第6話 兄だった人との邂逅

「彼方此方(あちこち)見て歩いたが、足は痛くないか?」


「はい、大丈夫です。とても楽しいです」


 ゼルトお兄様は、病弱設定の妹の感覚が今だに強いようで、とにかく過保護だった。

 魔法師団でゴリラ並みのパワーで(ジュディーの方が凄いけど)働いているなんて、見せられない感じする。

 何となく、お兄様もジュディーみたいに庇護欲を誘う様な小さいものに弱いのかもしれないと思った。


 初めて会った日に「可哀そうに、この年で、なんて小柄なんだ。本当に身体はもう大丈夫なのか?」と言われたのを憶えている。確か、その後よしよし、と頭を撫でられた。


 露店が沢山出ている通りは、見て歩くだけでも楽しくて、あっと言う間に時間が経っていた。

 私があちこち見て回り、小さな手帳を出しては書き込んでいるのを見ても、お兄様は黙って私のしたい様にさせてくれた。


「やっぱり女の子は、こういう物が好きなのだな」


「そ、そうですね。好きです」

 

 露店で可愛い綿の布で作った花を模した髪の留め飾りや小物を見ていると、お兄様がそう言った。

 女の子に対する夢を持っていらっしゃるのだ。壊さない様にしなくては。


 こういう女の子が好むようなアクセサリーも子供の頃には買って貰う事がなかった。母から可愛い物を与えられる妹を羨ましく思ったものだ。だけどもう何だか懐かしかった。懐かしいけれども、それは切ない思い出だった。


 王都に来てからも、今日みたいに、徒歩で街中を歩くという事は今まであまりなく、街の作り自体あまり知らなかった。ヴァルモントル公爵家から馬車で連れて行って貰い、買い物をしていたのは、庶民のお店のある通りの中でも、高級品を扱うお店ばかりだったのだと気付く。


 庶民の店の通りだと一口に言っても、その品物の品質は、区域事に分けられて、通りによってかなりの格差があるのだと分かる。


「あの路地を曲がった所に食堂があるんだが、飲み物やおやつ感覚の食べ物もあって、人気なんだ。綺麗な場所ではないが、フィアラジェントが嫌でなければ入ってみるか?」

 

 お兄様が指さす方向に目をやる。うーん、どこも本当に人が多い。エルメンティア中から人が集まるのだから当たり前なのかもしれないけど。


「はい、行ってみたいです」

 

 お兄様と二人でお店に入ると視線を感じる。街中を歩く時も視線は感じてはいた。

 

 一見、金髪の貴族と平民らしい茶色の髪の女性が二人並んで歩いていると目立つのだ。興味本位での視線という所だろうか。だけど、王都では商人の娘と貴族の三男以下が一緒になるなんて事は、わりとある話なので、そこまであからさまに見られたりはしない。田舎だとこうは行かないだろう。


 建物は古いが、お店の中は結構広い。かなり立派な造りだ。

 太い梁が天井を貫く広い大衆食堂で、吹き抜けになっていて、二階もある。

 四人掛けのテーブルが九テーブルあり、カウンターもある。広くて雰囲気はビアホールと言った感じだ。


 ガヤガヤと人の声とお店の人がオーダーを通す声もして、とても賑やかだ。

 見回すと、チラホラ貴族の髪色も居る。しかも、席はほぼ満席の様だ。


「ゼルトじゃないか、こっち来いよ!」


 誰かが声をかけて来た。

 見ると、奥の席から貴族らしい金髪の男の人二人が手招きしている。どうやらお兄様の同僚の様だ。

 庶民の着る様な目立たない服装で、素揚げの芋に塩を振った物を摘まみに飲み物を飲んでいた様だ。


 庶民の味を楽しんでいるのだろうか?


「なんだ、ヨーゼフとベルアクトか、今日は休みなのか」


「そうだ。なあ、もしかしてその子、噂の妹君か?」


「見るな、減るだろう」


 兄さまがサッと前に立ち塞がる。


「減るか!なあ、ここ空いてるから座るかい?」


 ベルアクトと呼ばれた人が、ひょいと顔を出し、話しかけて来る。


「あ、ありがとうございます。お兄様良いのでしょうか?」


「くはっ、お兄様だって、可愛いなあ。俺も妹が欲しかったんだよ。男兄弟はつまらない」


 ヨーゼフと呼ばれた人が、そう言いながら、立ち上がり、ベルアクトと言う人の横に座り、お兄様と隣り合って座れるようにしてくれた。


「・・・仕方ない、相席させてもらおう」


 お兄様は渋々座り、私に二人を紹介してくれた。


「同僚の、こっちがヨーゼフと、そっちがベルアクトだ。二人とも第三騎士団にいる。同期だ」


「こんにちは。私はヨーゼフ・ザヌーバです」


 この人は痩せているけど、かなり身長の高い人だった。鈍いウエーブのある金髪を後ろで一つに括っている。


「私は、ベルアクト・シュリゲンです。宜しく」

 

