竜と騎士と女神の物語

白里りこ

これは私の物語


 付和雷同。それが、私の人生を一番よく表している四字熟語だと思う。


 特にやりたいことも目指したいものもない。ただ、人生のレールを踏み外したくないから、いつも周囲に同調し流されている。

 

「ねえ、スタバ寄って行かない?」

 帰り道、高校の友人が提案し、皆は口々に賛同した。

「あっ、今タピオカのフェアやってるよね!」

「ミルクティー!」

「え、絶対行かなきゃ」

「行きたーい」、と私も言った。タピオカもミルクティーも特別好きなわけじゃないけど、周りが飲むと言ったら飲むのだ。

 いつもこうやって、フワフワと他人の言いなりになっている。自分で何かを判断したり決定したりするのは面倒だ。でも、


「つまらない」


 帰宅後、洗面台の鏡に映る特段かわいくもない顔を睨みつけて、呟いた。

 周囲と似たような髪の毛の色と長さ。周囲と似たような制服の着こなし。周囲と似たようなメイク。

 私はフツウの人間でありたいと願っている。変わり者になりたくない、はみ出しものになりたくない。他者に認められる自分でいたい。

 そうやって周囲に合わせて合わせて、結局、自分では何も決断しないまま、他人様、世間様の言いなりで。そのために必死になって生きている。

 時折、不安になる。

 本当にそれでいいのかと。


「あーあ」


 私は鏡にガンッとおでこをぶつけた。

 鏡面がぽよんとゼリーのように揺れて、波紋を描いた。

「?」

 鏡の向こうへ、頭から引きずり込まれる感覚がする。

「え、嘘、ちょっと待って何これ……ムグゥ」

 それっきり、私の意識は途切れた。



 気付いたら私は真っ白な空間に浮かんでいて、目の前には妙ちくりんな女性が浮いていた。

 引くほど露出度の高い白い服を着ていて、手にした錫杖のようなものはやたらと豪華な金色に輝いている。髪は黄金色、瞳は空色。

 何のコスプレだろう。何と言うか、イタい。


「こんにちは。あたくしは物語を司る女神です。突然ですが貴女は、物語の世界に引き込まれてしまいました」


 声も謎にエコーがかかっていて正直ちょっとウザイ。そして言っていることの意味が分からない。


「こうなってしまったのは仕方がありません。神の御意志ですからね。もし元の世界へ帰りたければ、貴女は主役となって冒険をするのです」

「……あのー、意味が分からないのですが」


 と言いたかったのだが、わたしは気づいた。

 口が無い。

 というか体が無い。手も足も腹も頭も無い。

 おかしいな。

 では私はどうやって存在し、この光景を見聞きしているのだろう?


「ああ、そういう細かい設定はいらないのです。読者が飽きてしまいますからね。いいから貴女はこれまでとは違う姿と違う能力で、物語を終わりまで導く必要があるのです。……どうせ」


 彼女の声に微かな侮蔑が混じった。


「これまでは脇役としてヒッソリと無意味に人生を費やしていたのでしょう? そんな貴女に、ほんの短い間だけでも主人公になれる機会を与えると言っているのです。断る理由なんてあるわけがない」


 私はムッとして彼女を睨んだ。いや、眼球が無いので睨むことはできないけれど、なんかこう、相手に敵意を向けた。しかし彼女は気にした様子もない。


「あちらへ着けば、貴女が何をすべきか分かるはずです。困った時は呼んでくれれば行きますから。じゃ、いってらっしゃーい」


 ふっざけんな。一つも意味が分からんぞ。


 そう思った時には、私は地面に仰向けになって、見たこともない星空を眺めていた。

 むっくり起き上がって異変に気付く。

 立派な鎧と見たこともない衣服を身に着けていた。左腰には太刀、反対側には革袋をぶら下げて、首には青色のスカーフを巻いている。


「……」


 あまりの急展開に頭が追いつかない。でも、私は知っていた。この世界が何なのか、これから私が何をすべきか。


「私は……騎士」


 雇い主の依頼により、これから単身で、目の前の洞窟に棲む悪しきドラゴンを斬りにゆくのだ。


(物語って言ってたけど……)


 これが竜退治の英雄譚ならば、この場面、早くも終盤クライマックスなのでは?


