第20話「工夫」

 泰の気勢をそぐのに最も貢献したのは、昨年起きた“十月事変”だった。

 それは、泰が勝手に名づけた呼びかたで実際には名前などないが、まるでその一件が自分史を語る上ではずせない重大な出来事であるかのような錯覚に浸る心持ちで、そのように命名した。


 受け持っていた授業のひとつに、高校三年生の倫理があった。

 秀陽は高校二年次より文系または理系でコース分けされ、倫理は文系コースのみの科目であった。クラスの半数ほどがセンター試験で利用する科目であったため、夏休みを経た二学期からは問題演習を中心に行う授業構成が、管理職から要求された内容だった。

 

 泰は、しかしこれに首肯しかねた。管理職の言い分もわからないではないが、学校は塾や予備校ではない。淡々と過去問の演習と答え合わせを行うのが教師の役目であるとは思えなかったのだ。

 生徒たちからの強い希望ならば話は別だ。しかし、やる気のある生徒はごく一部で、そもそも勉強への興味関心が希薄な生徒が大半であり、彼らの中にはなかば時間つぶしのために登校しに来ているような面々もみられた。受験や試験といった枠を超えて、優秀な生徒にはよりいっそう、勉強が苦手だったり、学問に興味の薄い生徒には少しでも関心を抱いてもらえるような工夫を凝らした授業を、泰はゆずらなかった。


 それは一見すると生徒たちのことを考えているかのように見えるが、むろん泰の場合は自分自身を重んじた行為であった。自らの授業により生徒をいかように変化させられるかという、ある意味ではゲームのような感覚を抱いていたのである。


『カナリア』のサビは、いつ聴いても胸を刺激する。

 上杉昇の激烈ながなり声に、アイスティーを摂取して潤いを帯びた喉がたちまちドライになっていく気がして、泰は残り百ミリリットルほどのそれを一気に飲み干した。扉が開き、常連客らしき中年男性がカウンター席に向かう。


 大学の講義形式で板書は必要最小限しか行わず、口頭の説明のみで生徒にメモをとるよう促したり、ひとつのテーマ――これは倫理ではなく別の科目だが、例えば日本が太平洋戦争を始めた理由や、消費増税による利点と欠点、ならびにそれらが社会に及ぼす影響など――についてグループディスカッションをさせたり、あるいは教科書や資料集にさえも掲載されていないような凝った資料や写真を用意したりするなど、泰はさまざまに工夫を凝らした。


 しかしながら、いずれも生徒たちからの反応は乏しく、ディスカッションのときなどはあからさまに億劫な顔を見せる生徒もいた。生徒たちの間で、泰はあれこれと面倒な授業をする風変わりな教師という評判が定着し、次第にその噂は他の教師陣の耳にも届くこととなった。

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