第5話 人と『人に非ざる者達』の境界
十字島には様々な『人に非ざる者達』が住んでいる。
紫苑城で働く皆も、『人に非ざる者達』だ。
執事のフロスティは、ジャック・フロスト。
侍女のシルクはケット・シー。
御者兼、侍従兼、雑用係と忙しいのはフィルグレットで、彼は人とエルフのハーフだと言う。
料理長はブラウニーなのだそうだ。
それ以外にも、他のメイドや時々庭仕事等をしている知らない人達を見る事もあるのだが、いつも傍にいてくれるのは、ザクと、この四人だった。
エルメンティアの紫苑城と十字島の紫苑城の建物の造りはそっくり同じで、魔法陣で繋がれた出入口がある。
その道を使い十字島の生産品を受け取ったり、『人で非ざる者達』も行き来しているのだという。
それで、気になったのだけど、フィルグレットは人とエルフのハーフという事だけど、今の常識では、エルフはエルメンティアでは、今では存在しない古の種族という事になっている。
でも、大神官様は、エルフの血の入った家系なので長生きだと聞いた事があるので、わりとエルメンティアの国民はそういうものなのだと受け入れる国民性なのかもしれない。
十字島の中には、人に紛れて暮らせる種族と、そうでない種族が混在している。
大型の竜が空を飛んだらエルメンティアでは大騒ぎになるだろうけど、カイナハタンのジクバには、竜騎兵が居て、ワイバーンが空を飛んでいたのだ。国の歴史や事情で、そういう状況は変わって行くものなんだろう。
人に非ざる者達の事情をザクに詳しく聞くと、十字島の住人は皆が皆、十字島だけで暮らしているのではなく、人に紛れてエルメンティアでも暮らしているのだという事だった。そういう者達は皆、人の振りをして生きているそうだ。
フィルグレットの場合は特殊で、人と他種族の間には滅多に子供は生まれないらしいけど、彼の母親のエルフと人間の父親は他種族だという壁を乗り越え、人の世界で一緒に暮らし、子供も生まれたという事だった。
驚く事に、フィルグレットには双子の弟が居るというのだ。でも、今まで会った事はない。
そして、とうに彼らの人間の父親は亡くなり、母親は今は十字島に暮らして居るという。
夫が亡くなるまで、人間の世界で、仲良く夫婦として暮らしたのだそうだ。
『人に非ざる者達』は皆、魔力持ちで、人に紛れて暮らせるように容姿を変える事等、簡単に出来てしまう様だ。
フィルグレット達兄弟は、母親の性質をそのままに生まれた様で、耳が尖っていないだけでほぼエルフだったらしい。その彼らは、人の中に入る事を躊躇わない性質も持ち合わせていたので、人と『人に非ざる者達』の間に生きる様になったという訳だ。
最もそういう風に、外の世界を好む者達は少なく、人の世界に出たがる者も少なかったそうだ。
十字島はザクの結界に守られていて、とても魔素が濃く、人の醜い欲や穢れを持ち込まれないので、安心して生活出来る。生きやすく、寿命も皆長いそうだ。だが、皆が皆そうだとは限らない。人の世界に一度は行ってみたい、生活してみたい、と思う者はいるらしい。
エルメンティアの過去の王族の中には、『人に非ざる者達』と交友を深めた者が居た。その王族の計らいで、『人で非ざる者達』の保護区が用意された。それが、今の十字島だったという訳だ。
当時、人の中での生活を難しく思う『人で非ざる者達』が増え、そして数を減らしていたのだという。
現在でもそうだが、別に、十字島とエルメンティアの行き来を制限しているわけではない。
ただ現在は、十字島を守る為に、ザクの許可の無い者は外からは入れないようになっているらしい。
その細かいやり取りは、フロスティーやフィルグレットが主にやってくれているという。
それで、ザクから私に相談が持ちかけられた。
彼が言うには、最近の十字島の住人の中には、エルメンティアの本土で、生活や仕事をしてみたいと思う者が居るというのだ。その彼らが、エルメンティアで人との生活の術を身に着けるために、居場所として、仕事場として、人の生活や人との接触をどうすれば良いのか学べる場所を作れないだろうか?という事だった。
実際に、今現在も、人に紛れて生活している『人に非ざる者達』が居る。
その中の一人は、王都の庶民の街の中で洋裁店を経営しているそうだ。
私の普段着の洋服やドレスもそこで作ってくれているようだ。こちらの方はシルクが全て手配してくれているので、私も知ってはいたけれど、実際にお店まで出向いた事は無い。庶民の街にあるのに貴族の馬車に乗って行ったりしたら迷惑になるのではないかと思っていたからだ。
職人は全て十字島の住人だそうで、店だけでなく十字島の方に発注して、そこでも作っているらしい。
前から考えていた事だけど、十字島で作られるちょっとした珍しい物産や、東の国の復興に物関わる様な物等を雑貨屋で売ったりしたらどうだろうか?一般庶民の人達の色々な反応を直に見る事が出来ると思うのだ。
そこで、私が前の世界で食べていた様なちょっと珍しいお菓子等の食べ物等が、気軽に食べられるちょっとしたカフェみたいな場所が造れないだろうか?