(まあいいか……それが私の使命なら。ちゃっちゃと倒して帰ろう……)


 私はすらりと剣を抜いた。

 刀身に月光が映し出した顔は、私とは別人だった。

 切れ長の糸目に紺色の瞳、きりりとした口元、男子と見紛う黒のベリーショート。肌は白くて、鼻筋はすっと通っている。

 鎧に守られた体は頑丈かつしなやかで、背丈がすらりと高い。筋肉がついていて全身がきゅっと絞まっている。そして何故か巨乳である。余計なお世話だ。


「はぁー」


 私は一旦、刃を鞘に収めた。

 美人だなと思う。本来の私よりずっと。


 あの女神とやらは、私の人生も能力も容姿さえも、全否定するつもりらしい。


 少し、もやもやする。

 本当にこれを“私”と呼べるのだろうか。


 そう思ってから、自嘲した。

 これまでだって、私は“私”を生きてなどいなかったではないか。大した差はないのだ。あーあ。


 私が考え込んでいると、どこからか声が響いた。


「細かい設定はいらないと言ったでしょう?」

「! え……」


 私は辺りを見回したが、誰もいない。


「いいから竜を倒しにゆくのです。でないと物語はずっと停滞したままになりますよ」

「……」


 知ったことか、と言いたいところだったけれど、このまま帰れないと私も困るので、無言で立ち上がる。


「そうそう。ガンバッて下さいね」


 勝手なことを言う。

 月明かりを頼りに、ガチャガチャと鎧を鳴らして、私は坂道を登った。体は冗談みたいに軽々と動く。


 洞窟の入り口に立つと、真っ暗な奥の方から「ずごごごご」という音が断続的に聞こえてきた。おそらく、竜の鼾だ。

 私は荷物の中から何やら道具を出して、慣れた手つきでカンテラを灯した。自分でもどうやったか分からないが、とにかく出来てしまった。


 そろり、と闇の中に入り込む。

 冷んやりと静謐な空気が体を包んだ。

「ずごごごご」

 竜が起きる気配は無い。


 凸凹した壁に手を添えてゆっくり奥へと進むと、突如、ひらけた場所に出た。

 天井は先程までよりもグッと高くて、明かり取り窓のような穴から月の光が差し込んでいる。

 その下で、紅い竜が、体を丸めて眠っている。その姿は神々しいほどだったが──

「ずごごごご」

 いい加減、うるさい。


 私はカンテラを地面に置いた。しゃらりと再び剣を抜いて、構えを取る。


(恨みはないけど、言われた通りに斬るのが私の仕事だ。……覚悟)


 気合いを溜めた時だった。

 ぱちん、と竜が瞼を開けた。


 ヒッ、と私は息を吸い込んだ。

 駄目だ。よく考えたら私は、剣を握ったこともなければ、巨大な爬虫類を殺した経験もない。いきなりこんなミッションを課せられても、気持ちの整理がつかない。あの鋭い牙で真っ二つに裂かれるバッドエンドが、目にちらつく。


 しかし私の(?)記憶と肉体が、私の心を押さえ込んだ。

 この戦いはイケると、私は知っていた。私(?)は人間だって竜だっていくらも殺してきたのだ。命のやり取りなど大したことじゃない。剣の振り方だってちゃんと分かる。

 私は呼吸をととのえた。

 大丈夫だ。仮に相手が目覚めても平気だと踏んだから、私はここへ忍び込んだ。


「ふわーあ」


 竜が大口を開けた。私一人くらい余裕で入り込めそうな口内にずらりと歯が並んでいる。


「あらあら……小さなお客さんね」


 身を起こした竜は、天井に頭が届きそうなほど大きかった。お腹は丸くてクリーム色で、足の爪は私の肩あたりまでと同じくらいの高さで、尻尾は私を一撃で叩き潰せそうなほど太い。紅い鱗は、一つ一つが輝いて整然とその体を覆っている。

