第5話 返報

 北部地域には、ヴァルモントル公爵の広域の結界が張られている。


 魔法石を使った強力な結界だ。その事を知っているのはごく少数の者のみだった。人間では、昔からの彼の知人である大神官と、ダイロクの師団長、エディオン・ガト・メルティディスの二人だけだった。


 人の出入りを餞別する為に造られた結界ではないが、その使いようはヴァルモントル公爵の意思で如何様にも変化する見えない壁でもあった。


 神殿のある中央広場に造られている、浄化の噴水からは浄化の力が溢れ、不浄の力を押し流していた。


 北部地域全域が第二の十字島と言っても良い程に、ヴァルモントル公爵の魔力に守られた特別な場所と言える。





      ※      ※      ※





 第一王子がビノシブ修道院から消えてから、ひと月程経った頃、夜の闇に紛れるようにこの北部地域にやって来たローブを被った二人の男のうち一人が、直ぐに膝を付いてしゃがみ込んだ。


「何だ、この粘つく様な不快感は・・・。駄目だ、耐えられない、此処から出るぞ」


「しかし、今来られたばかりでは・・・」


「煩いっ!体調が悪いのだ」 


 北部地域に入った途端、悪寒が身体に走り、鳥肌が立った。急に体が重くなり、立ち眩みを起こした。


 おまけに吐き気が込み上げて来る。まるで、何かの呪いでも掛けられた様な急激な体調の変化に、驚く。


「アルフォンソ殿下、私の癒しの力を使いましょうか?」


「触るな!。お前程度にどうこう出来る問題では無い!」


 この様な輩に、私に触れる事を許した覚えはない。私の魔力で男の手を弾くと、ますます気分が悪くなった。


「ですが、歩く事も難しいご様子です。せめて私の手を・・・」


「触るなと申しておる!、触れる事はゆるさぬ!!」


 私の従者として一緒にいるこの者は、ザドールの神殿に潜り込ませていた男だ。多少の治癒の力を持っていた。


 ロッソ伯爵が探し出し、金で雇った貧乏貴族の息子だ。家が金に困っていたので、取り込むのは簡単だったようだ。ジェノスという名だった。


「そうだ、ジェノス、あの魔石を貸せ、お前が持っているだろう」


「魔石とおっしゃいますと・・・」


「あの魔法石だ!」


 察しの悪い男だ、みな迄言わせるとは。ザドールの神殿から持ち出させた『聖女の瞳』と呼ばれている魔法石を身に着けると、魔法石は不思議な浄化の力で私の身体の中にある、血の穢れの残滓を取り除いてくれた。そして元々私が持っていた強い魔力が戻ったのだ。


 あれさえあれば、この不調も直ぐに元に戻る筈だ。


 私の魔力は歴代の王族の中でも強いと言われていた。父上や弟のマクシミリアン等、足元にも及ばない程に強い魔力を持っている。


 けれどもそれは、今でも英雄と呼ばれている高祖叔父(こうそしゅくふ)に当たるヴァルモントル公爵とは比べようもないと言われていた。それ程に私の方が下だと言われていたのだ。我慢ならない話だ。既に100才をとうに越した老人ではないか。


 私が体調を崩し、修道院に送られた後に、暫くしてこの魔道具が出来たのに、私の治療をして皇太子に戻す事は無かった。そのまま放置されていたのだ。


 しかもヴァルモントル公爵は、『聖女の瞳』を作った功労者の一人であるティーザー家の令嬢を自分の婚約者として手中に収めている。王族が一番欲しいと思う、穢れを祓う瞳の持ち主をだ。


 こうして『聖女の瞳』が魔道具として作られた今、何を置いてでもその瞳の持ち主を欲するという事は無いが、それでもその特別な存在を独り占めしているヴァルモントル公爵には何かひとつ鉄槌をくらわせてやりたいと思った私は、その為に北部地域に紛れ込んだ。


 ジェノスが魔法の掛かった布袋から取り出したペンダントになっている『聖女の瞳』をもぎ取る様に奪い取った瞬間、それが目の前で突然弾けた。


「ぐあっ!」


 欠片が右目に入り灼けつく様に傷んだ。


「殿下!」


 その後、あまりの痛さに目を抑えて呻く私を、ジェノスが引きずる様に連れ出した。


「今、治癒を致します」


 そのまま私を連れて北部地域から出ると、建物の陰で傷ついた私の目に治癒の力を使った。休息に痛みが引いてほっとする。気分の悪さも北部地域から出ると嘘の様に良くなった。


「くそっ、一体何だったのだ」


「殿下、『彼方側』が何も対抗策を取らないとは限らないのです。もしかしたら既に此方の動きを読まれていたのかも知れません」


「・・・」


「早めにここから離れた方が得策です。目の方は痛みは取りましたが、これ以上の治療は私には難しいです。神殿で本格的な治療を受けるか治癒師でなければ無理でございます」


「・・・帰る」


「はい」


 ジェノスはホッとしたような表情で返事をした。そのまま、また王都にある隠れ家に戻る事になった。


 この男は金の為に雇われているが、気が弱く善良だ。だが、善良という言葉は、私にすれば『使えない』と同様で無能と同じような意味だった。それでもこの男は、病気の両親や婚姻を前に支度の必要な妹の為にどうしても必要な金を稼がなくてはならないのだ。裏切ればどうなるのか十分わかっている。




 私が修道院を抜け出せたのは、ロッソ伯爵の力添えによるものだ。修道院にロッソ伯爵は何度も面会に訪れた。


 その度に小さな菓子に仕込まれた手紙が寄越された。いつも同じ様な内容の手紙だった。


 部屋で一人の時に菓子を口に入れると焼き菓子の中から紙が出て来る。水分で溶けぬ文字で書かれている。


 身体を湯で流す時に、こっそり風呂場の灯り取りの炎で燃やし、そのまま排水口に流してしまえば分からないのだ。


『アルフォンソ殿下がビノシブ修道院に幽閉されたままになったのは、恐らく宰相の陰謀に拠る所でしょう。宰相は元々アルフォンソ殿下よりもマクシミリアン殿下を推していたのです。何故ならばあの第二王子殿下であれば御しやすいからです。聡明なアルフォンソ様よりも愚鈍で御しやすいと思ったのでしょう!』

 

 弟のマクシミリアンは子供の頃から大人しかった。感情の起伏も穏やかで、私や私の周りに居る者に何を言われても大した反応する訳でも無く、頭を下げて通り過ぎて行くのだ。口さがない者達の中には、少し足りないのではないか等と言う者も居た。そのうちには年齢が上がると公務等で殆ど顔を合わせる事も無くなった。


 好きだとか嫌いだとか思う切っ掛けもなく、ただ同じ父母を持つ弟という存在だ。邪魔だと考える様な何事も無かった。常に私の遥か下に居て、目にすら入らない者だったからだ。


 その様な相手に皇太子の立場を取られるなど忌まわしいとしか言いようが無い。


『盗られた物は取り返すのです。貴方様にはそのお力がおありだ』


 ロッソ伯爵が私の傍で囁く声がする。


 そうだ、私にはその力がある。


 まず手始めに、ヴァルモントル公爵の統治する北部地域の神殿から『聖女の瞳』を私の魔力で持ち出して恥をかかしてやろうと思ったのもつかの間、直ぐにそこから出て行く事になろうとは思いもしなかった。


 





 

 

 

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