第9話 蟲毒の森3

 ガルトは保養地として昔から人気があるのが頷ける美しい町だった。緑の奥にけぶる様に続く森と、絵本にでも出てきそうな赤い屋根と桃色の壁の宿屋に囲まれた大きな湖は、深い緑に見える豊な水を湛える。


 この辺りの家々は全て桃色の壁をしているのが特徴だった。


 シュバリー伯爵領地の山には、虫が嫌う赤い色をした独特の土の地層があり、この土を細かく砕いて水で溶き、木の壁に塗ると虫よけになる事からこの地方ではかなり重宝された様だ。それが、桃色の壁の理由だった。


 主に保養に来る人達は、裕福な庶民か貴族で、年齢的にも高齢の者が多いせいなのか町は落ち着いた佇まいだった。


 馬を借りる事が出来る宿屋で、人数分の馬を用意して貰った。ここを拠点として動くつもりなのだ。

 小さな宿屋では、馬も一度に五頭揃わないので、近くの宿屋からも用立てて貰った。


 女性陣と男性陣の宿屋は直ぐ近くだが、結局別々の宿にした。どちらも馬を用意してくれた宿屋だ。程ほどの宿屋で食事が旨い所が良い、というのが皆の希望だった。


 ダイロクからは、出発前に『草』を動かして宿屋を予約しておこうか?との打診があったが、実際に見て自分達で決めたいと言い出したのはジュディーだ。今は宿屋が混雑している時期でもないと言う話だったので、じゃあ到着してから決めようという話になったのだ。今後は気温が下がり、森の紅葉が始まると人も多くなるだろう。


 宿屋を選びがてら、情報を仕入れる事も重要だとジュディーが力説していた。季節は今から秋に向かう頃だ。


 こういう場所で魔法師団が来ていると分かると人の目もあるので、貴族学院に通う学生の旅行という事にした。第三騎士団の男性二人の役どころは、女学生だけだと危ないので、兄が付いて来たという設定なのだ。


 シュバリー伯爵領側からは、魔法師団が城から派遣されたと分かれば他領から要らぬ詮索をされる事になるので、行方不明の人物を探索するのであれば、目立たぬ様に来て欲しいという連絡を魔法師団側は受けた様だ。


 流石に王城から直接シュバリー領に、行方不明になった貴族の捜索に対する協力依頼が来れば拒否する事は出来なかったのだろう。


 一応、ジュディーの兄はヴィルトさん。ヘレナの兄がヘミングスさんという事にしている。


 だから二人が宿屋で書いた名前は、ジュディー・ヴィルトとヘレナ・ヘミングスだったりする。


 二人共、なんか微妙な表情で名前を宿帳に書いていた。私の場合、髪色が全く違うし兄妹というのは違和感があるので、他二人の兄という設定にして欲しいと、言っておいた。


 今回は伯爵に招かれた訳でもなく、魔法師団の制服では目立つので、ダイロクの倉庫から地味な庶民風の衣裳を借りている。これにも様々な魔法が付与されて、制服ばりに、身体を護るようにしてくれるのだ。支給品ではなく借り物なので帰ったら返さなくてはならない決まりだ。今まで色々な団員に使われて来た服なので、いい感じに使い古されている。


 だが、ここで私の分の衣裳に問題があった。小柄なので丁度良いサイズがなかったのだ。


 「君は小柄だから、体格の良い者の多い魔法師団の団員用に用意された変装用の服の中には、丁度いい服は無い様だね。自前の適当な物を持って来てくれたらそれに魔法を付与するから、持っておいでよ。その服はそのままあげるからさ」

 

 とたまたま居合わせたセレッソにそう言われて、街に出る時の庶民用の服を当日持って行き、すぐに魔法付与して貰ったという訳だ。


 だが、セレッソの魔法付与品など、タダで貰える機会などそうあるものではない。これは得をしたと言うべきなのかもしれない。


 普通はダイロクの衣裳倉庫から身体に合う衣裳を選び、魔法付与課に持って行けば一時間もしない内に必要な防御系の魔法を付与してくれるようだ。


 いつもと違うと言えば、身分証代わりに、手の甲に魔法師団の紋章が魔法で焼きつけられている。自分の魔力を通せば、青く光って浮き出る仕様になっている。今回は制服では行かないので、このような形式を取っている。もちろん後で解除出来るし、焼き付けるとは言っても痛み等は無い。専用の魔道具に手を当てると、一瞬で魔法師団の紋章が青い光となって手の甲に吸い込まれて行く感じだ。



 そしてダイロクにガルトまで魔法陣で転送して貰い、現地に到着すると男性二人と女性三人でそれぞれの宿屋に別れた。まずは宿屋の部屋に荷物を置き、ガルトの雰囲気や情報を仕入れるつもりだ。それから出掛ける支度をする事になった。


