも、別れる直前、山下さんは私に声をかけた。


「――あの! ちょっと、いいかな……」


 言いづらそうだった。私は少し緊張した。どうしたんだろう?


「何かあったの?」


 山下さんは首を振った。


「大したことじゃないの。大したことじゃないんだけど……。私って、人付き合い苦手で、あんまり仲のいい人っていなくて……」

「うん」


 私はずっと、山下さんは周囲の人と精神年齢が違って、一人でいるほうが好きな人なんだなって思ってた。でも違うみたいだった。山下さんは、今まで思っていたような人じゃなくて、今までは見上げる存在だったけど、けど今はそうではなくなっていた。でも、だからといって嫌いになったというわけじゃなかった。


 山下さんは少し迷って、そして意を決したように言った。


「私、憧れてたの。瀬川さんたちは、親しい人と下の名前で呼び合うでしょ? 私、ああいうの憧れてた。私はいつも苗字にさん付けだったから……。だから、お願いがあるの。――私のことも、名前で呼んでくれる?」


 山下さんの顔が赤かった。照れてるんだなってのがすごくわかって、伝染したみたいにこっちも赤くなってしまった。赤くなりながら、私は頷いた。


「うん。いいよ。えっと……――」


 いきなり呼び捨てっていうのは、ちょっとハードルが高い。だから私は、こう言った。


「――あ、あかり、ちゃん」


 山下さんが笑った。すごく嬉しそうに。山下さんは笑顔で言った。


「私も、瀬川さんのこと、名前で呼んでいい?」

「いいよ」


 照れた顔をした、頬を染めた山下さん――あかりちゃん――が、小さな、戸惑い気味の声で言う。


「――……由衣ちゃん」


 私たちは大いに照れてしまった。何故だか馬鹿みたいに、二人してとってもとっても、照れてしまった。




――――




 それからバスに乗って、私は家に帰った。記憶にある夕飯を食べて、記憶にあるテレビ番組を見て、記憶にある宿題をして、私はベッドに入った。眠って、朝が来たらどうなるんだろう――と思いながら。それは7日の朝なのだろうか、それとも6日? 大変な問題を抱えてるにも関わらず、私は意外とあっさりと眠りについてしまった。


 そして朝が来た。目が覚めた私が真っ先にやったことは、携帯を見ることだった。今日は何日? どきどきしながら、画面に目を凝らして――そこにあったのは……「7」という文字だった!


 私は大急ぎで階段を駆け下りた。パジャマのままで。食卓の新聞を手に取る。――6月7日だった。7日。見たことない紙面。私はコーヒーを飲んでいた父に訊いた。


「今日って何日!?」

「7日だけど……」


 父がびっくりした目でこちらを見ている。私は大笑いした。


「そうよね! 7日だよね! 6月7日!」

「何かあったの?」


 台所からこちらもびっくりした顔を母が出てくる。私は笑いながら言った。


「なんでもない! なんでもないの! 制服に着替えてくる!」


 私は下りた時と同じような勢いで階段を上ったのだった。




――――




 私は意気揚々と学校に向かう。いつもの通学路だけど、でもちょっと違う。会う人がおんなじってわけじゃない。6日の朝には見なかった知り合いを、校門のところで見つける。嬉しくて、ちょっと話をしてしまった。


 教室に入ると、いつもと似たようではあるけれど、でも全然違う光景が広がっていた。ますます嬉しくなってしまう。興奮した気持ちで教室を見回して、そうして――山下さん――いや、あかりちゃんと目が合った。


 声をかけよう、と思った。この喜びを、彼女と分かち合いたい。でも――。ここで迷いが生じた。果たして、あれは本当にあったことなのだろうか。


 私が6月6日を、同じ日を繰り返してしまったこと。そこで、同じくループの中にいるあかりちゃんに出会ったこと。ちょっと信じられないような出来事。本当にあったなんてとても思えないような――。……ひょっとして、全部私の夢だったりしないだろうか。


 私は迷った。あかりちゃんがこちらを見ている。その瞳も迷っているように見えた。ひょっとして、あかりちゃんも私と似たようなことを考えているの?


 揺れていた心は、ほどなくして定まった。私は決心して、そして声を出したのだった。


「――あかりちゃん」


 あかりちゃんが笑う。私の声に応えて。晴れ晴れとしたとても綺麗な笑顔で。あかりちゃんはやっぱり美人なのだった。そして女神のように微笑む美人は、優しい声で私に言った。


「由衣ちゃん」


 私も、笑顔になった。そして、軽やかな足取りで、彼女の元に駆け寄ったのだった。

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あかりちゃんの失恋 原ねずみ @nezumihara

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