第32話「提案」

 担任の岩永いわなが――四十しじゅう手前の、ハスキーな声をした女性教員――から、秋の運動会で流す曲についてクラスのみんなで意見を出し合うように言われたのは、直之が小学五年のときだった。

 

 無難に『天国と地獄』や『トランペット吹きの休日』などの定番曲を使い分ければよいのではないかと思い、直之は岩永の意図するところをつかめずにいた。岩永いわく、生徒たちの純粋で、ときに斬新なアイデアはこうした些細なところにも活かしうるものがあるし、みんなで決めることにより運動会への団結力を生み出すことにもつながるということだった。

 

 岩永が、直之のばか正直でマイペースなところや、あるいは他のクラスメイトと一定の距離感があるところなどをあまり好ましく思っていないことは、直之自身もそれとなく感じていた。直之もまた、岩永のことをそれほど快く感じてはいないとはいえ、別になにか危害を加えられるわけではなかったので――テストの際に解けない問題にこだわって先へ進めないことを厳しく指摘してきたのは岩永だったが、その指摘はもっともなものだと直之もわかっていたので、すぐにめ直せるわけではないにしろ素直に注意を聞き入れた――、特別に苦手意識を抱くようなことはなかった。


 人によりけりであるにせよ、世間で流行している音楽などに本格的に興味をもつのはおおむね中学生かららしく――その根拠は定かではないが、そういう統計を直之はテレビ番組で目にしたことがあった――、そのデータの正しさを証明するように、クラスメイトのなかで音楽への興味関心の強い人や音楽に詳しいといった人はこれといっていなかった。当時は、携帯端末やインターネットがいまほど身近なものとなっていなかったこともまた一因だろう。少なくとも、自分ほど音楽に親昵しんじつして暮らしている人はいないように直之には見えた。


 岩永の言葉を聞いたクラスメイトたちはざわついていたが、次第に女子生徒たちから、モーニング娘。やSMAPなどの歌手の曲名が挙がった。そうすると男子生徒たちも徐々に主張し始め、ポケモンや遊戯王などのアニメのテーマソングや、スーパーマリオやドラゴンクエストといった流行ゲームのBGMなどを提案した。

 クラスメイトとの会話が少なく、休憩時間もほとんど一人で過ごす直之は、周りの人間が何に興味関心を持っているのかをあまり知らず、なるほどそういうものが流行りなのかと、物珍しそうに彼らの意見に耳を傾けていた。


 翌日、岩永は生徒たちに、運動会で流したい曲の音源――CDやカセットテープ――を持参するようにと話した。その日の午後の音楽の時間を借りて、クラス全員で鑑賞会かつ選曲会がなされたのである。音源を持ち合わせていない生徒については事前に岩永が聞き取りをして近所の図書館で探すなどして、可能な範囲で対応した。


 むろん、クラス全員ではない。三十人のうち、リクエストがあったのは半数程度であった。その半数のなかに直之が含まれていることを、クラスメイトや岩永は意外に感じている様子だった。直之の日常生活において音楽がどれだけ密接なものか、また直之が音楽への情熱をどれほど持ち合わせているのかということを、彼らは知らなかったのだ。


内田うちだくん、君が持ってきた曲は?」

 岩永が、独特のかすれた声で質問する。


「はい。WANDSの『WORST CRIME』です!」

 持参した八センチシングルを掲げて、直之は嬉々とした表情で答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る