第8話 蟲毒の森2

 あれから、昼夜を問わず見る恐ろしい夢の中で、私は閉じられた山の中を徘徊していた。


 だが、徘徊している私は、私であって私ではない。


 苦しい息遣いの中、飢えて生死ギリギリの所を持ちこたえているこの者の精神に私は同化していた。


 人という生き物は恐ろしい生き物だ。特に集団の中で、誰かを蹴落としてでも上にのし上がりたいと思う様な輩は、平気で自分にとって都合の悪い者は排除しようとする。恐ろしいのは、それが例えば家族ならば家の中や、村では村の中、といった具合の集団の中で、隠されて行われた場合、真実は外には歪んで伝わる。


 集団の中で、一つの方向性を持って誰かが人の意識を故意に誘導した場合、それを集団の中で発言力がある者が意図的に悪意を持って行った場合、的になった者の権利が踏みにじられ、その事すらも隠されてしまうのだ。規模を変えれば、例えば小さな村が別の部族から突然焼き討ちに遇い、丸ごと無くなる様な事にも繋がる。


 正に、私が体感しているこの状況は、その悪意を持つ者達から嵌められたその様な一族の運命だった。


 




 私の一族が何をしたと言うのだ


 何故私達がこんな目に遇わなければならない


 閉じ込められた空間の中で 死んでゆく仲間や家族を埋葬する誰かが居る


 出口のない狭い空間では もう獣もあらかた食べ尽くした


 木の皮を剥ぎ 根を掘り起こし食べる


 土を掘り、泥水を啜る


 苦しい息遣い 諦めと怒号 髪を振り乱し 見る影も無く地を這いまわる仲間


 食べ物の奪い合い 諍いを通り越す


 もう動ける者も少ない


 最後には全てが尽き 土の中の屍を掘り出し 泣きながら骨をしゃぶった



 一族の中では、いちばん 魔力の 強いわたしが 最後に のこるの は分かっていた


 でも それは しかた のないことだった


 ちからつ きて先に逝くものは わた しの手をとり うらみをはき出した


 怨念はそこで かさ なりあい そこのす べてをおおいつ くしていく


 つ ちも きも そらも くろ くかわっ ていった・・・





 


   ※   ※   ※



 


 

 ヴァルモントル公爵家の屋敷に着くと、まだザクは帰っていなかった。まだカイナハタンの復興関係の問題は山積みなのだ。帰りが遅い事も多い。


「お帰りなさいませお嬢様、旦那様が、食事は先に召し上がっている様にとの事でした」


 本邸の玄関で迎えてくれたフロスティーにそう言われた。


「ザクはまだ遅くなるの?」


「はい、帰る時にはまたご連絡なさるそうです」


「そう、了解。今日は夕食は紫苑城で頂いて、あとは離れで過ごします」


「それではその様に手配致しましょう。着替えがお済になりましたら食堂までおいで下さい。食事のご用意は整っております」


「ああ、もうお腹ペコペコ。お腹と背中がくっつきそう」


「それは大変です。お嬢様、さあ、お急ぎ下さい」


 フロスティが微笑んでそう言った。


 帰って来て直ぐにザクに会えなくて残念だったけど、仕方ない。仕事が終わり、帰って一番の楽しみがザクに会う事だなんて、恥ずかしくて言えない話だ。とりあえず食事を頂こう。


「お嬢様、お帰りなさいませ。お荷物をお預かり致します。魔法師団の遠征の件、旦那様から伺いましたので、荷物の準備は済ませてあります。後で離れのお部屋に持って伺いましょうか?」


