第3話「清潔」

 泰との待ち合わせ場所は中野だ。

 

 正確な時刻を決めず、「だいたい昼ごろ」とだけメイルをよこしてくるところが泰らしい。

 昼ごろなんて言葉では、正午を基点にすれば前後三十分から一時間程度の振り幅が人それぞれに生じそうなものだ。誰に対してもそんなやりとりを躊躇なくしようものなら、それはただの頓馬だろう。

 直之は、でも泰がそんな男ではないことを知っている。自分以外とのやりとりを事こまかに把握しているわけではないが、中学入学のころから数えて十五年にも及ぶ知己ちきとなれば、泰がそういう場合に頓馬か否かなど、姿を見ずとも判断できた。


 直之の自宅の最寄り駅は阿佐ヶ谷だ。

 駅周辺で時間をつぶすか、もしくは二駅乗って目的地に到着しておくのが省エネな発想であるが、こういう場合、直之は往々にして手間のかかる選択肢をとる。余計な行程をふむことであたかも自分が休日を満喫しているような錯覚に、直之は浸ろうとする。そういう錯覚の創出は確かにばかげたことではあるのだろうが、幼いころから直之にとっては生活というパズルのなかの数ピースを担う要素だった。


 阿佐ヶ谷駅の駅舎を通りぬけ、西武新宿線の野方駅まで歩くことにした。

 ゆっくり歩いても四十分か四十五分ほどの道のりで、散歩にはちょうどよい距離だった。くたびれたスーツをまとい、土曜日だろうと関係ないと言わんばかりに早足で駅へ向かうサラリーマンとすれ違う。

 

 WALKMANをランダム再生すると、“空と海と風と”――角松敏生かどまつとしきプロデュースのフュージョンバンドだ――の『サンタが泣いた日』が流れた。

 こんな天気のよい日によりによってなんて曲が流れるのかと、直之は苦い笑いを浮かべる。浅野祥之あさのよしゆきによる、一片の濁りも含まれていないかのような清潔なギターサウンドが、直之の体温をわずかに上昇させる。

 美咲と別れたのは、この曲が似合いの十二月だった。あの日の美咲の泣くさまは、『サンタが泣いた日』のギターフレイズを彷彿とさせる。特に、イントロやサビはじまりの抒情的なメロディラインだ。

 清潔な目をしていた。清潔は、美咲という女を象徴する言葉だった。注文した五目炒飯と焼き餃子を食べきる余裕はあの時の二人にはなく――かといって大量に食べ残すのも忍びなく――、常連の特権として持ち帰りにさせてもらった。


 駅前から続く住宅街は、小洒落こじゃれた雑貨屋やら喫茶店やらがちらほらとあるものの、土曜日の八時前に開いている店はほとんどない。

 右や左に見えるアパートや一軒家には確かに人の気配を感じはするものの、そこから気ぜわしさや絶望感といったネガティヴな感情はさほどにおってはこなかった。例外は少なくないにせよ、労働という呪縛から一時的に解放された民の、眠たげで余裕に満ちたふりをしたような清潔な男や女の顔を、直之は歩きながらいくつも想像できた。土曜日の朝の杉並から中野へと続く住宅街は、静閑という言葉がよく似合う。


 『サンタが泣いた日』が終わり、永井真理子の『ZUTTO』やT-BOLANの『Bye For Now』など、ひと昔前に流行した楽曲たちに浸りながら歩を進めると、ぴったり四十五分で野方駅前に到着した。

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