第33話「孤立」

「WANDS……?」

 岩永が、直之にいぶかしげな視線を向ける。

 クラスメイトたちも、なんだそれはと言わんばかりの雰囲気を漂わせながら、適度なざわつきを展開している。


「はい。僕、WANDS大好きなんですよ! 先生も知ってますよね?」

 直之が、場違いともいえる快活さで返答する。

 ふだん特別に明るいわけでも暗いわけでもなく、そもそも言葉数の少ない直之がそのような態度を示していることに、周囲の男女は意外そうな顔をしていた。


「ええ。昔売れてたから知ってるけど……そんな曲あったかしらね」

「四年前に出た曲なんですよ。第二期のラストシングル。めちゃくちゃかっこいいですよ! とりあえず聴いてみましょう!」

 一人盛り上がる直之から八センチシングルを手渡され、岩永が不承不承ふしょうぶしょうたる表情で教卓に置かれたCDラジカセにCDをセットする。

 

 再生ボタンを押すと、柴崎浩によるあやしげなエレキギターの音色が響いた。ギターサウンドを後押しするかのようなどっしりとしたドラムも、確かな存在感を示している。

 上杉昇の激越げきえつな歌声も含め、全編とおしてハードロック色全開の『WORST CRIME』を前にして、生徒たちは思わず圧倒されているように直之は感じ、また、日ごろから音楽に馴染みの薄い彼らには少々刺激が強すぎるだろうかと思った。


 一曲流れている間、岩永はCDジャケットの内側に印刷された歌詞に目を向けていた。直之は、真ん中どころの自席で首や肩を小刻みに揺らしている。この曲に合わせて綱引きやクラス対抗リレーなどを行えたらいつも以上の力を発揮できそうだなと、直之は想像をめぐらせていた。


『WORST CRIME』が終わると、カップリング曲が始まる前に岩永がCDラジカセを止めた。教室は、数秒の沈黙に包まれる。


「どうです? いい曲でしょう?」

 起立し、岩永とクラスメイト全体を見回しながら、直之が満悦の様子で静寂をほどく。

 楽曲のヘヴィな世界観に驚きつつも、なんだかんだで肯定的なリアクションを呈するだろうと直之は楽観的に考えていたが、生徒たちは実に索然さくぜんとした表情を浮かべていた。彼らの表情はWANDSの曲に対してだけでなく、それを自信たっぷりに提案した直之の心中や、直之という人間そのものへの感想であると容易く想像しうるものであった。


「意味わかんねぇし。なんでこれが運動会?」

 全体の疑問を代弁するように、河合かわいという男子生徒がつぶやく。

「WANDSなんて聞いたことねえ。もっとみんなが知ってるやつにしろよー」

「あっ、俺、名前は知ってるかも。前に、高校生の兄貴の部屋にCD置いてあったけど、もう飽きて売ったっぽい」

「あーあれでしょー。みんなが知らないようなロックとか聴いちゃうぼくイケてるみたいなー」

「それなー。モー娘。とか嵐とか聴いたあとにこれって、超しらけるぅ」

 

 だれか一人が口火を切るとぽつぽつと追随しだすという日本人に顕著な行動パターンの例に漏れず、男子も女子も次々に恣意的なコメントを投げる。

 やはり彼らには早すぎたかもしれないなと、直之は諦めを付帯させた半笑いを浮かべる。


「内田くん、タイトルの意味、わかってるの?」

 曲が始まってからずっと黙っていた岩永が、いつものハスキーな声で尋ねる。

「はい、もちろん! “最悪な犯罪”ってことです。ちなみに副題(About a rock star who was a swindler)は、“詐欺師だったロックスターについて”ですよね?」

 わからないものは自分でとことんまで調べるのが直之のスタンスだが、さすがに小学五年生で関係代名詞を用いた英文を読み解くのは困難で、通っている学習塾の講師に質問して理解した。


「河井くんも言ってたけど、どうしてこの曲がいいと思った?」

 岩永の口調は落ち着いているものの、しかし確かな敵意がこめられていた。

「どうして……深い理由はないですね。単純に大好きな曲なので。それに、勢いあるから運動会にもいいかなと思ったんですが」

「でも、だれも知らないよね。私も含めて。みんな、聴く人のこと考えてある程度有名な曲とか知ってそうな曲とか、選んで持ってきてるんだけど。そういうこと考えなかった?」

『WORST CRIME』は、一つ前のシングル『Same Side』での大胆な路線変更――それまでの大衆ポップス路線から、グランジ・オルタナティブ系統への転換――をさらに推し進めた攻撃的なサウンドの楽曲だが、従来の路線を期待するファンが離れて売上を大幅に落としたため、岩永が知らないのも無理はなかった。


「えっ、そうだったんですか? そういう説明はなかったと思うんですけど、聞き逃してたかなぁ……?」

 直之が、あごに手を当てて首をかしげる。


「いや、確かにそこまで言わなかったけどさ、みんなそのへんは察していたと思うよ。まあそれはいいとして、そもそも犯罪とか詐欺師とか、そういう言葉が主張される曲を提案するのはまずいんじゃないかなとか、そういうことは少しも気にならなかった?」

 岩永お得意のあきれ顔に近い半笑いが飛び出し、教室の空気が変化した。岩永から注意や指摘を受けるとき、教室のなかはたちまち哀感を帯びる。たとえそれが正論であったとしても、彼女の物言いや口調は直之に微かな虚脱感をもたらす。


「先生が、新鮮なアイデアがほしいって言っていたから、僕は僕なりに考えて、いいと思う曲を選んだんです。歌詞の内容までは、ちょっと考えられませんでしたけど……でも、国語の授業をするわけじゃないし、別にいいのではないでしょうか?」

 直之の表情からは、先ほどまでの明るさはすでに消え失せていたが、間違った言動はとっていないという確信を携え、直之は教壇に立つ中年教員を見据えて答えた。

「はぁ……」

 教室の真ん中に直立している男子生徒を見て、岩永はうんざりしたようなため息をこぼす。


「悪いけど、それって、あなたの勝手な解釈だよね。新鮮な意見がほしいとは言ったけど、なんでも好きな曲を持ってきてくださいって意味じゃないことぐらい、五年生にもなればわかると思うけど」

 数名の生徒たちが、同意するように小さくうなずいている。


「なにか言いたいことある?」

 岩永ともめると、最後の言葉は決まってこれだ。この言葉を聞かされると、直之は自身のこだわりも意見もあるいは納得のしがたい説明も、すべてどうでもよく思えてしまう。


「いえ、大丈夫です。すみませんでした」

 直之は軽く頭を下げ、持参した八センチCDを受け取りに前に出た。 

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