第4話「幸せって傍からみれば馬鹿みたいなもんだと思いませんか」
深鍋はその職業的見地から複数のホモサピエンス(♂)の情報を水子に提示した。水子からすれば可もなく不可もなくといった印象であったが、まずは会って見ることも大事だと諭され、何人かと会うことに決めたのだった。
さて。
スケジュールを調整してさっそく一人目と会ってみる。
「はじめまして。大海原です」
「はじめまして。パルテノン神殿です」
「珍しい名前ですね」
「信州の出なんです」
「なるほど」
水子は頷いた。こいつはダメだと直感した。
さて。
二人目。
「はじめまして。大海原です」
「はじめまして。リアス式海岸です」
「珍しい名前ですね」
「信州の出なんです」
「なるほど」
水子は頷いた。こいつはダメだと直感した。
さて。
三人目。
「はじめまして。大海原です」
「はじめまして。ゲシュタルト崩壊です」
「珍しい名前ですね」
「信州の出なんです」
「なるほど」
水子は頷いた。こいつはダメだと直感した。
さて。
以下略。
☆☆☆
というわけで複数の雄と対面してみたものの、ことごとく水子にとってハズレであった。
水子の報告を聞いて深鍋は露骨にため息をつく。
「まったく何をやってるんですか。あなたのご友人である
「すみません。でも、というか勝手に金子の情報を私に伝えていいんですか?」
「ダメに決まってるじゃないですか。だけどあなたのためにやっているんです。ちゃんと感謝してください」
「あっハイ」
水子は感謝を強制された。内心の自由の侵害だな、とどこかで聞きかじったことを思った。
「それでどうしましょう、どうすれば結婚できるんでしょう」
「妥協です」
水子の問いに深鍋が断言する。真摯な表情の上には化粧が厚塗りされていた。
「妥協という言葉が耳障りなら言い換えましょう。ご自身の理想を下げ、理想と現実の間隙を埋めるよう努力してください。古今東西結婚には天秤の釣り合いが求められるのです。密林奥地にいる鼻垂れボーズが中東の石油王の一人娘と結婚できますか、できないでしょう。極端な例を引き合いに出しましたがつまりはそういうことです。惑星地球は広いですが、それに比して個々人の世界はあまりにも狭い。人は自分の世界にいる者としか関われないのです」
「じゃあどうすればいいのですか?」
「己の世界を広げるのです。それしかありません。タピオカミルクティーに耽溺するもよし、ボルダリングに熱中するもよし、卵料理を極めるもよし、そして何より自分とは異なる人と会うのです。たくさんの経験があなたの世界を広げます。軽々に行きなさい。軽々に生きなさい。それこそが世界を広げる術なのですから」
深鍋が述べた内容は実に陳腐かつ平凡で、全く面白味のないものだった。まるで真実のようだった。そしてだからこそ深鍋の言葉は左耳駅発右耳行直行便に乗ることなく水子の胸中で途中下車したのであった。
それからの水子は実に精力的に活動した。具体的にはエンペドクレス・ダンスを習い、南北朝料理(大覚寺派)を極め、近代児童文学を読み漁った。
そして一年後、とうとう水子にやってきた。三十歳という年齢がやってきたのだ。彼女はいまだ独身だった。
「なんでじゃあああああああああああああ!!」
リヒテンシュタイン料理で有名なレストランにおいて水子は頭を抱え慟哭する。ゲリラ豪雨と二人で浴びるほどワインを飲んでやると決意して、果敢にワインを浴び続けた結果、とうとう水子の理性がお釈迦さまになったのであった。南無阿弥陀仏。
「運命が悪いのよ、運命が。全ては運命が悪い。ゲロ悪」
答えるゲリラ豪雨も赤ら顔で呂律が回っていなかった。もたもたと粉ものを牛乳で煮込んだ料理を口にする。
「私、こんなに頑張ってるのに! エスペラント語で日常会話できるのに! どうして結婚できないの!」
「エスペラント語で結婚したいって言ってみて」
「Mi volas edziĝi!」
「マジわからんし、マジうけますね。傑作です」
「Mi volas edziĝi!」
ゲリラ豪雨は穢れを知らない少女にようにケラケラと笑った。もちろんそれは錯覚だった。
「というかですね、あなたたちのせいで大変なことになったんですよ。ラブホ前で写真撮られてスーパーイケメン夫がいる人生墓場アドバイザーとかなんとかネットでバズっててんやわんやですよ。八年先まで埋まるとかありがたいをすっとばして意味不明ですよ」
「事実じゃん」
「事実ですけど! 事実ですけど! 事実ですけど勝手に期待して勝手に失望するのほんとやめてほしいんですよ! 結局どちゃくそキャンセルされて私のスケジュールがどちゃくそ凌辱されてる!」
「わかるー、ちょうわかるー、あっカルーアミルク飲みたーい」