「綺麗な所だね。まるで物語にでも出てきそうな感じ」


「うん実は、ここ、家の母様が家の領地の温泉が出る土地を湯治場にするのに、見本にした所なの。私は初めて来たけど、確かに見本にしたくなる様な所だなと思った」


「ああなる程ね、それ分かるな」


 私の言葉にジュディーが答え、ヘレナが頷く。そう言われてみれば何となくダントロー伯爵領の温泉地に雰囲気が似ている感じもする。

 ヘレナとジュディーの家に遊びに行った時に連れて行って貰った事があるのだ。

 

「ここガルトは地鶏料理が有名らしいよ。特に焼いた石の上で細切りにした地鶏肉と野菜を焼いて食べるのが名物だって話。それも親鶏肉を食べるらしい。ねえ、それを昼食に食べない?噛み応えがあって美味しいみたい。宿屋のおばちゃんが言ってた」


 とは、ジュディーの言葉だ。早速そんな情報を仕入れて来た様だ。


 地鶏の親鶏なら、貴族はめったに食べない。とても肉が硬いからだ。だからエルメンティアでは庶民の食べ物という考えがある。安価なので、昔、私も肉屋でよく買っていた。そりゃジュディーは貴族だし、食べた事が無いのだろう。安くて高タンパクで、庶民の味方のお肉なのだが。


「えっと、ジュディー、それ仕事が終わってからの楽しみにしたらどうかな?」


 ヘレナに叱られる前に、一応言ってみる。


「いやいや、今から仕事なんだから、精をつけなきゃ」


 駄目だ、食べる気満々だ。


「何を言っているんだ。精をつけなくても、いつでもジュディーは一番元気じゃないか。昼は簡単に済ませてシュバリー伯爵の領主館に行くから、宿屋で済ませる予定だっただろ。第三師団の二人と時間を決めた筈だ。」


 うん、やはり、叱られた。


「駄目か、仕方ない。じゃあさ、宿屋のお昼はここのじゃなくて、お兄様達の宿屋にしよう」


「何故?」


 突然ジュディーの言い出した話にヘレナが首を傾げながら言った。うん、意味わからない。


「それがさ、さっき聞いたら、あっちの宿屋の昼食は地鶏の山賊焼きだって。鶏のモモ肉が大きな串に刺して焼いてあるらしい。もうそれでいいよ」


 うん、そうね。ジュディーはどうしても地鶏が食べたいのだ。


 さっそく『お兄様』を使っているジュディーだが、いつの間にあっちの宿屋の食事の事まで聞いて来たのか、まったく素早い。


「ヘレナ、じゃあそうしようよ、お兄様方と一緒に食べれば、時間短縮にもなるし」


「・・・そうだな、そうしよう」


「おっしゃーっ!」


 私の言葉にヘレナが折れて、ジュディーはご機嫌だ。


 その山賊焼きだが、かなり手強い肉だった。親鶏の山賊焼きかよオイって感じ。


 でも、地元のポポールという甘酸っぱいオレンジ色の果物の果肉をすり下ろした中に暫く漬けて焼いてあるらしく、何となく甘みがありフルーティーな香りが少し感じられ、そこまで硬くなっていなかった。酵素の働きに由るものだろうけど、酵素なんて考えはこの世界にはない。ガルトの人は多分理由は分からず、偶々、こうすると柔らかくなるのだと知った事で始まったのではないだろうか。


 山賊さながらに、五人で肉と格闘した。事前に切れ目を入れてくれているので食べやすい。ガブリと肉に食いつき噛み千切りながら、親鶏の醍醐味を堪能したのだ。でも顎がだるくなった。


 コリコリとした皮の感触や、硬いけれどしっかり鶏肉の味がして、美味しい。


 「エールが欲しくなるな」

 

 ヘミングスさんの言葉にヴィルトさんが頷いている。肉の味付けはシンプルに塩と胡椒だけだったが、歯と顎は皆丈夫らしく、しっかり完食した。


 根菜等の温野菜も大きな木の器に山盛り出された。お代わり自由だそうだ。ことのほか蒸したジャジャイモが人気だった。熱々の湯気の立つ、少々不格好な芋を布巾で取り、皮を剥き塩を振って食べるだけの素朴さが良いのだ。


 木のテーブル脇に置いてある乾いた布巾で取って、芋の皮を剥いて食べてくれと店の主人に言われてその様にする。ぺりぺりと薄皮が面白い様に剥がれる様が気持ち良い。そこに小皿に盛ってある塩を指先で摘まみ振りかける。


