第29話「愚直」

 アルバム表題曲『Shangri-la』を聴きながら、直之は小学時代にこうべめぐらす。

 

 当時、直之は人に恵まれない日々を送っていた。

 恵まれないという基準は人それぞれに異なるであろうが、少なくとも周囲に――家族を除いて――尊敬できる人や、あるいは友達と呼べる人が誰もいなかったことを踏まえると、それはたぶん的はずれなものではない。


 真面目さや愚直さが自分というアイデンティティを構成する主たる性格であると、直之は小学校中学年のころより理解していた。特別に賢いわけでも秀でた能力があるわけでもなく、むしろ不器用な子どもだった。なにをするにも、他のクラスメイトたちと比べて往々にして多くの時間を要し、それによって様々な弊害も被ってきた。

 頭の良し悪しなどそもそもの能力面が主要因ではなかったと、直之は不遜にも考えている。


 たとえば、算数のテストで解けない問題や自信のない問題に出くわしたとする。そういった際にその一問を飛ばしたり、または適当に答を埋めて先へ進むということを、直之はどうにも苦手にしていた。わからない問題は、納得いくまで存分に考え抜いて答を出したかったのである。

 先へ進まねばほかの問題を解く余裕がなくなるとか、試験時間がなくなって点数を大幅に下げることになるとか、そういうことにまで気が回る子どもではなかった。というより、そういう点にあまり関心のない子どもだった、というほうが正確かもしれない。目の前になにか自分を悩ますものがあれば、それに対してとことん誠実な態度で向き合うことが、直之にとってはごく自然な振るまいだった。

 小学校のテスト関連は、だから未解答の問題が散見されて低得点というケースが多かった。


 テストの際の悪癖は、四年生のときに担任教師から幾度か指摘を受けたことである程度は改善されたものの、直之の性格そのものは変わらなかった。勉強であれ運動であれ課外活動であれ、なにに対しても、直之はできる限り誠実に取り組んだ。


 その性格はマイペースだとか集中力があるだとか、好意的にも言い換え得るものだろう。しかし、小学時代の六年間、直之は愚鈍だとか融通が利かないだとかあるいは集団行動がとれないだとかマイナスの解釈ばかりされ、変わり者や厄介者として扱われた。

 彼と積極的に関わろうとする人は大人も子供もおらず、直之は中休みにも昼休みにも、校庭に出てクラスメイトたちと球技や鬼ごっこなどに興じることのほとんどない六年間を送った。


 直之自身、そのことを良いとも悪いとも感じていなかった。自発的に関わりたいと思わせられるような対象が特に見当たらなかったこともあり、独りの時間を蓄積させることに不満も違和感も抱いてはいなかったのである。

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