「シルクただいま。うん、ありがとう。お願いね」


 シルクが、私がいつも持ち歩いているポシェットを受け取りながらそう言った。

「お嬢様その様にがっかりなさらなくても、旦那様が帰って来られれば、真っ先にお嬢様に会いに来られますから大丈夫でございます」


「えっ、そんな風に見える?」


 私は、思わず振り返ってシルクを見た。表面に出さない様にしたつもりだったけど、駄目だったらしい。


「・・・ええ、どう見ても肩を落とされて、目に見えてがっかりなさっています」


 シルクは艶のある黒髪を揺らして頷き、金色の甘い蜜色の瞳が何処か遠くを見る様な様子をする。


「そうか、駄目だね私。ちょっとザクに会えないと直ぐに淋しくなるんだから」


「そんな事はございません。旦那様も同じですから気になさる事はございません」


「あはは、シルクったら面白い事言うんだから」


 そう、シルクはいつも真顔で冗談を言うのだ。いや、もしかすると本気で言っているのだろうか?ちょっとその辺りの区別がつきにくい。


「そうですか?その面白さはわからないのですが、本当の事でございます。旦那様は、この屋敷にお嬢様がいらっしゃらないと、とてもつまらなさそうになさっています」


「本当?」

 

 つまらなそうにしているザクってどんな感じなのだろう?それはちょっと見て見たい。超レアだ。


 その後、服を着替えて、紫苑城の食堂まで行くと、本日のメインはボリュームのある厚切りの豆豚ステーキだったのでとても嬉しくなった。焼き加減も私好みで両面をしっかり焼いて、内側が少し桃色部分が残る感じだ。香辛料は塩と胡椒のみのシンプルな味付けだったが、幻の豚肉は期待を裏切らない極上の柔らかさと肉の味を感じさせてくれる。料理長はこのお肉の旨味を私に味合わせる為に、敢えてシンプルな味付けにしてくれたのだろう。


 豆豚は、肉の味がしっかりしていて、柔らかい。噛むと肉の旨味がじゅわりと染み出す。そして脂身の甘みがたまらない。女の子はステーキを頂く時に、脂身を避ける人がいるが、この豆豚ズテーキに関しては脂身を捨てるなんてダメすぎる。私は全部ガッツリ食べてしまう。もう、ぺろりと頂いた。


 料理を堪能して口をナフキンで拭いていると、料理長が直々にデザートを運んできてくれた。


「ん?かぼちゃプリン?」


「左様でございます。さあ、召し上がれ」


 料理長は、大きな身体で可愛く人差し指を立ててニッコリ笑った。


 食後、デザートに出されたのは、色的に、かぼちゃプリンだと思ったのだ。十字島産のバターナッツカボチャかなと思った。テーブルの上に置かれた瞬間、色鮮やかで濃い黄色のそれが、薄緑色のガラスの容器の中でぶるりと揺れ、『美味しいから、早く食べてごらん』と言っている様だ。


 デザート用の銀の匙で、思い切り深く掬って大きな一口を含む。至福の一口だ。濃厚なカボチャの餡の混ざった、舌に重い食感を楽しむと、甘みと一緒に得も言われぬ華やかな香りが鼻から抜けて行った。


 そう言えば、芋やプリン液を濾したり、粉を振るいにかけるのには、やはりザルや裏ごし器が欲しいので、ドワーフのおじさんに作ってもらったら、これも今では料理長には無くてはならないツールの様だ。網目も広めの物と狭い物がある。とても滑らかな舌触りのカボチャの餡が堪えられない。


「はうぅん、やっぱり!これ、バニラ使ってる?」


 ふうわりと、口から鼻に抜ける、甘やかで芳醇な香り。黒い粒々があるので、もしやとは思ったが・・・


「お嬢様、お分かりになりましたか?そうなんです!やはりお嬢様の言われる様な、バッニーラという植物から採れる豆の様な形の果実を乾燥させた物でした。ロードカイオスのハサドから仕入れたそうです」


『バッニーラか!』


 思わず、一人ツボってウケたが黙っておく。


 プリンを料理長自ら運んで来て、私がプリンを食べるのを満足そうに見ながら、トレイの中に並べたバニラビーンズの鞘を私に見せてくれる。乾燥させてチョコレート色になった長い豆の様な状態の物が10本程並んでいた。


