第5話 egg quartar
千代子さんと出会い、キイロくんを見つけたあの日以降、私は時々生け垣の穴を通ってみたりチャイロさんの後を付けてみたりしていた。
不老不死を願っていたわけではない。
私の目的はそれよりもむしろ千代子さんで、彼女にまた会ってお話をしたかった。
悠介と同じような美しさを持つあの人に惹かれたのだ。
友達になって一緒の時間を過ごせたらいいなと私は思っていたのである。
不老不死については、千代子さんと遊ぶついでになろうかな、くらいに軽く考えていた。
不老不死はそう悪いものではない、という結論がその頃には既に私の中で固まっていた。
だけど結局あそこへは再び行くことができないまま私は高校を卒業して、大学に通うために別の町へ引っ越した。
そして大学を出ると、私は海がすぐ傍にあるホテルで働き始めた。
休みの日に私がやることはあって、一つは海辺をうろつくことだ。
夏の海水浴場は面白い。
単に夏の海が良いってだけではなくて、海水浴客の賑わいに私は都会を感じる。
田舎で育って、そして大都会にろくに行かない私にとって、一番身近な人混みが夏の海水浴場だった。
どこを見ても見知らぬ人ばかりで、おまけにどうせお互いに顔を記憶せずすれ違うだけの存在だ。
無遠慮に顔や体型や水着を見たり、会話を盗み聞きしたりできる。
私も彼らも風のようなものだ。
夏に吹く涼風はふっと顔をほころばせるが、そのことをすぐに忘れてしまう。
たとえばぼうっと海を眺める振りをしながら、最近彼女に振られた者同士で海に来たらしい男性二人組の話に長いこと聞き耳を立てていたのだけど、彼らの話がどう終わったのか思い出そうとしてみても、なんの取っかかりもない。
なんでもっと優しくできなかったんだろうなあ、と二人して後悔していたのはかろうじて思い出せるのだけど。
そんな感じに他人の人生を覗き見たり、明後日の方向に飛んでしまったビーチボールを拾ってあげて、楽しんでねとか地元民らしい言葉をかけてみたりしながら、私は知り合いと偶然再会できまいかと探していた。
海へ遊びに来た悠介と紗季にたまたま会えたら、ということを私は特に空想していた。
高校を卒業して以来、二人とは会っていない。
私は県内に留まったが、悠介や紗季は都会の大学に行ってしまった。
その後の二人のことはなにも知らない。
まあきっと上手くやっているだろうとは思っている。
その二人になんの約束もなく再会して、二人が未だに仲良くやれている姿を確認してみたい。
二人で一緒に暮らしているとか、近々結婚する予定だとか、そういう話を聞かされたい。
会えなくても想像が膨らむから、それも楽しい。
そういうわけで海辺を歩いていたら、やけに綺麗な女性がサーフボードを抱えていて、おやおやと思って顔をよくよく見たら、千代子さんだった。
「えっ、千代子さん?」
驚いて声を上げると、千代子さんも私に気が付いた。
流石に千代子さんは私のことを覚えていたわけではなかったが、
「あなた、インコの子よね」
と言ってくれた。
「そうです。インコを連れて帰った、詠子です」
「ああ、詠子ちゃん。そうだった、そうだった」
「千代子さん、サーフィンするんですか?」
千代子さんのサーフボードは空や海よりも真っ青だった。
その青の上に描かれた黄色いラインはボードを越えてどこまでも伸びていきそうな勢いがあって、格好良かった。
千代子さんは得意げな顔をして、
「やるわよ。二十年くらい前に結構やったのよ。久々にやりたくなって、再燃したの」
と言った。
「いいですね。私も不老不死になったら、サーフィンとかダイビングとか、色々やってみたいと思ってるんですよ」
「別に不老不死にならなくたって、やればいいじゃない」
「いえ、まずは不老不死になりたいんです。またあの森を見つけて」
休みの日に私がやっているもう一つのこと。
それは千代子さんと出会ったあの場所への道を探すことだ。
きっとあの場所の入り口は一つじゃない。
だって現実離れした場所なのだから、入り口にだって不思議なルールがあるだろう。
そう見込んで、この海のある町でも私は入り口を探していた。
「それはたぶん無理じゃないかしら。あの場所に入れるのは一回きりだから」
あの時とは違って、諭す言い方を千代子さんはした。
かつてした説明を忘れていると思ったのだろう。
「それはあの時も聞きました」
だけど私はそのことはちゃんと覚えていた。
その上で私は入り口を探していた。
「でも、私はそんなのどうにかなると思っているんです。だって人間は普通死ぬのに、死なない人間だっているんですよ? 普通は一回しか入れない場所に二回入る人だって、いるでしょう」
そう言ったら、千代子さんはめちゃくちゃに大笑いした。
あまりにも大きな声で、しかも長いこと笑い続けるものだから、周りの人から注目されてしまって、私は恥ずかしくなる。
笑いが収まるのに一分は要した。
その後さらに息を整えるのに一分くらいかかった千代子さんは、高揚した目ととても嬉しそうな顔をして私を見た。
「確かにあなたの言うとおりだわ。私ってば、どうしてそんな当たり前のことに気が付かなかったのかしら。思い込みって怖いわね」
と千代子さんは言った。
「その前になんでそんなに笑ったんですか。恥ずかしかったですよ」
「ごめんなさい。あまりにもびっくりしたものだから、笑ってしまったの」
「それにしたって、あまりにもな笑い方でしたよ」
ごめんなさいね、と千代子さんは謝るとともにまた少し笑った。
「でもあなた、変わったのね。詠子ちゃんのこと、はっきり覚えているわけではないけど、でも何年か前の詠子ちゃんはきっとここまでポジティブではなかったでしょう?」
覚えてなくてもわかるのは、私が永遠の命を持ち帰らなかったからだろう。
私も、千代子さんや千代子さんのもとを訪れた人たちのことをたくさん想像したから、千代子さんのことも私自身のこともよくわかる。
「全部、千代子さんのおかげです。あの不思議な場所で千代子さんと出会った時のことを、何度も何度も思い出しながら生きてきました。それで気が付いたことがあるんです。他でもない、既に永遠の命を手に入れている千代子さんが、不老不死の体のことを悲観していないってことです」
自分のことばかりを考えるから、不老不死を悲観してしまう。
だけど私は、最初から千代子さんを知っていた。
千代子さんのことを考えたら、そして将来不死になる人たちのことを考えたら、永遠の命は孤独にはならない。
「ありがとう。私は詠子ちゃんみたいな人が来てくれるのをずっとあの場所で待っていたの」
と千代子さんは言い、私たちは友達になった。
それから日が暮れるまで、私たちは永遠の人生をどう生きていくか語り合った。
たくさんの、数え切れないほどの趣味の話を千代子さんはしてくれて、私は不老不死になったらやりたいことランキングを発表した。
そしてもし私が本当に不老不死になれたら、二百年後の夏も海の色が青ければその時はまたこの海に来ようと私たちは約束をしたのだった。
千代子さんは今もあの不思議な場所で、死なない人間になりたい人を待っている。
だけど千代子さんはいつでもあの場所にいるわけじゃなくて、外出中の時もたまにある。
そういう時は、もしかしたら千代子さんは新しい趣味を作りに私と一緒にこの世界を散策しているのかもしれない。
二百年後の夏も海の色が青ければ 近藤近道 @chikamichi
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