「ほっくほくだあ。あちっ」


 ジュディーのピンクブロンドが身体の動きで撥ねる。


「ほんほだ。はふ、おいひい」


 私もお肉だけでお腹がいっぱいだと思っていたが、ついつい一つ頂く。


「はふっ、確かに熱くて旨い」


 ヘレナも美味しそうに食べている。


「君達、とても表情豊かだし、本当に逞しいねえ。怖い位だよ」


 とはヴィルトさんの言葉だ。ヘミングスさんも黙ってはいるが、頷いている。


「まあ、お兄様ったら何を仰っているのかしらオホホ」


 とって付けたような返事をジュディーが返していた。


 この後、領主館まで馬で移動する予定だ。時間にすると馬で四十分位だという話だった。季節的には残暑が厳しい時期だが、王都に比べてこちらは涼しく過ごしやすい。体温調節も魔法が付与された服がしてくれる。


 領主は体調不良で会えないとの事だったが、領主代理と話をする予定を王城の役人が取りつけてくれていた。


 仕事時の五人の身体の浄化はヘレナと私が分担して行っているので、他の三人は『汚れを気にしなくてもいいから、いつもより楽で良い』と喜んでいる。馬で駆けた後、一応、領主館の手前で皆の全身を浄化しておいた。


 領主館の正門には武装した衛兵達が居て、ひと悶着あった。平民の様ななりで、若い男女がやって来て、魔法師団ですと言っても。お気に召さなかった様だ。だが、これは致し方ない事だ。向こうから目立たない様に領内に入る様に言われているのだ。


 大変に胡散臭い者を見る様な目で見られ、挙句に、魔法師団の団員だと言う証拠を見せて欲しいとまで言われた。


「そこの娘、魔法師団に何故平民がいるのだ!騙りではあるまいな!」


 と、今度は私に向かって指を指し、衛兵の一人がそう言って来た。まあ、どう見ても私は平民の髪色だ。

 冬でもないのにローブを被るのも余計怪しいので、普通にしていたのだ。

 魔法師団の制服は着ているだけでも人を威圧するのだろう。こんな事を言われるのも今回が初めてだ。

 やはり見た目は大事だなと思う。


「彼女は侯爵家令嬢だ。髪色は事情があり茶色なのだ。余計な詮索は必要ない。魔法師団の紋章を見せよう」


 ヴィルトさんの声で五人が集まる。


 皮手袋を外し、手の甲を五人が出して紋章を浮かび上がらせる。魔力の無い者には出来ない事だ。


「う、うむ。失礼した。今日、魔法師団の方々が来られるのは確かに聞いている」


 気まずそう衛兵の一人がそう言った。


「シュバリー伯爵側の希望で目立たぬようにという指示が出ているので魔法師団の制服は着ていないのだ」


「成る程、了解した。では正面玄関まで行かれよ」


 ごほん、ごほんとわざとらしい咳をしながら衛兵が門を開けたので、五人で馬に乗り正面玄関まで走り抜ける。

 

 ジュディーは仏頂面で、私に平民云々と言って来た衛兵を睨んで通って行く。


「ジュディー大丈夫だよ、髪色の事は気にしなくても大丈夫。私は気にしないよ」


「でもさ、なんかワザとらしいよね。なんか嫌味の一つでも言ってやろうってのが見え見えだったよ。この領主館の兵士は雰囲気悪い」


「うん。魔法師団が来るっていうのが、何か領地が疑われている様で嫌なのかもね。何度かフォルテス家からも問い合わせや、人が派遣されているらしいし、もしかしたら行方不明の話が領内でも噂になっているのかな?」


 そんな事を言いながら正面玄関まで入って行く。


「髪色の事で、もしまた何か言って来る奴が居たら、フィアラジェントの浄化の力を見せてやれば何も言えなくなるだろうさ」


「だめだめ、タダで見せるのは勿体ない。聖女の力だ」


 ヘミングスさんの言葉に、ヴィルトさんがおどけてそう言った。


「もう、聖女だなんて言うのやめて下さい、変な汗が出ます」


 この聖女という言葉ほど、面映ゆい感じのする言葉はないような気がする。

 

 どう見ても普通の私のどこが聖女なのだろうと。


「そうか?フィアラジェントは本当に自分の価値に無頓着だなあ」


「でもそれはフィアラの良い所なんだよ」


「そうだな」




 そんな話をしながら領主館の玄関まで行くと案内の者が居て、そのまま客間に案内された。だが何と言えば良いのか、領主館自体の雰囲気がなんだか暗くて嫌な気配を感じる。空気の澱みが感じられた。


 そう思っていると、ヘレナが私に目で合図を送って来る。やはり彼女も浄化師なので直ぐに異常を感じた様だ。


 この領主の館には、穢れが有るのだと感じられる。奥に入る程、重く嫌な空気が感じられた。


 チリチリとした肌を這うこの感覚は、紛う事無く瘴気の存在を示していた。


 それぞれ五人でシュバリー領主館の者には分からない様に、目配せを送った。


 

 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る