 二カッと笑ったこの人は、どっしりとした体形で、身長はお兄様より低い。癖のない髪は短く首元で切られていて、前髪はオールバックに撫でつけてある。整髪用の無臭の油を付けているようだ。


「こんにちは、初めまして、フィアラジェント・ラナ・ティーザーです。宜しくお願い致します」


「宜しく。いやあ、お会いしたかったんですよ。貴女のお噂は色々伺ってます。皆がゼルトに、貴女に会わせろと言うものだから、よくゼルトが怒ってるんですよ。あたっ」


 私に握手を求めて来たヨーゼフさんは、お兄様に手を叩(はた)かれている。


「本当に綺麗な栗色の髪をされてるんですね。瞳の色はゼルトとよく似ている。ティーザー家の色かな?やはり兄妹ってやつだ。それに、金の光彩が美しい。こんなに希少な瞳を間近で見る事が出来るなんて幸運だな」


「ありがとうございます。その様に言っていただくと嬉しいです」


 なんか、普通の茶色の髪も、栗色と言われるだけで、優しい感じに聞こえるから不思議だ。

 私の髪の毛はとても長くしているが、縺れたりしない程の手入れがシルクによってされている。毎朝、香油を軽くつけて丁寧にブラッシングされているのだ。

 庶民では、自分でこの長さの髪を手入れして美しく維持するのは難しいだろう。

 だいぶ前に、髪が長すぎるので、もっと切りたいと言ったのだが、シルクに反対されてこの長さのままが定着してしまった。


『お嬢様の強い魔力を纏った御髪は大変美しいです。それに、旦那様がとても綺麗だと褒めていらっしゃいました。短くするなど勿体ないです』





 私の髪色に関しては、貴族の中には否定的な事を言う人もいるのだろうが、面と向かって言われたことが無いのは、ヴァルモントル公爵家が後ろ盾として着いているからだろう。


 私自身も、今となっては金髪に憧れたりはしない。ザクがこのままで良い。このままが好きだと言ってくれた。だから、他の誰かが何か言ったとしても、もうどうでも良い事だった。


 ザクが好きだと言ってくれたこの髪の色が私も好きになった。


 ふと、自分達の座る席のヨーゼフさん達の背中越しにいる席の人達と目が合った。

 

 その人達は男性四人だ。一人は金髪で髪は短くしている。こちらを見ているのは、丁度こちらを向いている二人だったが、金髪の方は見覚えがあるような顔をしていた。


 「・・・」


 ああ、と思った。なんとも言えないもやもやした感じが渦巻き言葉に出来なかった。

 一応、顔には出さなかったが、間違いなく金髪の方は、同じ両親を持つ、兄のジョシュアだと分かった。


 兄が進学の為に家から離れたのは、子供から大人への変換期だった。あれから体は大きくなり、骨格もしっかりとして、背も伸びている様だ、顔立ちもどちらかと言うと、少年と言うよりは少女めいた繊細で端正な顔立ちから、精悍な男らしさのある顔へと変化してはいるが、面影がある、間違いない。


 二つ年上の兄、ジョシュアは十四歳から奨学生として家から遠いスレントの上級学院に入学した。通うのは無理なのであちらで下宿していたのだ。それからは兄には会っていない。会う事なく私が家を出たので、六年以上会っていないという事になるだろう。


 ここでジョシュアに会うという事は、母の希望通り、兄は城の官吏になったという事だ。頑張ったんだな、と思った。彼は確かに優秀で、子供の頃の私にはとても羨ましく、眩しい存在だった。


 私にとって、兄は何でも持っている人だった。けれど今でも兄が羨ましいか?と聞かれたら、 答えは『否』だ。


 私は、何よりも一番欲しかったものを手に入れる事が出来た。

 その、宝物さえあれば、もう何が起こっても前向きに生きていける。

 誰かを羨む気持ちは何処にも無いのだ。

 



 そして私は、もう視線は向けなかった。そ知らぬふりでヨーゼフさんやベルアクトさんの話を聞いて、二度とそちらを見る事は無かったのだ。


「フィアラジェント、ここは『甘芋色団子』と香草茶が女性に人気なんだそうだ。頼んでみようか?」


「はいお兄様。食べた事ないです。是非」


 お兄様の優しい緑の瞳を見ながら笑う。兄のジョシュアには、こんな風に優しく語りかけられた事は無かったと思う。兄との遣り取りはあまり記憶に残っていない。


「いいなあ、妹」


「ええい、お前にはやらん。私の妹だ」


 注文して直ぐに色鮮やかな紫と黄色の、一口で食べられる様な小さなサイズの二色の団子交互に三つ串に刺されて、木の皿で二皿運ばれて来た。


「わあ、可愛い」


 色どりが可愛い。


「さあ、食べてごらん」


 紫芋と黄色芋の団子はふかした芋を潰して作ってあるようだった。素朴で柔らかな団子だった。ほんのりと自然の甘みが優しい。普通に貴族の中に今まであった様なひたすら甘いお菓子ではない所が良い。庶民ならではのお菓子だ。あむっと頬張ると自然に笑顔になった。餡が、口の中で優しく解けていった。


