第30話「両親」

 小学時代の直之にとってもまた、音楽が日々の活力であり心の栄養剤であり、また親友でもあった。


 両親の影響により、直之は幼いころから音楽に親しんできた。音楽の著作権に関わる仕事に就く父は、よく自室でギターを弾いた。エレキギターやガットギターなどを五、六本所持しており、曲に応じて弾き分けていた。

 

 父は、浜田省吾の熱烈なファンだった。休日は、丸一日自室にこもって彼の曲を弾き語ることもあった。

 音楽家志望などではなく単に趣味で嗜んでいるらしかったが、ギターも歌も達者で、本気で目指していればその道で食べていくことも叶ったかもしれないと直之は当時から思っていた。戸を閉めた父の部屋からきこえてくるエレキギターの音色や、やや鼻にかかった低い声を、直之は心地よく感じたものだった。


 区麗情を中断し、直之は浜田省吾のアルバム『その永遠の一秒に』をセレクトする。

 父ほどは浜田省吾に心酔しなかったものの、アルバムをほとんど聴いており、それぞれの曲順まで憶えている程度には聴き込んでいた。それは父による刷り込みに近い側面があるにしろ、直之の音楽生活において浜田省吾が欠かせない一人であることには、なんら疑義を呈する余地がない。


『その永遠の一秒に』は特に陰鬱とした色合いのアルバムだが、直之は小学五年のときから今でも、彼のCDではこれが一番の気に入りである。

 冒頭の『境界線上のアリア』が流れ、直之は商店街を行き交う人々を眺めながら口ずさむ。クラシックの名曲を彷彿とさせるタイトルらしからぬ打ち込み主体の躍動感あふれるサウンドは、彼の数ある楽曲のなかでも出色しゅっしょくの出来ばえだ。


 直之の母は、ギターではなくピアノを弾いた。

 母の場合、父のギターのように頻繁ではなく、時折思い出したときに弾く程度のものであった。

 母のピアノもまた、直之は気に入っていた。決して手練しゅれんではないが、一音一音を噛みしめて弾くような力強さや手厚さが伝わってきた。ときどき、弾く場所を誤って場違いな音色が飛び出したとき、ほんの少しだけ舌を出しておどけて見せる母の笑顔はたいそううるわしいものであった。当時子どもながらに、その一瞬だけ恋心のような淡い感情を抱いていた気がすると、直之は浜田省吾を聴きながら思い返す。

 

 母は、九十年代のBeing系アーティストを好んでいた。ZARDやDEENや小松未歩こまつみほなど、毎日のようにリヴィングでCDを流して口ずさんでいた。

 直之も自然と憶え、WANDSの『時の扉』などをよく母を真似て歌っていた。当時、直之は時の扉を、“ちょきのちょびら”と間の抜けた発音で口にしており、それをきくたびに母は半笑いになっていた。


 小学校に上がったころには『時の扉』を正しい発音で歌えるようになり、母がもっとも聴き込んでいたWANDSを中心に、直之は自発的にCDを再生したり歌詞カードを眺めたりすることで音楽を堪能していた。

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