水子は両手をあげてカルーアミルクを注文したが店員が申し訳なさそうに取り扱っていない旨をエスペラント語で述べた。代わりに芋焼酎の成瀬川土佐衛門(ボトル)を頼む。冷静に考えれば何故リヒテンシュタイン料理のレストランに芋焼酎が置いてあるのか不思議だったが、水子にそのような思考をする能力は残っていなかった。
水子はやってきた成瀬川土佐衛門をラッパ飲みする。
「あの時一緒にいた友達が紫プランとかいう人身売買スレスレなことやって結婚しようとしてるんですよね。でも彼女すっごい幸せそうで。何が正しいんですけゑね」
ウルトラハッピー・マリッジ(仔狗川店)に行った以来、金子とは疎遠になっており、数回会った程度であった。けれども彼女の近況はSNSで容易に知ることができた。インターネットの泥海には、褐色の肌を持ったアラビア系なイケメンボーイになつかれ破顔する彼女の写真がこれでもかとばかりに投稿されていた。水子はそれにうすらぼんやりとした嫌悪とまぎれもない羨望を覚えた。
ゲリラ豪雨の冴えないデブ顔から酒精の影がひき、微かに理性の光がさしこむ。
「あなたは人間ですか」
「人間ですよ」
「あなたは人間ですか女ですか」
「人間ですよ」
「じゃあ女としての幸せよりも人間としての筋を通してその上で幸福になることを目指すべきじゃないですか」
ゲリラ豪雨が正しいのか滅茶苦茶なのかよくわからないことを言いだした。
「いいじゃないですか、結婚なんてどうでも。結婚なんて酢豚のパイナップルとデッドヒートをくりひろげる程度の存在ですよ。なくてもいいじゃないですか」
「あんたがそれを言うか」
「言いますよ、私は人生墓場アドバイザー。美しい人生の終わりに向かって適切な助言をすることが私の仕事です。たとえ世界中の全てがあなたに結婚を迫ろうとも、それがあなたの幸せでないのだとしたら、私は職責に則って結婚に反対しますよ」
「何それかっこいい」
水子は生まれて初めてゲリラ豪雨を尊敬した。とりあえず手に持った成瀬川土佐衛門の焼酎瓶で乾杯した。
「結婚が素晴らしいのではない、素晴らしい結婚だから素晴らしいのであり、つまり結婚で最も重要なのは運命です。そう、それで思い出したのですが、以前あなたに食パンタックル法を試してもらって失敗しましたね」
「あれは酷かった。訴えたら勝てると思う」
「あれから長い間、考えに考え、私は思ったのです。食パンだったのが間違いだったのではないかと」
「なるほど?」
「食パンをくわえるというのは運命的に見ていささかオールドスタイルにすぎます。学校にいる頃なら食パンでいいかもしれないですが、年齢職業その他諸々にあわせて別のシチュエーションや小道具を用いるべきです」
「一理ある」
そうでしょうそうでしょうと頷くゲリラ豪雨の顔は真っ赤になっていて、まるで汚いトマトのようだった。
★★★
さて。
それからしばらくゲリラ豪雨が「酔いすぎてマーライオンの親戚になりそうなんで夫に迎えに来てもらいます」と惰弱脆弱貧弱見本市な発言をしたので、今夜はこれで解散という運びになった。
店前で別れてから、水子は走り出す。焼酎瓶を持って走り出す。走る走る走る。胃が蠕動する。街灯がきらきらとお星さまのように輝く。ちかちか。ちかちかしている。
「真夜中、酒瓶を持って曲がり角まで駆け出せばいいんですよ。実に乙女チックじゃないですか。そこに運命がありますよ」
ゲリラ豪雨は言った。それが正しいかどうか水子にはわからなかったが、間違いじゃなければいいなとアルコールにやられた脳髄が電気信号をあれやこれやした。
水子は走った。走る走る走る。そして曲がり角に勢いよく飛びこむと、水子はとうとうとうとう冴えないサラリーマンと衝突した。力尽きて倒れた。焼酎瓶だけは手放さなかった。
「え、ちょ、大丈夫ですか?」
どう考えても水子が悪いにもかかわらず、サラリーマンは跪いて水子の心配をする。
いい人だなと水子は思った。これが運命だったらいいなと思った。だけど現実とはクソほど薄情なのできっと違うんだろうなと思った。
どうしようもない。どうしようもなかった。だから水子は純粋だけを嘔吐した。
「あの、幸せになりたいんです。どうすれば、なれますか?」
サラリーマンは眉をひそめあからさまに困惑した様子だった。けれども彼は答えた。
「札幌ってしめにラーメンじゃなくてパフェ食べるのが流行ってるみたいなんですよ。しめパフェ。しめパフェとか食べたら幸せっぽくないですか」
「何それ馬鹿みたい」
「ですよね」とサラリーマンはやわらかく苦笑した。「だけど幸せって傍からみれば馬鹿みたいなもんだと思いませんか」
水子は泣きたくて泣いてしまって、だから「結婚してくれませんか」と言った。それは祈りによく似ていた。
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