「ん〜美味しい。お兄様、とっても美味しいです」


「そうか、良かったな」


 お兄様も笑って、満足そうに串団子を口に入れて咀嚼した。


 香草茶は、薄い黄色のハーブ茶で、爽やかな味がする。お茶のお代わりは自由で、陶器の無骨な感じのポットごと

テーブルに置いてくれた。


 おかわりが自由のお茶が付いて、安価に食べられる茶菓子だ。見た目も可愛く庶民の女性に人気だというのも頷ける。話をしていると、時間が経つのも早い。後ろの席の四人が席を立ち帰り支度をしている。こちらの席の横を通る時にも視線を感じたが、見なかった。


 同じ城に務めるのだから、こんな風に会う事もあるのだろうが、だけど兄として関わり合う事は二度とないのだ。

 私の兄は、もうこの人では無くなったのだから。


 


 と、そう思っていたのだけど、その後、この兄であった人とは、また別の出会いが待っていた。

 


 



   ※   ※   ※






「なあ、前の席に居たのは、第五の聖女様と騎士団の人達だったな。長い髪がめちゃくちゃ綺麗だった。あれは目立つな」


「あ、やっぱそうなんだ」


「俺も気になってた、聖女様は兄上様と一緒だったな、後ろだから何度も振り返る訳にはいかなくて、聞き耳立ててたんだ」


「そうそう、『お兄様』って呼んでたよ。俺にもあれくらいの妹が居るんだけど、あんなに可愛く優し気に呼んでくれないもんな。『兄ちゃん、臭い靴下脱ぎっ放しにするな!』とかよく怒られるんだ」


「侯爵家の御令嬢だし、髪の色は庶民と同じって言っても、全然ちがうよな~。長くて、艶々で綺麗だったし、顔も小さくて可愛かった。目の色も光のキラキラが混ざった吸い込まれそうな緑色だった」


「ま、高嶺の花さ。住む世界が違う。お前の靴下の臭いなんて直ぐに消せるお方だ。魔法師団だぜ」


「ぎゃはは、そうそう、俺たちとは住む世界が違う。今日はお忍びだな、庶民の店に来ることもあるんだな」


「なんだよ、ジョシュア、大人しいなぁ。どうした?」


「・・・いや、何でもない。」


 そう、浄化の魔力で有名なティーザー家の令嬢で、強力な浄化魔法の力を持つ彼女の話は、よく仕事仲間の間でも口に昇る話題だ。その彼女の魔力と辺境伯家の天才と言われる子息の協力により、『聖女の瞳』と名付けられた浄化の魔道具が作り出された話は有名だ。


 ティーザー侯爵家家と言えば、母の実家の本家筋になる様だ。妹と似ているのはそういう事が関係するのかも知れない。仕事に没頭している時以外に、いつも心の中の半分を占める、忘れたくても忘れられない重たい後悔の念は、何処かで救いと言うはけ口を探すように、私は彼女の姿を街中でも探していた。

 

 ・・・そしてティーザ―侯爵令嬢は、以前見かけた時に妹に似ていると思ったが、やはりよく似ていると思った。顔だけでなく声の感じまでも。だが、彼女が妹である訳も無い。

 その証拠に、瞳の色は遠目にもはっきりと分かる輝きを含んだ緑の瞳だった。だが名前までが似ているとは驚いた。


 今では各神殿や救護所等には必ず置かれるようになった『聖女の瞳』は、不浄を清める大切な道具として無くてはならない物となっているという。


 彼女は珍しくも庶民と同じ茶色い髪を持つ事から、陰の貴族の中では悪意のある中傷を囁く者も居たようだが、まごう事無き稀有な魔力の力で、その噂はねじ伏せられた。


 彼女の浄化の魔力によって作られた魔道具は、実際に今までなかなか手の付けられなかった澱みを払っているのだ。それは直接庶民の生活に関係する場所等の浄化に役立ち、つまりは、巷に流れる庶民の噂は、好意的なものばかりだった。


 そして彼女の後ろ盾が、かのヴァルモントル公爵なのだという噂が流れると、誰も彼も、絶対手の出せない宝なのだという事が定着して行ったのだ。


 そんな方に遭遇して、自分の妹を重ね合わせているなんて、有りえない話なのだ。


 

『兄さん、お弁当忘れないでね』


『ああ』


 幼い妹が作ってくれていた、弁当を受け取る時、私はいつも礼さえ言っていなかったなと思う。

 

 どうして、当たり前の事だと思っていたのだろう。


『兄さん』


 と、そう呼ぶ声は、とても優し気だったのに・・・


 どうして、一度でも『ありがとう』と言えなかったのだろうか。


 


 


 

 




 

 

 

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