小説がかけません
大変なことに気が付きました。
僕は今、小説が書けません。俗に言う、スランプなんじゃないかなと思います。なぜならば、さっきからウンウンとパソコンの前でうなってはいるものの、書いては消し書いては消しを繰り返しているからです。どうにも自分の書く文章が、しけったせんべいのようにスカスカで読む人の目をまるで氷の上にでもいるかのようにつるつると滑らせるものにしか思えなくなってきました。それでも必死にもがきます。もがかなければいけないのです。それはなぜか。
僕は小説家になりたいのです。詳しく言うと、小説だけじゃあ食っていけないと良く聞くので、ゲームのシナリオや演劇の脚本なんて書いちゃったりして、物語を書くことで生計を立てたいと思っています。もしくは、この間まで大学で授業をしてくださっていた先生のように、小説とか物語の書き方などを教えるのもやりたいかな、なんて思います。昔から僕は教えるのがうまいと言われることがありました。今は言われませんが、教えるという行為自体は好きです。自分の知識と頭脳をフル活用しているということを肌身で感じられるからだと思います。きっと、こうやって物語を書くことが好きなのも、その前提として僕の人生経験を含めた、たくさんの知識の倉庫と自分自身の考えを振り回すことが出来るからなのでしょう。ともかく、僕は小説家になりたいのです。
なんでこんな夢持っちゃったんだろう、と思うことは良くあります。教員だとか、公務員だとか、安定した職業を目指せばよかったな、なんて大学に入って三年目になろうとしている今この瞬間に思ったりしちゃいます。今までは思わなかったんですけど、やっぱりスランプといいますか、アイデアはあるのに筆が進まないというこの好ましくない状況がなおさら僕を焦らせています。それに輪をかけて焦らせる要因があります。それは、学生時代にデビューしたいという僕自身の野望です。僕は学生時代に小説の大賞を取ってしまって、その経歴をひっさげてゲーム会社かどこかに拾ってもらうなんて、絵に描いた餅が裸足で逃げてもおかしくない考えをもっていました。さらに驚くべきことはその絵に描いた餅を実行せんと踏ん張り続けているところです。自分でも、この自信がどこから来るのか全くもって分かりません。その上全く自分の将来が不安にならないので、学生時代の内に死んじゃうのかな、なんて思っています。そのくらい今の自分の状況はばかげていると思うのです。
そして、今もこうやって小説を書くべく文字をひねりだそうと苦労していました。こういうときにお食事中に聞かせられないような下品な例えしか出来ないので、僕の学の浅さが露呈しないように比喩は控えますが、とてもとても苦労していました。それはもう、出口のあたりにコンクリートでも詰まってるんじゃないかって思うくらいには。
しかし、どうして僕はこんなに書けないのでしょうか?起承転結のはっきりとしたプロットまで用意したのに、数行書いて読み返すと心のこもっていない人形劇のようにしか見えなくなって、いやになってしまいます。たぶん原因は、このプロット自体がそもそも戯曲として構想されたことだと思います。僕は今、演劇をさせていただいており、その関係で脚本を書くことが多々あります。昔は小説も平行して書いていたのですが、いつの間にか脚本ばかり書くようになってしまいました。それもまた、スランプの原因なんじゃないかなとも思います。
ともかく、戯曲として構想してしまったプロットなので、僕の中のイメージが舞台の上で上演している状態で固まってしまっているのです。これを人に話したならば、馬鹿だなあと返ってくるに違いありません。僕も、自分が馬鹿だなあと思います。でも、このプロットにとりつかれてしまったかのように他の物語が浮かばないのです。この物語をかいつまんで説明すると、突然バイト先がつぶれてしまったフリーター女と男子学生が店を経営するという話です。
これだけだと何の面白みもない話に聞こえますが、この店の設定がミソなのです。このお店は男子学生の荻野くんが昔から構想を練っていたお店で、マスカレードという名前なのですが、『誰かの手助けをする』ということを商売にしたお店です。商売と言っても、荻野君はお金を取ろうとしません。巻き込んだフリーター女こと、秋本さんの給料とお店の維持費は荻野君が必死にバイトして間に合わせます。そのお店で秋本さん、そして荻野くんがいろいろな人を人助けするというお話なのです。
小説上だとお店が潰れて、秋本さんと荻野君が会話をする描写が描けなくて止まってしまっていますが、プロット上だとその先もしっかりと作ってあります。果たして、これから先どうすれば良いのでしょうか。僕は、今日のところはいったんかあきらめようと考えて、少し目を瞑りました。パソコン画面の見過ぎで目が痛かったからです。ほんの少しの休憩のつもりでしたが、いつの間にかぐっすりと眠ってしまいました。