 竜は、その穏やかで眠たげな瞳で、私の剣を捉えた。


「まあ。わたしを殺しに来たの?」

「……そうだ」

「どうして?」

「そう、依頼されたので」

「誰に?」


 私は答えようとして、ズキンと頭に鈍い痛みを感じた。

 雇い主は……いる。いなければ私はここまで来なかった。

 しかしその実、雇い主は……何とも杜撰なことに、


(あの自称女神……。これのどこが物語なんだ)


 私はぷるぷると頭を振った。


「なんか、変な女神に。……とにかく、そういうことだから」

「まあ。わたし、何の罪科つみとがいわれも無く殺されちゃうの?」

「……え?」


 私の思考は一瞬フリーズした。

 これは、悪い敵の竜を退治する話ではないのか?

 竜による何かしらの被害があったから駆除するとか、そういう話ではなかったのか。

 罪科も謂れも無く──とは、どういうことだ。

 仮にも女神を名乗る者が、無実のものを殺せと命ずるものだろうか。


「そんな……そんなことはないはずだ。依頼が出ているのだから」

「そんなことあるわよ。どこぞのバカ者がわたしの心臓欲しさに刺客を差し向けたこともあったし、隣国の兵隊さんがわたしを脅威と見て襲いかかったこともあったわ。あなたの目的もそういう下らないものじゃなくて?」


 私は目を泳がせた。

 ……そういうことも、あるのか。

 確かに私は、詳しいところを知らない。知らされていない。ドラゴンを斬ること以外に関しては、とても無知な状態だ。


「でも私は、あなたを殺さないと帰れないから……」

「帰れるわよ」

「え?」

「千年を生き、天空を自在に舞うドラゴンだもの。わたしの知識を侮らないで。……そうね、あなた、騙されてるわ」

「へ……?」

「よっこいしょっと」


 竜は、宙空に前肢を伸ばし、ポスターか何かを剥がすのに似た動作をした。

 洞窟がベリベリと破れて、裏側から白い空間が現れた。


「ええ!?」


 発された声は二つ、私のものと、もう一つはあの女神のもの。

 私はその白一色の穴を覗き込んだ。

 物語の女神が、すっかり腰を抜かした格好で漂っている。


「ちょっと、こんなの反則じゃありませんか?」

「いきなり異世界人を連れ込んでひとを殺そうとする方が、よっぽど反則よ」

「だって」

「だって、何? わたし、大人しく寝ていただけなんだけど? あなたみたいな見ず知らずのチビちゃんの恨みを買った覚えは無いわ」

「だってあたくしっ……」


 女神は震えた。


「あなたの力が欲しいのです。あなたの心臓を食べて強くなりたいのです!」


「!」

 私は息をのんだ。

 これまではこの人の言葉を鵜呑みにするしかなかったから、言われるがままに剣を握っていたけれど……。

 私の中でだんだん、女神への不信感が膨れ上がってきた。


(……これじゃあ、何を信じるべきなのか……。どうしよう。早く、帰りたいのに)


 私の悩みを他所に、竜と女神はいがみ合いを始めた。


「だいたい、適当にそこらの異世界人を戦わせて、自分は楽をしようっていう姿勢が気に食わないわ。あなたが直接かかってきなさいよ!」

「ふん。今までは面倒くさがってただけですから。こっちだって本気を出したらスゴイんですからね」

「どうだか。やってみなさいよ」

「後悔するがよろしいわ、このデカブツさん。……闇の炎よ迸れ。必殺、ダークデモニックファイアボム!」

「ダッサいわね、はたき落としてやるわ! グオオオオ!!」

「はあああっ!」


 何だか私はそっちのけで、二人だけで火花を散らす展開になってきている。

「……あの!」

 私は声を張り上げた。

「私もう帰らせてほしいんだけど!」


 バッと、竜と女神がこちらを振り向いた。


「物語を終わらせろと、申し上げましたよね? ちゃんとあたくしの言う通りに、竜を殺しなさい!」

「騙されちゃだめよ、異世界人さん。この全ての元凶を斬れば、物語は終わるのよ!」

「えっ……えっ……そんな……」


 どちらが正しいのだろう。


(誰か、正解を教えてくれればいいのに! そうしたらその通りにするのに)


