第31話「静思」

 小学時代の休み時間に誰かと過ごした記憶が、直之にはほとんどなかった。


 思い出せないだけで実際は何度かあったに違いないが、その何度かは直之にとってはないも同然の無味乾燥たるものであったのだろう。

 中休みのはじまりを知らせるチャイムが鳴るやいなや、大半のクラスメイトが駆け足で教室を飛び出していたことを直之は憶えている。女子生徒は往々にして大人びているのでさほどでもなかったが、低学年や中学年のころは男子も女子も休み時間に校庭で遊ぶのを待ちわびているようにみえた。

 

 仕事のあいまのわずか十分や十五分の休憩さえも愛おしいように、直之は休憩時間というものを当時から大切に感じていた。それ自体はいたって凡庸な感覚だが、時間の使い方という観点では個性を放っていた。

 

 小学時代、昼休みは二十五分だった。昼休みにも一応はじまりのチャイムはあるものの、多くの生徒はその前に給食を食べ終え、その時点から昼休みをスタートさせていた。直之もたいていは少し早く食べ終えていたので、三十分から三十五分ほどの休み時間を確保していた。

 給食を済ませると直之は自席に座って目を閉じ、その日受けた授業の内容に思いを致す。算数でも社会でも、あるいは図工でも体育でも、一科目あたり一分ほどを目安に静思せいしした。ひとつひとつの物事において他人よりも時間を要する直之にとって、そうした確認作業は次回の授業を受けやすくするために重要なことで、また自分にとっての誠実な行いだった。教科書やノートは開かなかった。昼休みにとる行動としてそれは“過ぎたこと”であると、直之は考えていたのである。


 昼休みがはじまっているにも関わらず、目を閉じたまま微動だにせず座っている様子を不思議に思ったクラスメイトから声をかけられたこともあったなと、直之はWALKMANを操作しながら思いめぐらす。何度目かの尿意を覚えつつ、もう少し持たせられるであろうと考え、小松未歩こまつみほのアルバムをセレクトした。

 

 なにやってんの? とか、どうかしたの? といった声かけだった。相手が誰であろうと、あるいはどんな聞き方をされようと、そのたびに直之は丁寧な説明を返した。そのルーティーンは、しかし能天気なクラスメイトたちには理解の難しいところであり、また、何気なく尋ねただけなのに予想外の熱心さでもって語り出す直之を見て、彼らは面倒くさそうな表情を浮かべた。

 数分の確認作業が終わると、直之は教室を出て校内を適当にぶらついた。校庭に出るのが嫌いなわけではなかったが、活発な男女のボール遊びやら鬼ごっこやらを眺めているよりも、老朽化しつつあるさびれた校舎の薄ら寒い廊下や室内でぼんやりとしているほうが、直之の性には合っていた。


 学校内に冷暖房はなかった。そのため、七月などは辛苦しんくをなめるような暑さが立ちこめていることもあったが、人の少ない廊下やトイレ、あるいは(屋上が閉鎖されているため誰も寄りつかない)最上階へ続く階段やその踊り場などに佇んでいると、直之はひんやりとした気分になった。身体的にというよりは、精神的な意味合いが強かった。大勢のなかにいるよりも一人を味わうことのほうが自分にとって心やすいものであると、直之は十歳の若さにして自覚したのである。


 寂しいだとか退屈だとか感じることはなかった。一人の時間、直之のそばにはいつも音楽がいた。当時は携帯電話や音楽プレイヤーなどを持っていなかったが、口ずさんだり頭のなかで鳴らしたりすることで、直之は十分身近に感じることができた。

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