高校時代、僕はよく居眠りをする人間でした。授業中は椅子に座っておりますので、そんな姿勢でグースカ寝てしまうと、深くて暗い穴の中に落ちるような夢を見た上に、体がびくんと電気を受けたカエルの死骸のように跳ね上がることがあります。この現象をジャーキングと言うらしいのですが、そのときの僕もまさにそうでした。自分の人生のように深くて暗い穴の中へと転がり落ちていく夢を見て、そこから這い上がるべくびくんと体を跳ね上げて目を覚ましました。大学の授業はそれなりにまじめに受けておりますし、家で寝る時は布団を敷いていますので、このような目に遭うのは久しぶりでした。なんだか高校生時代を思い出して目を覚ますと、一番最初にバーのカウンターのようなものが目に入りました。さっきまで僕は家に居たはずなのにと思いながら眠い目をこすると、男性と女性の二人組がカウンターの向かいからこちらをじっと見ていることに気づきました。なんだか観察されているようで、動物園の猿もこんな視線を浴びているのでしょうか。ところでここはどこなのか。僕は、半分夢見心地のうっとりとした気分のままその二人組に聞いてみることにしました。すると男性はこう答えました
「マスカレードです」
一瞬で眠気なんて吹き飛びました。この男性はいったい何を言っているのでしょうか。
「なにかのお店、ですか」
僕のその言葉に男性は、いったい何を言っているんだ、と言わんばかりに「そうですが……」と返しました。マスカレードと言う名前のお店。僕が書けていない小説のお店です。そうなってくると、俄然僕には気になることがあります。彼らの名前です。もしもプロット通りなら、男性もとい男子学生は荻野誠くんで、女性のほう、つまりフリーター女のほうは秋本麻衣という名前のはずですから。
「となると、君は荻野誠くん?」
僕がそう聞くと、荻野くんはしっかりと頷き返してくれました。秋本さんにも同様に問いかけると、これもまたしっかりと力強く頷き返してくれました。
「せっかくですしあだ名、決めましょう!」
秋本さんはそう言ってカウンターの下からネームプレートと紙を取り出して、ペンを握りました。ここもまた、僕の考えていたプロットと一緒です。この店に来るとまず、秋本さんか荻野くんがお客さんにあだ名をつけるのです。なぜかというと、お客さんと店員という垣根を越えて、より親しみを覚えてもらうためです。マスカレード、つまり仮面舞踏会と言う名前はこのあたりから由来しています。一つ、気になったのですが彼らは今日ネームプレートを下げていません。
「お二人のあだ名はどうすれば?」
と私が聞くと、「僕達の名前、知られちゃってるじゃないですか。あだ名でも本名でも、呼びやすい方でかまいませんよ」と荻野くんが答えてくれました。そして秋本さんが、「それではあなたにあだ名をつけたいと思います!ギブソンか都!どっちがいいですか?」なんて言うもんですから、これまた驚きました。片方は僕のあだ名で、片方は僕のペンネームだからです。都というペンネームには渡辺という名字があります。私はこの名字を気に入っているので、渡辺はダメかと聞くと却下されました。それじゃあ都のほうがいいかなと思い、都のほうをリクエストしました。
「はい!それじゃあ都さん!」
私が考えていた通り、秋本さんは底抜けに元気の良い人です。ネームプレートを胸元につけてくれたのは良いのですが、仕上げとばかりにバシンと叩かれた一撃の痛いこと痛いこと。
「それで、今日はどうしましょうか?」
あだ名をつけてもらった以上、僕は彼らのお客さんです。僕は、今書けていない小説の主人公にあうという夢のような体験をできたというチャンスをここで活かそうと思いました。実際は夢なのですが。
「僕、小説家になりたいんですよ」
僕はそう切り出して彼らにいろいろな話をしました。小説家になることがゴールじゃないこと、物語を書くことが好きなこと、自分の将来が真っ暗でなにも見えないこと、それなのに謎の自信がわいてきて全く不安じゃないこと、小説が書けなくなったこと。
「どうしても君たちの話が書けなくて。プロットはあるんだけどね……」
「なるほど……」
彼らの息ぴったりに重なった返答に思わず笑ってしまいました。やっぱり良いコンビです。すると彼らも釣られてしまったのか、これまた同時に吹き出しました。その様子がおかしくておかしくて、僕はもっと笑ってしまいました。僕が笑うのを聞いて二人が笑って、それを見ておかしくて笑ってしまって……を繰り返してひとしきり笑ってしまいました。そうして笑い疲れたころに秋本さんがこう提案してくれました。
「せっかくですし、思い出話にでも浸ってみますか?」
「都さんにとってはお話のプロットだけどね」
そのやりとりを聞いて、僕は不思議な気持ちになりました。お話として考え出した物語が、一人ないし二人の人間が目の前で呼吸をして、動いているのです。息ぴったりのコンビネーションも、秋元さんのころころとしたかわいらしい笑い声も、みんな僕が考え出したものと一緒です。なんとも言えない奇妙な、でも心地よい感触を覚えました。
「それは良い!是非話しを聞かせてください!」
そう言うと僕はペンとノートを……取り出したかったのですが、あいにく手ぶらでした。荻野くんと秋本さんにペンと紙を貸してくれないかと頼むと、夢から覚めたら残らないんじゃないのかと言われましたが、何かに書いた感触を残したいと言って貸してもらいました。