そういう物は、エルメンティアでは裕福な人達の物で、普通の庶民の手にはなかなか届かないのだ。少しずつでも安価に届けられるようになる切っ掛けが作れないだろうか?なんて思った。
それなら、庶民の為の、気軽にお店に入れる、色々な安くて良い物を扱う雑貨屋さんが良い。
だからまずは、エルメンティアのお店事情等もよく考えないといけない。お店を持つ場所も吟味する必要がある。
そんな事を考えていると、ゼルトお兄様から手紙が来た。
『今度の休みはいつなのかな?休みの日の午後からでも王都の店を見て回らないか?』というお誘いだった。
ザクに相談すると、フィルグレットが御者をする馬車を使って移動するように言われた。家紋の入らない目立たない小さな馬車を使えば良いと言われたのだ。お兄様と待ち合わせの場所を決め、其処まで送り迎えして貰う事になった。
ゼルトお兄様には、庶民出の城の官吏の友人もいるので、色んな情報を聞く機会があり、その中には女の子の喜ぶお菓子や小物を売る店等の情報もあるそうだ。
待ち合わせは一般中央広場の噴水にした。少し早めに到着して、広場横の馬車留めに馬車を止めてお兄様が車で待つつもりだった。だけど、早めに着いたのにお兄様の方が先に来ていて、すぐに馬車から降りた。
「お嬢様、お気をつけて。約束のお時間に此処に参ります」
フィルグレットが馬車から降りる時に、手を差し出して降ろしてくれながらそう言った。
「うん、ありがとう。じゃあ、また迎えに来てね」
「はい、お任せ下さい」
綺麗な姿勢で腰を折り、フィルグレットは静かに頭を下げて送ってくれた。
本来なら普通の御令嬢は走り寄ったりしないものだけど、庶民の街なら気分も開放的になる。私はお兄様との街歩きが楽しみで、お兄様の居る場所まで走り寄った。
「ゼルトお兄様、お待たせしました」
ぴょこりとお兄様に飛びつかんばかりに寄って、ニッコリ笑った。
「お、おう、なんだ元気がいいな、よし、行くか!」
お兄様は自分の右肘を私に突き出した。
「?」
なんだろう?
「フィアラジェントは小柄だから人込みに紛れたら心配だ。私の肘を持っていなさい。一応護衛も目立たないように、付けているので安心して良いからな。ちゃんとヴァルモントル公爵家にはお前を守ると言ってあるのだ」
確かに人通りは多いし、私は小柄だ。
「はい、ゼルトお兄様」
ニコニコと満面の笑顔で答えてそっとお兄様の肘を持つと、お兄様はちょっと恥ずかしそうに顔を赤くした。
ゼルトお兄様にはまだ婚約者が居ないし、女性の扱いには慣れていないのだろう。
まだだいぶ先の話になるけど、長男のヘンリクお兄様が、お父様から公爵位を継承した後に、もう一つティーザー侯爵家が所有している子爵位を、ゼルトお兄様がその領地ごと受け取られる事となっている。だからお嫁に来たい貴族令嬢は沢山いるようだけど、騎士の仕事が忙しいので今は必要ないと、そういうお話をお断りされている様子なのだ。
私の護衛に関しては、実際の所、古の魔道具(アクセサリー)や、ザクの守護魔法で守られているので、大丈夫なのだ。でもザクから、ティーザー侯爵家にも、私を外に連れ出す時には例え実家でもちゃんと護衛を付ける事が条件だと言ってあると言われている。
『私の大切な婚約者なのだ。当たり前の事だ。気を付けるに越した事はない』
そう言ったザクの真剣な声に、ここは魔法の世界だ。思わぬ事が起きてザクに心配をかけないように気を付けないといけないと思った。
「そうだ、騎士団で話題になっていたのだが、貴族街に新しい菓子等を扱う店が出来たそうだ。カカオ豆という物がロードカイオスから輸入解禁になり、チョコレートという甘い飲み物等の専門店等だそうだ。今日は庶民の街を廻るが、別の時に一緒に行ってみるか?」
ゼルトお兄様の言葉に私は驚いた。
「チョコレート!はいっ、行きます」
私の勢いにお兄様は笑った。
