第8話

彼にこれほど会いたいと思ったのは初めてだった。面会室に通されるといつものように志田は先に座っていた。隣には誰もいなかった。正面に座って今までで一番行儀正しく彼と対峙した。

「見たところ大丈夫そうだね」

志田はやさしい口調で語りかけ、それとなく僕の様子を探っているようだった。

「びっくりしたよ、僕が出て行って何分もしないうちに打ち切りになるんだから、あの日何があったんだ?吉原君に聞いてもはぐらかされるだけで何も言ってくれないんだ」

「裁判はいつ始まるんですか」

「えっ」

「早く裁判を始めてください。僕は早くこのことを終わらせたいんです」

「早くといわれても、まず初公判はこちらの都合で始められるわけじゃないからね」

「僕は心から反省してます、罪を償いたいんです」

「どうしてそんなに急ぐ必要があるんだ、こっちだって準備ってものがあるから」

困惑していた志田の言葉遣いが段々と荒っぽくなるのがわかった。

「今私は君を弁護するための準備を懸命にしてるところなんだ。吉原君だってそう。ついさっき電話が来てね、あれからまた調べなおしたら君に関する新しい証拠をつかんだってこの後会うことになってるんだ、だから君も・・・・・・」

「だめだ」

僕は声を張り上げて言った。

「どうしたんだ。だめって吉原君に会うのが?」

「吉原さんとはもう会わないでください」

「どうして。吉原君は君に有利な証拠を持ってきてくれるかもしれないんだよ」

「とにかく吉原さんと会ってほしくないんです」

「吉原君はあの日、もしかしたら無意識に君を侮辱するようなことを言ってしまったかも知れないって反省してたよ。実際のところはどうなのかな、もしあったとしたら連れてきて直接謝罪させるよ」

「会いたくないんです。志田さんとも会ってほしくない。僕の頼みが聞けないんですか。あなたにとって僕は依頼人でしょ」

そこまで言うと志田は分かったといって納得してくれた。この後吉原と会う約束もキャンセルすると約束してくれた。吉原は重大な事実を知っている。でもまだ志田には話していないようだった。これ以上吉原と関わることは危険でしかない。あいつはぼくとはるなんの絆を引き裂こうとしている。


 信じがたい光景が目の前にあった。あれほど言って聞かせたのに志田がまた吉原を連れてきていた。やはりお互いに誤解があったみたいだとか言って僕との約束を簡単に破った。もう一度二人きりで話してごらんそう言うとあの日みたいに吉原を残して部屋を出ていこうとする。どういうわけか志田は僕と吉原が必ず分かり合えると確信しているみたいだった。吉原は椅子をどかして真ん中に移動し僕と吉原はあの日のように向かい合った。

「久しぶりだね」

「あなたと話すことはなにもない」

「別に何も話さなくていいですよ。今日は僕が話をしに来たんで。かと言って聞きたくなければそれでも結構です。独り言だと思って無視してくれてかまわないので」

吉原はメモ帳を取り出すと人の名前を挙げ始めた。

「私は以上の方に接見してきました。これらがどういう人間かというと雛見はるかの事件で捕まった、現在拘留されてる犯人たちの名前です」

「私は彼らにあなたにしたのと同じ質問をしました。彼らは激しく否定しましたが私が何回か通って同じことを尋ねているうちに彼らに変化が表れ始めました。そしてついにそのうちの一人が私に話をしだした。すべて雛見はるながやったことだと」

「うそだ」

「このことを伝えると彼らは次々に真実を語り始めた。あとはあなただけなんですよ」

「何を言ってるんだ」

「あなたは雛見はるかのためにやっているつもりかもしれないがもうそうじゃないんだ」

「だってはるなんと」

「彼女は病気なんだ、でも彼女を病気にしてしまったのは僕たちかもしれない。だったら僕たちの手で区切りをつけないと」

「僕は違う僕だけは」

「もう警察にもマークされてる。雛見はるかが捕まるのは時間の問題だ。そうなれば君のしていることに意味はない」

僕は言葉を失った。少しして志田が部屋に戻って来た時も。吉原が帰って志田と二人きりになった時も一言もしゃべらなかった。そのあとの何日かおきに来る志田との面会でも僕は一言もしゃべらなくなった。


 アクリル板の向こうで志田が何かをしゃべっているのは分かる。時々志田は疑問形で僕に話しかける。その度に無念そうな表情を浮かべる。

「一週間後には初公判が始まる。それに向けて何か言っておきたいことはあるかな」

僕のいつも通りの反応に志田は大きなため息をついた。それからお互いに無言の時間がしばらく続いた後今度は僕のほうから声をかけた。

「僕はやってない」

久しぶりに発した声はうまく音にならずに喉の奥で詰まった。

「え?」

志田は予期せぬ反応に前のめりになった。

「なんて言ったんだ」

「僕はやってない」

囁くように言う。

「やってない。何を」

「僕は何もやってない。全部彼女にに命令されてやった」

「彼女?」

「雛見はるか」

「その人に言われてやったっていうのか」

「はい」

「それが本当だとしたら大変なことになるぞ」

志田は興奮を隠せない様子だった。

「しゃべる気になってくれて本当に良かったよ。裁判が控えてるのにこのまま何も話せないままだったらどうしようかとおもちゃった」

「僕はこれからどうすればいいですか」

「でもね、残念だな」

志田は急に大げさに嘆くように言って、天を仰いだ。

「聞きたいんだけどどうして急にそんなこと言いだしたんだい」

「言えなくて」

「信じてたんだよみんな。だって君ははるなんに頼まれたんだろ」

「えっ?な、なにを」

「だめじゃないかはるなん推しがはるなんを裏切ったら。はるなんを守れるのは僕たちしかいないんだよ。まぁ君も所詮その程度のファンだったということだね」

「志田さん?」

「君は大丈夫だと思ったんだけどな、はるなんに伝えておくよ」

志田は常軌を逸していた。こいつはいったい何のために僕といたんだ。今日は朝から蒸し暑いのか志田は珍しくスーツの上を脱いでいる。面会を早めに切り上げる志田の後ろ姿にはワイシャツら透けて見えるはるなんのオリジナルTシャツのキャラクターが笑っていた。


一週間後の初公判は予定通り開かれた。聞いていた話と違うことは僕が8件の殺人罪で起訴されたということ。今まで捕まった犯人たちがそろって僕を首謀者だと名指ししたらしい。法廷に最後に入ってきた裁判長は60代の男で顔はとても不細工だった。

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