「それじゃあまず最初……お店が潰れたあたりから!」
「あ、前のバイト先ですか」
「この店舗の話よね?あれはちょっと焦ったわ」
そう言うと二人はいろいろと話し始めました。秋本さんは荻野くんの先輩だった、ということから始まり、大学を卒業してからしばらくフリーターを続けていたこと、何回かバイトを転々としたこと、そんな風にたくさんのバイトをしてきたけど夜逃げされたのは初めてだったこと、そんな状況を目の前にしてヘラヘラしている自分がすごく嫌だったこと。大まかには設定通りなのですが、ちょくちょく僕も考えついていないお話がありました。
例えば、2個ぐらい前のバイト先でお尻を触ってきた店長がいやでいやでしょうが無かったが、言い出せなかったという話を聞いて僕と荻野くんは目を丸くしてしまいました。
「絶対殴ると思ってたのに……」
秋本さんは、僕と荻野くんが全く一緒の感想を持ったことに対してたいそうご立腹したようで、
「ちょっと、なんで私がそんなことすると思ったの!?」
と、荻野くんに詰め寄っていました。カウンターが良い壁になってくれて良かったと思いました。
「でも、びっくりしたなあ。荻野がいきなり変なこと言い出すんだもん」
「ああ、マスカレードの話ですか」
また新しいバイトを探さないと、という話をする秋本さんに対して、荻野くんが昔から構想を練っていたお店、つまりこの『マスカレード』を立ち上げるシーンの話です。彼らにとっては実際にあった出来事ですが。
「そういえば、どうしてマスカレードを立ち上げようと思ったんですか?」
「人の背中を押す仕事がしたいなって、なんとなく思ってたんです。だからまあ、カウンセラーとか、そういう職業に就いてもいいんですけど、こんな感じでお店を持てたらなって」
そう言うと彼は、マスカレードがどうなって欲しいかを話し始めました。自分が一時期家に帰りたく無くなったこと、そんな時に駆け込めるところがあったらと思っていたこと。マスカレードというお店で困った人を助けるという目的は、困った人を保護したいという側面もあるようでした。
「だから、そういう意味ではお客さん一号は秋本さんなんですよ」
そう言って荻野くんは笑いました。すると秋本さんが、
「あ、そう言えば都さんの分、書いてない」
といってカウンター奥のパネルに102という数字とともに僕のあだ名を書き入れました。このボードは、荻野くんが最初に決めた目標があるのですが、それを達成するまで、助けた人のあだ名と助けたら花をつけるという選挙のようなボードです。ちなみに目標は百人なのですが、この数字がエンディングに深く関わってきます。
「百人、達成したんですね」
「おかげさまで……ですかね?」
そういうと荻野くんは笑いました。それから、彼はその百人に至るまでの話を始めました。最初のお客さん、喧嘩した女子高生二人組、荻野くんたちを支援してくれるあしながおじさん……ぼくには、それらの中で一つ、聞きたい話がありました。あしながおじさんが出てきて以降の話です。このおじさんが荻野くんと秋本さんを金銭的、商売のノウハウ的な意味で支援してくれるのですが、そうなることで荻野くんがようやく自分の夢であるお店に店員として関われることになりました。ところがそれがまた問題を引き起こします。
「これで俺もマスカレードの店員として頑張ろう!って思ったんですけど、なかなか厳しかったですね」
今までのマスカレードの活動の中心は秋本さんでした。ようやく店員として参加できた荻野くんは秋本さんのように人を助けようとしてうまくいかないことばかりだったようです。
「自分の夢だったのに、秋本さんに追いつけなくて、なんだかスーって夢が離れていったような気分でした」
「あのときはびっくりしたよ。荻野が急に泣き出したりするから」
「だってほんとに自分にがっかりしたんですもん」
そういうと荻野くんは恥ずかしかったのでしょうか、少しはにかんで頭をかきました。
「でも、秋本さんを僕が助けてたってことに気づかされて、なんだかすごく救われた気分になりました」
秋本さんは、そうやって悩む荻野くんに対して、自分がいかに助けられたか、いかに頑張ろうと思えたかを力説して、さっきのパネルに名前を書いたのでした。
以上が、僕の持っていたプロットの話でした。彼らが懐かしそうに僕が考えた話をなぞっていくのを聞いて、僕が考えた話と言ってしまうのは少し変だなと思いました。僕たちのような物書きは、物語を考えているのではなく、彼らのような人生を掘り出しているのに近いのではないでしょうか。
そうやって彼らと物語を振り返っていると、止まっていた小説も書けるような気がしてきました。そのことに対して感謝しないと、と思って顔を上げると、見えたのはバーカウンター越しの彼らではなく、寝る前までににらめっこしていたPC画面でした。
書いて消してを繰り返していた寝る前とは打って変わって穏やかになった頭で、どう彼らの物語を表現しようかと考えました。
どうやら、また小説が書けるようになったようです。
書き落とし短編集 渡辺都 @sign01
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