第22話「意図」

「よくもまあ、授業であんな過激な映画を見せようなどと思ったものだ」


 仕事のストレスか、あるいはもともと薄毛なのか知らないが、ここ数ヶ月で頭部の薄みに拍車がかかってきた田中をまじまじと直視して、泰はいくらかふき出しそうになっていた。脳内でal.ni.coのシリアスなメロディを再生し、ふき出し防止に努める。


「確かに、イエスの拷問シーンとかはわりと衝撃強かったですかねぇ。どうでした? 生徒たち、どんな反応してました?」

「そんなの、私の知ったことか。昨日、蛭田ひるた君から聞いたんだよ。君が、いつにもまして妙な授業をしているらしいとね」


 蛭田は学年主任だが、泰とはどうにも馬が合わなかった。互いに直接衝突するようなことは少なかったものの、泰は、事なかれ主義で管理職の忠犬的様相である蛭田を、また蛭田は、入職一年目にして自身の価値観や判断を前面に表出して授業を展開する泰を、それぞれ不快に思っていた。


「生徒たちからも保護者からもクレームがきてないなら、別にいいじゃないですか」

「そういう問題じゃない! いまのところは、たまたま大ごとになっていないからいいようなものの、もし今後なにかあったらどう責任とるつもりなんだ! 君ひとりが責められるだけで済まず、我々管理職の顔に泥を塗ることにもなり得るんだぞ!」


 結局、お前が気にするのは生徒たちのことなどではなく自らの保身だけかよと、泰はうんざりした顔をつくる。


「最初のアメリカ映画もひどいものだが、そのあとの中国映画はどういうつもりだ? 慰安婦を容認するかのような内容らしいじゃないか」

 この男は見た目に比例して中身も落ちぶれているので、どうせ蛭田が言ったことをそのまま口に出しているだけなのだろうと、なかばあきれた気持ちになった。

「副校長、あの映画ご覧になったことありますか?」

「だから、聞かれたことに答えろと、さっきも言ったはずだ。君は、上司の質問に答えることすらままならないのか?」

 眉根を寄せつつも、田中は嘲るように問い返す。


「あれが慰安婦容認ですか……そうですか」

 目の前の田中にではなく蛭田に対して反応するように、泰は嘲笑に似た半笑いを浮かべる。

「なにがおかしい!」

 田中が、声をあららげて再度机を叩く。


「想・像・力、ですよ」

 ゆったりとした口調で、泰はその漢字三文字の言葉を発した。

「なんだと?」


 中国映画は、直接的な性行為の描写などはむろんありはしなかったが、日本軍が慰安婦に対して落花狼藉らっかろうぜきを働く場面などは、決して手ぬるい描かれようではなかった。

 また、現地民への強姦行為を減らすための措置として慰安所を設置したことを正当化するような、ともすれば人権侵害的な思想を惹起しうる内容であったことも、百も承知だった。


 泰は、ひとつ咳払いをした。


「あの映画を観て、これは慰安婦を正当化するおそれのある右翼的発想だ、だからとんでもないものだと、表面だけを捉えて片付けるのは簡単です。相手が中学生だったら、さすがに私も見せません。ですが、彼らは高校三年生。中には選挙権を有する人もおり、もう立派に大人です。

 受験勉強は単純な暗記作業になりがちですが、これから彼らが大人として社会に出れば、それでは通用しない局面にきっと出くわします。目前の事象について上っ面だけを見て一喜一憂するのではなく、それが意図するものはなにか、どういうふうに向き合っていけばよいのか、それが好ましくないとすれば、ではどのような代替案があるのかなどを思考・判断・想像し、自分なりの意見や考えを携えていく力が必要なのではないでしょうか。

 私はあの映画を通じて、彼らにそういう想像力を養ってほしかったのです。機械的な受験勉強よりもまず、あの生徒たちにはこうしたトレーニングが必要だと、日ごろの授業を通じて感じました。少し説明不足だったかもしれません。しかし、なぜ私があれらの映画を流したのかということも含めて、なにかを感じ取ってほしかったのです」


 先ほど以上に長広舌ちょうこうぜつを振るってしまい、泰はアイスティーでも飲んで喉を潤したくなった。


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