 なるほど、ロードカイオスではバッニーラと言われるのかと頷く。


 私は、前世で言う、バニラの香りを探していたのだ。あの香りがあると無いのでは、お菓子の風味が全く変わるのだ。そして他の素材も色々探すようにフィルグレットにお願いしているのだ。


「うーん、なぁんて甘くていい香り。溜息がでる」


「ええ、本当に。お嬢様の仰る通りでした!世の中にはこんな香りもあるのだと、私は初めて知りました」


「アダラード商会が探してくれたの?フィルグレットが交渉してくれてたんだよね」


「そうです。今日、商会の港町から連絡が来ましたので、フィルグレットが受け取りに行ったのです」


 そもそも、前世でバニラビーンズが取れるバニラの果実は、蘭の様な白い花や、花が終わって出来る果実も、香りはしないそうだ。キュアリングという発酵と乾燥を繰り返す事によって初めて濃厚な香が楽しめる様になるのだ。


 こちらの世界では、もしかするとその辺りが、乾燥させるだけで香が出る等の違いがあるのかも知れない。


「使い方は使用法が書いてある紙を貰いました。種だけでなく、鞘の部分も煮出すと香りが付くそうです」


「うん、じゃあ色々料理に使えるね」


 その辺りは、前世のバニラと同じ様に使える様だ。


「はい、左様でございます」


 料理長は、新しい素材が嬉しくてたまらない様子だ。


「お酒の中に漬け込んだり、ミルクで煮だしても美味しいんじゃないかな。使い方次第で、種と鞘を両方使うととても濃い香りが付けられる筈だよ」


「おお、成る程、今度試して見ましょう!」


「あと、他の色んなお菓子なんかにも使うと、また全然風味が変わるから楽しめるよ」


「お嬢様は天才でございますね!」


「えっ、いや、そんな事、ないよ」


「いいえ!天才です」


 いや、単なる前世の記憶なのだけど・・・とは言えず、頭を掻く位しか出来なかった。


「あ、そうだ料理長、十字島から新しいデーツが届いていたよね?オヤツ代わりに明後日からの遠征に持って行くから、缶筒に五人分詰めて置いてくれる?」


「ええ、分かりました、ちゃんとご用意しておきます」

 

 料理長はにっこり笑って請け負ってくれた。




   ※   ※   ※


 

 

「ザクはまだなのかな、今日も遅くまでたいへん。早く会いたい・・・」


 思わず心の声が口をついて出てしまった。


 お風呂を済ませて寝間着に着替えている。ザクの所に来てからは、贅沢にもお湯のお風呂に毎日入っている。


 浄化の魔法を使う者は、お風呂が無くても生きていけるけど、気持ち的にゆったり出来るし、お湯から上がって暫く続くあの湯上りの気持ち良さは、とても良い物だ。


 庶民だとこうは行かない。家族と住んでいた家には井戸があるので水を汲んで、風呂場と言われる場所で体を拭く事は出来たけれど、湯船に浸かるような造りにはなって居ない。それは、庶民の中流家庭ランク辺りでは当たり前の事だった。


 エルメンティアの都市では、水路が発達し、汚水路とは分けてある所が凄いと思う。酷い疫病が庶民の中で流行りにくいのはこのお陰だ。流石に庶民の家々に水路を引き込む事までは成されていないが、共同の洗い場や飲み水の給水施設がある。あとは井戸を掘れる家は井戸を掘っていた。そして、中間区域と貴族街には水路から家まで水が引かれている。それだけの税金を払っているからだ。


 クッションをぎゅうぎゅう抱きしめソファーの上でごろごろして呟いていた私の傍に、大切な人の気配を感じた。淡い光と共に現れた薄紫色の蝶が、ヒラヒラと飛んできて、私の鼻先に止まった。


