第21話「過激」

 十月事変を惹起じゃっきしたのは、泰が生徒たちに鑑賞させた二つの映像作品だった。


 授業で扱う題材としていくぶん突飛なものであることは泰とてわかっていた。

 されど、不真面目で学習意欲に欠けた、すなわち“先天的労働者”たる大半の生徒たちを奮い立たせるための、彼らの意表を突いた一手だったのである。


 一手目は、イエス・キリスト処刑までの最後の半日を描いたアメリカ映画だ。


 ユダヤ教やキリスト教に関する知識は、倫理だの世界史だのといった科目のくくりに関わらず、最低限の教養として興味を持っていなければならないと感じていた。字面だけを追っていても実感がわいてこないことは生徒たちの日ごろの授業態度に鑑みると予想できるので、映像の形が効果的だと考えたのである。

 目を覆いたくなるような、あまりに凄絶でむごたらしい拷問シーンの連続に、さすがの彼らも私語のひとつもかわさず、なかば唖然とした様子で映像を眺めていた。耐えきれずに途中で目線をそらす女子生徒もいたが、誰ひとりとして離席することなく、十数分の映像を最後まで鑑賞していた。


 極めつきの二手目は、別日に流した中国映画だ。


 日中戦争下で起きた南京事件を題材としたそれもまた、大量虐殺などの過激なシーンを扱ったものであった。映像として目にする残虐さでいえば先のアメリカ映画ほどではなく、問題だったのは従軍慰安婦関連の描写だった。


岡島おかじまくん、話がある」


 二本目の中国映画を流した翌日の朝、泰が出勤すると、険しい顔つきをした副校長の田中――中背、小太りでかつ薄毛の、いかにも風采ふうさいの上がらない男だ――に呼び止められた。肌寒く、濁った色の雲が立ちこめる朝だった。


「君は、自分がなにをしたかわかっているのか?」

 別室に腰かけて早々、田中が先ほどよりもやや強い語勢で訊いた。


「なにって、急に言われても……」

「倫理の授業のことだよ」

 そう来るだろうなと、泰は内心で肩をすくめる。

「倫理? あぁ、センター試験対策ですか。あまりやってなかったですが、次回からやりますよ」

 そんなつもりはさらさらなかったが、半笑いでお茶を濁した。

「そんなことを言ってるんじゃない!」

 あからさまに三味線しゃみせんを弾く男に、田中がいら立ちを募らせて机を叩く。


 生徒たちには刺激が強すぎただろうかと思う一方で、あの腑ぬけた連中にはちょうど良かっただろうと、泰は二本の映画を扱ったことについて思いを致した。


「どういうつもりであの映画を見せた?」

「あの映画って、イエス・キリストのやつと南京事件のやつと二本ありますけど、どちらですか?」

「どっちもだよ!」

 泰の減らず口が、田中のいらいらに拍車をかける。

「どういうつもりと言われましても……機械的に問題演習をするより、映像を通じて視覚的に情報を吸収することで記憶としても定着しやすくなるので、理にかなった方法かと思います。正直いって、生徒たちの大半は基礎力不足で、まだまだ過去問を解くという次元に達していません」

「百歩譲って君のその考えが正しいとして、わざわざあの二作を選んだのはなぜだ?」

 田中は眉をひそめたまま、目の前の横柄な物言いの男に質問を続ける。

 

 泰はしばし黙して、この先の展開を予測する。


 “先を読む”のは直之と同じく、大学時代に囲碁部の活動を通じて鍛えられた能力だった。泰は直之ほど真摯に取り組んではいなかったが、アマチュア四、五段ほどの棋力ともなれば、意識をせずとも“読む”という行為は日ごろから習慣化する。


「保護者の方からクレームでも来たのですか? それか、生徒がなにか言ってましたかね」

 二つの映画を観た直後の生徒たちの反応はというと、予想どおりそれほど大きなものではなかったが、そのときの教室内の空気は、確かにそれまでには生じたことのない神妙さのようなものに包まれていたと、泰は肌で感じ取った。


「聞かれたことに答えたらどうかね?」

 もっともな返しに、泰は軽く嘆息する。

「生徒たちのやる気を引き出すためですよ」

「なに?」

「彼らは受験以前に、学問や世の中への興味関心が低すぎます。おそらくそれは、今の暮らしがあまりにも平和で、緩んだものだからでしょう。世界史上の重要事項に関連して、いかに悲惨な経験が積み重なって今の平和な世の中があるか、それを感じて欲しかったんです。そして、いま自分たちが思う存分に勉強に打ち込めるありがたみを知ってもらいたかった。それこそが、われわれ教師の役目ではないでしょうか」

 

 ありきたりな綺麗事だなと口にしながら思ったが、その感情に偽りはなかった。

 自身のプライドや力量試しの側面があったことを考慮しても、生徒たちが学問に対して前向きな感情を抱くことになるとすれば、それは泰にとって夾雑物きょうざつぶつのない自然な喜びだった。


「それが、あの非常識なまでに過激な内容をみせた理由か」

 田中は軽蔑を含んだ表情で、泰をねめつけている。


 自分と田中とでは知的レベルの差は歴々としており、いくら正論を語ったところで届くはずもないことは、泰とてわかっていた。

 熱弁を展開したことを後悔しつつも、やはり自分の授業は独創性に富んでいて魅力的だと、思い返して自画自賛した。

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