閑話3 消えた紫苑園 


 エルメンティアの王城、王族の居住区にある居間でお茶を飲んでいた所、唐突に妹の大きな声が聞こえた。


「叔父様がいらっしゃって居るわ!!」

 はしたなくも双眼鏡をひっ掴みドレスを捲る勢いでエルメンティア城の渡り廊下を走るのは私の妹、アレクサンドラ王女だ。


「サーシャ、走るな、行儀の悪い!」


 直ぐ下の妹は、14才、ヴァルモントル公爵の熱狂的なファンである。


 私は、第二王子のマクシミリアン・エルンスト・フォン・エルメンティア。


「姫様、何という!も、申し訳御座いません」

 平身低頭で謝る侍女のメヴィルは、サーシャを追い掛けて廊下を渡って行く。


 叔父様と言っているが、本当は高祖叔父(こうそしゅくふ)に当たるその方は、フレデリク・ザクアーシュ・ヴィ・ヴァルモントル 公爵である。


 三代前の王弟、つまりは、ひいひいお爺様の弟と言うことになる。


 ひいひいお爺様に当たるルチアーノ王は、51才と言う若さで早逝されている。

 弟であり現在のヴァルモントル公爵を盲愛されていたと聞く。

 その瞳の色とご本人のイメージで、『紫苑の君』とルチアーノ王のみが呼ばれていた。


 ルチアーノ王は父王を暗殺され若くして王位を継がれた。産まれた時から先祖返りの美貌と桁外れの強大な魔力を持つ弟君を心配され、とかく外界から遮断する様に育てられたそうだ。


 今でもかの君は、その人離れした美貌も魔力も衰えぬまま、ふらりとルチアーノ王が弟君の為に造られた、紫苑園へと足を運ばれる事がある。


 普段はローブのフードを深く被り、余り人前で素顔を晒そうとなさらないかの君も、そこではローブを降ろし庭を散策される。


 運の悪い事に、妹は家庭教師から隠れる為に潜伏した角部屋のバルコニーから、紫苑園にいらっしゃる、かの君を見てしまったのだ。

 傾国と歌われる…美貌である、憧れぬ訳もなく、一目で恋に落ちた様だ。


 妹のその様子から、かの君が自らの美貌を普段から隠されるのも致し方ない事だと私は思ってしまうのだ。


 紫苑園には、かの君しか入ることは叶わない。ルチアーノ王が集めさせたという、かの君の薄紫の瞳の色に似た花のみが咲き誇る美しい庭園である。



 王族は王城内に自分の花園を持つ。亡くなると誰かに引き継がれるか、そのまま残すか、新しくされるか、何れかになる訳だが、かの君はルチアーノ王が亡くなった日に、自分の花園の時を止められた。


 ルチアーノ王は、特に、かの君の瞳の色に似た薄紫の色は禁色とされ、その色を模したかの様なバラを造らせ、かの君以外には紫苑園から持ち出し禁止と成された。


 王族ですら近くで見る事も叶わぬ薔薇だ。貴族も皆憧れる幻の薔薇。


 誰も手に入れる事の叶わない薔薇……


 ところが、ある日かの君は、その庭園に、一人の少女を誘(いざな)った。

 今まで一度もその様な事が無かった訳であるが、その庭の主人はかの君。

 誰を連れて来てもかの君の自由である。



 かの君は実質的にも、実力的にもエルメンティアのナンバーワンであり、王である我が父上も全く頭が上がらない方である。


 だが、常日頃から、『次代の者が育たなくなるので、私は政治の表には出ない、自分達でよく考えて行え』と仰っていると聞く。


 ある時、かの君は、『人の目が煩わしいので、紫苑園を紫苑城に転移させる』と父上に言われたようだ。『その様な事は起こさないので、このまま王城に置いておいてください』と父上が、かの君に願ったのだと後日伺った。


 庭園ごと王城から紫苑園を転移させるなど冗談の様だが、事実、お出来になられるのだろう。


 それにしても、人の目と言うのは、アレクサンドラの事ではないだろうか。

 一度、父上にお話しするしか無いだろう。




 そして、その連れていた少女と言うのが、15才のフィアラジェント・ラナ・ティーザー侯爵令嬢である。


 王家にとっては大切な命綱とも言うべきティーザー侯爵家の令嬢であり、今現在、唯一のティーザーの魅了眼の持ち主だ。そして、王族関係の主だったる者にだけ伝えられている、ヴァルモントル公爵の婚約者候補。


 かの君が望まれて幼い頃から大切に手元に置かれている。その時点で事実上の婚約者だろう。誰にも手を出せない高嶺の花だ。


 かの君が、紫苑園に来られる時は転移の魔法を使われて、王族と顔を合わせることも無かったが、我が妹アレクサンドラは、かの君の庭を双眼鏡で覗き見するのが趣味である。


 不敬過ぎて大きな声では言えないが、庭の主人であるかの君がいても居なくても、城の一角からこっそり隠れて庭をよく覗き見していた。その庭の美しい花々を見るだけでも幸せだった様だ。王家の血は、執着心が強いと言われるので気をつけなければならなかったのに、放置していたのが悪かった。


 だが、兄である私や、母が注意しても止めぬものを、侍女が注意しても止める訳もなく、『覗き見』を繰り返していた様だ。妹が嫌がっても、現場を閉じてしまえば良かったのだ。


 ついにある日、妹は、かの君が少女を紫苑園に連れて来られた現場を見てしまった。そして、誰もが欲しいと願うあの薔薇を少女に捧げられたという。


 それもかの君自らが棘を花鋏(はなばさみ)で落として、微笑みながら彼女に手渡ししている所を目撃した様だ。その衝撃は見ていた妹を打ちのめしたらしい。妹はその後、3日間寝込んだ。


 そして、具合が良くなった朝、妹が起きてバルコニーに行くと、紫苑園はぽっかりと、そこだけ抜け落ちたように無くなっていたのだった。


 かの君は父上に仰(おっしゃ)られたそうだ。『邪悪な気を』感じたと。


 大きな声では言えないが、妹は寝込んでいた間、ティーザー侯爵令嬢に対して呪詛の言葉を吐き散らしていたらしい。王家の者は魔力が高く、未熟な妹が知らず力を使っていたとすれば、大変な事だ。


  王家に伝わるこの世界の成り立ちを知っていれば、『身内の懸想』による悲劇は有ってはならない事だ。


 ましてや、先祖返りと言われるかの君である。

 ルチアーノ王は、特に、血縁のある女性を、かの君に近付ける事を厭(いと)ったと言われている。


 アレクサンドラの覗き見の事実を知った父上は傷が小さい内にと彼女を田舎に領地を持つ、ひいお祖母様のご実家に嫁に出される事になされ、早々に手を回されたた。成人を待っての運びとなるだろう。それを理由に、傍付きの教育係も厳しく選び直された。彼女にはもっと教育が必要だ。


 美しい紫苑園とあの幻の薔薇は、王城よりも美しいと囁かれる紫苑城の一角にでも移ったのだろう。


 かの君のように、美しすぎると言うのは、当人の意思に関係なく望まぬ者も引き寄せる。手の届かぬ場所にあるのがちょうど良い。







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