「ザク!終わったの?もう帰る?」


 ちょっと食いつき気味に蝶に向かって喋った。私の目が蝶に向かい寄り目になっている。


『・・・フィー、遅くなってすまなかった。もうすぐ帰る。眠くはないか?』


 一瞬、ザクが笑いかけた様な気配がした。


「ううん、大丈夫だよ。待ってるね」


 薄紫の美しい蝶は、現れた時と同じ様に、突然居なくなった。



 そして、暫くして離れの居間の床が青く光りザクの魔法陣が現れた。風の流れを感じた時にはザクが床に立っていた。


「おかえりなさい。疲れた?食事は?」


 飛びついた私を見下ろすザクの、白銀の髪がカーテンの様にシャラシャラと煌めきながら零れ落ちて来た。


「ただいま、フィー。疲れて居ないと言えば嘘になる。そうだな、私にはフィーがとても不足している。そして食事は城で軽食が出たのでもう良い」


「わっ!」


 ザクは少し屈んだと思ったら、私を持ち上げぎゅっと抱きしめた。私もザクの首に手を回し、抱きしめる形になる。


「明日から遠征に出るのだな。暫く会えぬ、怪我などせぬように」


 耳の傍でザクの声がする。


「うん、気を付ける。あのね、帰って来たら、色々十字島の農作物なんかの相談があるの」


「何だ?今では駄目なのか?」


「沢山あるから、仕事が終わってから休みの時間がたっぷりある時に相談するね。ザクもお休みの日に」


「そうか、ならばそうしよう」


 それから、そのまま離れのテラスから夜の庭へと出た。


「ザク、重くない?私、降りて歩くよ」


「フィーは重くない。このままが良い」


「うん」


 空間が織り交ぜられ造られたこの屋敷の庭園は、迷宮のような庭だ。私が一人で好きに歩き回る庭とはまた別の空間を彼は歩く。


 他の誰にも出来ない事だ。彼にだけ出来る魔法を惜しげも無く使って、私の知らない景色を見せてくれる事もある。


 この夜の庭はそこかしこの、植物等のシダ類や低木が、葉先に緑や青などの不思議な淡い光を発していて、大層美しい。そうしてその中を羽を持つ小さな妖精達がやはり発光しながら、葉や枝に止まりこちらを伺っていたり、飛んでいたりするのだ。それは夢の様な景色だった。


「綺麗だね」


「そうだな・・・」


 


   


   ※   ※   ※





「おや、シルク、旦那様は何方へ?」


 確かに帰られた気配がしたのに、突然気配がプツリと消えた事に気付き、私はシルクにそう聞いた。


「お嬢様と夜の散歩に出られたご様子です」


「しかしながら、明日からお嬢様は魔法師団の遠征に出られると、伺いましたが・・・」


「はい、ですから多分直ぐにお戻りになられると思います」


「そうですか。旦那様もお嬢様もこの頃はお二人共にお忙しくて、あまり一緒のお時間が取れぬ御状況でしたから、旦那様もお淋しかったのでしょう」


「ええ、最近はお嬢様も休みに出掛けられる事が多く、旦那様のご機嫌が優れませんでした」


「おや、貴女もそう感じましたか?」


「はい、特にティーザー家の兄上様とお出かけになられた時等は、お屋敷の温度を少し低く感じました」


「ああ、確か、庭の噴水が凍っておりましたね・・・」


 感情をあまり動かす事の無かった旦那様が、これほどに心を揺さぶられる相手というのが、五年程前に突然何処かから連れて戻られたフィアラお嬢様。


 人に興味を持たれない旦那様が、それ程強引に側に置かれたその方は、特別稀有な浄化能力の持ち主だった。

 そのお力で、旦那様の御病気を治された。


 私達が主人と決め、寿命が尽きるまで付き従うと決めた旦那様の大切な唯一の方。


「今夜は、庭に多くの妖精が飛び回り、大変に旦那様のご機嫌が宜しいご様子です」


 そう言うシルクの金の瞳は、嬉しそうに細められていた。


「成る程、本当に・・・」


 淡い光が飛び回る庭園は、大層美しかった。


 

 




 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る