自己顕示欲はタピオカドリンクの夢見るか

 かくしてタピオカドリンクがブームを起こしたことに納得した竹槍であったが、本番はここからである。


 あらすじで私は、自己顕示欲の塊であるが故に「インスタ文化」に疑念があると書いた。


 いわゆる「インスタ映え」を求める文化は理解できる。


 年頃の女の子ならば、かわいい自分、ないしかわいくなろうと頑張っている自分を見て欲しいと思うのはごく自然なことだろう。


 人間とは、情報共有により進化してきた生物である。

 自己顕示欲は、我々の本能に組み込まれているものなのだ。自己顕示欲は恥ずべきものではない。理性が自己顕示欲に負けてしまわない限りは。


 さて本題はここからだ。一般に自己顕示欲の現れと言われがちなインスタグラムをはじめとするSNSへの投稿。

 だが、タピオカ関連の投稿は果たして自己顕示欲のある者達によるものなのだろうか。


 私は違うと言いたい。


 何故ならば、余りにも投稿内容が似通っているためだ。

 本当かと疑う人は、試しにインスタグラムかなにかを開いて、ハッシュタグタピオカで検索してみて欲しい。


 幾らかスクロールすれば、もうそこはタピオカドリンク生い茂る樹海。そしてあなたはそこの迷子となるのだ。


 幸い、タブを閉じれば樹海を脱することができるので、野垂れ死ぬ前にこちらに戻ってきていただきたい。


 さて、如何だっただろうか。こんなもので注目を集められると彼女達は本気で考えているのだろうか。


 答えは否である。


 おそらく、彼女らの大多数は本気で注目を集められるとは思っていないだろうし、そもそも自己顕示欲を満たそうと思っている層も、実はそこまで多くはないのではないだろうか。


 確かに本能は「注目されたい!」「みんなの憧れになりたい!」と叫ぶ。しかし理性はこう言うのだ。

「でも変に目立ったら目をつけられてリアルでいじめられるよ」


 そうなのだ。過剰な自己顕示欲が身を滅ぼしかねないのはいじめを受けた私もよくわかっている。

 現に、あれから三年以上経ち、その間仲間達に恵まれて過ごしたものの、今なお、自傷癖が完治しきっていない。


 現代の学生の間では、出る杭は打たれるのではなく、引っこ抜かれてスクラップ送りになるのだ。


 その恐怖に比べれば、人並みの自己顕示欲など容易に吹き飛んでしまう。



 ではなぜ少女達はタピオカドリンクへと群がるのか。


 私は、タピオカに限らず〇〇ブームと呼ばれるものが発生するたびのそれが疑問だったのか。


 二番煎じ、三番煎じというものは、ブームモノに限らず、インターネットにおいてはよくいるものだ。


 しかし、ブームモノのそれはその他のケースとは決定的に異なっていた。


 いわゆる「なろう系」ブームが起こった際、その手のサイトには数千、数万のn番煎じが現れた。

 しかし、その大多数の作者は、己の作品をもって成り上がろうとしていた。

 サイト内で人気を獲得し、出版社の目にとまり、そして書籍化。


 側から見れば馬鹿げた妄想かもしれない。しかしそこには確かに夢があった。こればかりは否定できないと思う。



 今世を賑わせるVtuberについても同じことが言える。

 爆発的なスピードで増えるVtuber達だが、その多くが誰にも注目されない中で泥を啜っている。しかしそれで満足している者など一人もいない。

 皆、ビッグになる機会を虎視眈々と狙っている。


 しかしインスタグラムなどでブームに沸いている彼女らはどうか。

 少し界隈を覗いてきたところ、彼女らがタピオカドリンクを求める理由は、「流行りだから」であるようなのだ。

 ここで勘違いしないでいただきたいのは、この「流行りだから」は、「流行りだから受けると思って」とかそういう事ではなく、ただ単に「流行りだから飲んでみた」という事である。それ以上の理由など存在しないようなのだ。


 これに驚く方もいるかもしれないが、実はこの結果は私の推測とほぼ一致していたのだ。


 何故私はそのような推測をしたのか、そしてそこから何を導き出そうとしたのか。それを語るには余白が少々少ないので次に回すこととしよう。

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タピオカから考える 竹槍 @takeyari

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