南の大陸、ロードカイオスのイヴルドでは、甘いチョコレートがあったのに、エルメンティアには入って来ていなかったので気になって調べたら、輸入が出来ない状態だったのだ。ロードカイオスでは、今まで需要に供給が追い付いていなくて、輸出まではしていなかったのだ。それにあちらには、砂糖が取れる『サトウキビ』もあるので最強だ。
帝国軍に敗戦後、国の興に時間がかかり、やっと現在は輸出が出来るまでになったのだ。
エルメンティアにはカカオの樹もサトウキビもない。気候的に無理なのだ。
フィサリス家の領地ならばあるいは考えられるが、あそこは他の物で十分潤い、そして有名だ。
そういえば、前世の知識だけど、チョコレートの起源は紀元前××××年(←憶えていない)頃だとかで、山火事でカカオの樹が焼けて、種から香ばしい香りがするのに気付いた昔の人が、その種をすり潰して口にする様になった事で、偶然からだったそうだ。こちらの世界でも同じような事が起ったのだろう。
それまでは、あのアメリカンフットボールの様な形の、黄色やオレンジ色の実の中に詰まったキューブ状の白い果肉や周りの白い繊維を食べていたのだ。
白い果肉はライチに似たような味らしい。熟した白い果肉はねっとりとして甘く、美味しいのだそうだ。その実の中に沢山詰まった白い果肉の一つ一つに種がある。後に種は、場所によっては貨幣として扱われる程の価値を持つようになるのだ。
そして、初めは薬として扱われ、唐辛子を混ぜていたそうだ。ただでさえ苦い物に辛い物を追加するな!と言いたくなる。転機は、西暦15××年以降頃に唐辛子を混ぜる代わりに砂糖を混ぜた事だろう。そこから甘い飲み物とされる。どちらにしても王族・貴族やお金持ちの嗜好品であった。
チョコレートが固形化されるのは、たしか西暦18××年以降だったはずなのだ。
だから、それを考えると、チョコレートを甘くして、フルーツにかけたりする文化のあるロードカイオスは、その点は特出した発展を遂げていると思う。面白いものだ。遠征の時に食べた味が忘れられない。
それにチョコレートがエルメンティアに入って来れば、お菓子ももっとバリエーションに富んだ物になって行くだろう。それは、楽しみだった。
待ち合わせの場所から、お兄様と、賑わっている庶民の店の並ぶ通りに歩いて行く。
古い建物の店が並ぶ通りには、小さな店が並び、木の食器の店では、木の器と木のスプーンやフォークを取り扱っている店。陶器の器だけを扱っている店、金物を扱っている店、と言った具合だ。
同じような店が幾つも彼方此方(あちこち)にある。それはまるで、前世の観光地の、同じような土産物ばかりが並ぶ土産物店の様だ。それでも、流石に王都というのか、人が集まる場所だけあって、その店々を多くの人が覗いて見ては見比べ、少しでも安くて良い物がないかと選んで居る様だった。
「露店や土産物を売る店はこの通りではなくもう一つ向こうの通りや、その向こうの通りになるんだ。ここよりももっと人通りが多くなるし、旅館なんかも多い」
磁器の食器や、銀食器の様な高級品等はこの辺りのお店では扱っていないようだ。
「この辺りは、本当に庶民が通常の生活に使う日用品が売られているんだ。同じような通りは他にも幾つもある。もう少し先に行くと、裕福な庶民が買い物をする場所に出る」
言われた様に、何方かと言うと、私が子供の頃に買い物をしていた市場の様な簡易的な作りの店が連なっている。建物も古く、衛生的とは言い難い感じだが、それでも流石に王都だけあって、とにかく人が多く活気が溢れているのだった。
私は、庶民の街にカイナハタンの物や十字島で採れる珍しい物を売る、庶民向けの雑貨屋を作りたいと思っていた。前世ではアンテナショップと言われていた類の目的を持つお店だ。先ずは下調べからして行こうと思う。
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