 でもどうやらこれは、自分の頭で判断するしかないらしかった。


 決めるのって、苦手なんだよ……。

 しかもどちらかを殺すなんて。そんな真似、私には——


「……できる……。やってやる……!」


 私はぎゅっと目をつむり、頭の中で懸命に天秤を揺らした。

 ドラゴンの主張。女神の真意。この物語。「私」の使命。


 今ここで、決断を。帰るために。自分の力で、決断を!


 私は、身体の震えを抑えるように、深呼吸した。


「……何にも分からない。だから、……私は、私の良心に従う」


 私は無理矢理に迷いを振り切った。四肢をばたつかせて、白い空間を彼女のもとまで泳いでいく。


「竜、手助けしてやる。私がこの傍迷惑な女神をやっつける」

「あらまあ、嬉しい」

「貴女、あたくしを裏切る気!?」

「利用しておいて何言ってんの、自称女神」

「何ですって」

「あなたの言うことは信用ならないって、私は判断したんだ。悪いけど……もう、決めたから!」


 言い切って、私は両の足を踏ん張った。

 めきめきと力が漲るのを感じる。幾多の命を斬ってきた私(?)の体が、最大限の力を溜め込んで、跳躍した。


「闇をも切り裂く一刀両断。食らえ、光明の一閃!」


 刃が女神の首筋へ迫る。彼女は目を見開き——そしてその首が飛んだ。

 血飛沫をまき散らしながら宙を舞ったその体を、竜が丸ごとぱくりと食ってしまった。


 いやにあっけない。これが、私(?)の実力か。信じがたいことだ。


「……ゴクン。やるじゃないあなた、悪魔を斬るなんて」

「あれ、悪魔?」

 いかにも聖女みたいな雰囲気を出しておきながら。

「おそらくそうね、だってコレ悪魔の味がするもの。不味いわ……」

「……これで私は帰れる?」

「そうなんじゃない? 随分とへなちょこな物語だけど、一応終わったもの。……ほら、あなたの体が光り出してる。世界間移動の前兆よ」

「……はあ……」


 なら、この美人の身体ともお別れか。短かったな。

 少し惜しいけれど、よかった。

 これで日常に戻れる。


「ありがとう、竜」

「わたしは何もしてないわよ? お礼を言うのはこちらの方」

「ううん。助けてもらった」

「そう? まあいいわ、異世界でも達者で暮らすのよ」

「そうする。あなたも元気で。……バイバイ」


 再び、私の意識は遠のいた。


 そして目を覚ますと、私は鏡に思い切り頭突きをかましていた。


「……痛い」


 私はまじまじと鏡を覗き込んだ。

 特別かわいくもない、しかし、紛れもない“私”が映っている。

 高校で仕入れた知識を持ち、バドミントンで鍛えた身体能力を持ち、親が生んでくれた肉体を持っている。

 以前、紺のブラウスが良く似合うと、母親が褒めてくれた身体である。

 私の身体。私自身の。


 これでいい、と私は考えた。


 一度“他人”になってみて痛切に感じた。

 私という存在が、唯一無二ものなのだと。


 そして、自分の力で物語を切り開いてみて、確信した。

 私はちゃんと、私の意志を持てるのだと。私は“私”を生きていると。


 ……私はこの人生の主人公なんだ。


 やりたいことも目指したいものもない。

 でも、自分の人生を自分のために歩んでいける。

 そんな、ほんのちょっぴり特別な女子高生。


 私はくるりと鏡に背を向け、キッチンへ向かった。

 妙ちくりんな体験をした私への、ささやかな褒美として、タピオカなしのブラックコーヒーを淹れるために。


 了

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