第41話「活発」

「久しぶりだねぇ。泰くんと打つの」

 店内を見渡し、適当な場所を探しながら美咲がつぶやく。


 歩きながら、清潔とさえ感じられる空間が広がっていることに、泰は意表を突かれた気持ちだった。店自体は結構な年季が入っており、壁や机などところどころに傷や染みが見られるものの、杜撰ずさんに扱われたがゆえのものではなく、この空間が数多くの人々に愛されてきたがゆえのものであると直感するほどには、室内は泰にとって不快感のないものだった。どういうわけか美咲が関わっているらしく、それゆえに好意的に解釈してしまう面もないわけではなかったが、それだけではない心地よさ、あるいは誠実さを感じた。これまで訪れたどの碁会所よりも、泰はポジティヴな印象を抱いた。


「そうだな、懐かしいわ。懐かしすぎていつ振りかわかんねぇ」

 昔と変わらない調子で返答しながらも、直之の記憶が介在して美咲が動揺しやしないかと、泰は内心では深憂しんゆうに堪えなかった。

「あそこの奥行こっか」

 昔話を展開する様子なく本題へと戻る美咲を見て、泰はつかの間ほっとする一方で、美咲の心理をみきれずにいた。


「ってか美咲ちゃん、ここで働いてるの?」

 席につき、ナチュラルに微笑しながら尋ねる。

「ちょっとお手伝いしてるだけだよー。半年くらい前からかな。たまたまこの近く来たときに、下にスタッフ募集の貼り紙あってね」

「へぇー」

「この碁会所、けんさんと奥様の二人でやってるんだけど、最近奥様が具合よくなくて入退院を繰り返してて。あっ、健さんって、受付にいたマスターね。だから休みの日とか、時間あるときに手伝ってるの。まあ、お客さんに混ざって打ってることも多いけど」

 話しながら清澄せいちょうな笑みをたたえる美咲を見て、大学時代と変わっていないことを確かめ、泰は安堵する。好奇心に富み、行動力のある美咲。一途で、思いやりがある美咲。直之とたもとを分かっても、囲碁への情熱を少しも失っていない美咲。


「美咲ちゃんと打てたら、お客さんも嬉しいでしょ」

「そんなそんな。私が一番楽しんでるよー」

「ははは。にしても、綺麗なお店だね。下の看板見たときは、どんな古い店かと若干びびってたけど」

「ここのお客さん、みんな優しいしマナーも良いから、綺麗に使ってくれるの。碁石洗いとかも、常連の方が手伝ってくれたりね。そっかー、看板も新しくしないとなぁ」

「あれ、置いたの美咲ちゃん?」

 微笑と相づちで共感を示したあと、室内の中ほどに設置された真新しい空気清浄機を指して訊いた。

「うん。もともと分煙はしてるけど、やっぱり吸わない人は気になるだろうし、冬はインフルエンザ対策とかにもなったりするからあるといいかなーって思って、健さんに話して買ってもらったの」

「そっか。いい配慮だね」

 つい、昔の話を口にしそうになるも、泰は器用に思いとどまる。


 大学時代、美咲は囲碁部における各種備品の新規購入や追加等について積極的に提案していた。そもそも人が少なく、活発に機能しているとは言いがたい部であるから、当時の部長やほかの部員――直之と泰を除く――は難色を示すこともあったが、美咲のアクションにより部内が活気づき、部としての体裁が保たれていることもまた誰もが解っていたため、美咲の提案はその都度なにかしらの形で活かされていた。


「じゃあ、そろそろ打とっか」

 ふわりと微笑み、美咲が言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る