番外編 大神殿へ

 エルメンティアの王城は海に近いが、大神官がいらっしゃる大神殿は王城とは離れた内陸側に位置するらしい。


 だいたい、大して信心深くもなく、日々の事を過ごすだけで精一杯だった私は、神の信仰の世界にはあまり興味がなかった。


 それに住んでいた領地は、田舎町だったので、神殿は少し大きな隣町に行かなければ無かったし、そこに行くのを義務付けられているのは、成人を祝う式の時だけだ。その時には確か、神官様の有難いお話を聞く行事があるという事だった。つまり、まあ、どうでも良かった。


 エルメンティア王国の大陸にある全ての領地には、必ずその規模に応じて神殿の分室が置かれる事が国の法律により義務付けられている。領地の規模や条件で神殿分室の数や大きさが異なるのだ。


 その分室を人々は神殿と呼んで崇めていた。神殿は主に、生活に困窮する人々や病に苦しむ人々に救済の手を差し伸べている。そして季節ごとの祭事や人の生き死にに関する事には神殿が関わっていた。


 この神殿の分室という言い方は、エルメンティア大神殿に対して、そこから派遣された神官が来ているからそういう言われ方をするが、だいたいは○○領地の○○神殿という様な、呼ばれ方をしていた。


 私は、父親の職業が一応安定した学校の教員だったので、幸いな事に生活の面で今まで神殿のお世話になる事が無かった。もしあったとすれば、成人の時に神殿で神官様のお話を聞くという行事だけど、13才で家を出たので行くことも無い。


 大きな領地の街等には、神殿だけでなく、治療院や修道院といった物も建てられている様だ。


 王都にも大神殿の近くに神殿が運営する治療院と修道院があるそうだ。


 エルメンティアの国と宗教は政教分離型で、様々な制約が絡んでくるので、ザクはヴァルモントル公爵としてではなく、個人的に、たまたま神殿に務めている『神殿に居る知人の相談』を密かに受ける事があった。



 そういう流れで、今日はザクに連れられて、大神殿に来ている。

今月末で十五歳になるので、神殿に祝福を受けに行こうとザクに言われた為だ。


 貴族は成人の年に神殿で神官様から祝福を受ける習わしがあるらしい。


 だけど、大神殿で、大神官様から祝福を受けると聞き、ポカンとしてしまった。

 

「お前の成人の話をしたら、直接祝福を授けたいと言われた」

 

「……大神官様って、本当に?」


 思わず尻込みする私に、ザクは何も怖い事はないし、私に嫌な事等一切させないので大丈夫だと言った。

 

 そこまでザクに言わせて、行かないなんて選択肢は私にはない。


 ザクにしても、私には、本来ならば雲の上の手の届かない人だ。そして、大神官様に、もし私が会いたいと思っても簡単に会える人ではないはずだ。


 今日は、足首を隠す長さの白い絹のドレスを着せられ、白い背中までの短いベールを被らされた。とてもシンプルなドレスだったけど、キラキラと光る石が沢山縫い付けられていて、衣裳の隅々まで細かい銀糸の刺繍で飾られていた。なんだかとても高そうだ。


 靴も白い絹の靴で、やはり透明なキラキラする石と銀糸の刺繍が美しい。

怖くて何の石なのか聞けない。ガラスや石ではなく、間違いなく宝石だと思われる。


 そして、このドレスからはザクの強い魔力が感じられた。と言っても不快な物ではなく、守護の力を感じたのだ。


「これは、お嬢様の成人用に旦那様がご用意された特別な御衣裳でございます」


「……うん、とても綺麗。それに優しい……」


 優しいというのは、この衣裳に込められた私への気持ちがそう感じられたのだ。


「刺繍の鳥、花、蔦の紋様は、ヴァルモントル公爵家を表す物ですよ」


「ああ、正門とか、馬車とか、お屋敷のあちこちにあるよね」


「はい。この紋章を身に着ける事を、旦那様がお許しになられたのは、お嬢様ただ御一人でございます」


「私だけ?いいのかな」


「はい、慶事にございます」


 とてもシルクが嬉しそうに微笑むので、私も笑った。


 シルクはいつも色んな事を私に教えてくれる先生でもある。


 いつもならば、離れた場所への移動には、ザクの魔法で飛ぶ事が多いのだけど、今日は正門から、大きな紋章入りの馬車に乗って屋敷を出た。


 馬車が出る時には、火打ちの魔石でフィルグレットが何度か虹色の火花を散らし、音楽の様に聞こえる古語で文言(もんごん)を唱えた。


 私は古語を習っている。最後の一節だけ聞き取れて理解出来た。


『……大人への階段を上る我が家の大切な者へ愛と祝福を送ろう』


 乗った大きな馬車の内装は全て薄紫色に染められた絹が張られ、布と内壁の間には綿が間に厚く仕込まれていて、誤って何処かに身体をぶつけても痛くないようにされていた。


 タッセルの付いたひじ掛け用のクッションや座布団、背中に当てられたクッションも弾力が丁度いい感じだ。全部フィサリス産の綿が使われているのじゃないだろうか?


 馬車の中はとても広く、外を見る窓も大きくとられていて明るかった。


「外からは、魔法で中は見えない仕掛けになっているのだ」

 

 そう言われて、私は窓に引っ付いて外を見始めた。ザクがクスリと笑った様な気がする。


 景色が飛ぶように流れるのは、馬車自体に魔法が使われているのだろう。


 馬車はガタゴトと走っているはずなのに、中は全く揺れなかった。とても快適だ。ベールは邪魔なので、馬車の中では外しておいた。


 街並から外れると、景色は一転、農業地帯の風景が広がる。少し外れるだけで、こんな景色を見る事が出来るとは知らなかった。穀物の畑や、果物の農園が美しく配置されている。


「驚いたか?王都には、不測の事態を考えて、農業地帯も作られているのだ」

「うん、びっくりした。こちらには来た事がないから知らなかった」


「フィーは王都の街や下町しかまだ見ていなかったな」

「そう、でも……いいねとても素敵」


「そうか」



 ザクもいつもの黒いローブではなく私と同じような白い装束で、いつもにも増して、とても美しかった。目が潰れそうだ。

 だのにどうしてか、彼の傍はいつも居心地が良く、とても安心していられるのだ。


 私の心臓は毛だらけなのかもしれない……。


 13才から15才へと二年の月日が経過し、色々な経験をさせて貰った。

私はこの人の傍に居ても良い者になりたかったから、一生懸命全力でいろんな知識を取り込む努力をしているつもりだ。


 浄化の能力も、今では慣れて息をする様に使えるようになった。嬉しい。

 ザクと休日には十字島に行き、色んな魔力の扱いを学んだ。


 また、彼の導きで、こっそりと知らない領地の治療院で働いたり、各地の神殿の炊き出しを手伝ったりもした。そのどれもがとても私の為になった。



   ※  ※  ※



 初めて来る大神殿は、壮大な敷地を持つ白亜の建物だった。


 芝生の緑が美しく敷地内のあちらこちらに流れる水路と、大小の噴水が美しく配置され、建物と建物を繋ぐ回廊の白い柱が等間隔で並ぶ様が大層美しい。


 どこもかしこも真っ白で、柱や壁の白に銀色の粉でも混じっているかのような、時折キラキラと何処かで光が反射して、非日常的な美しい空間だった。


 馬車で到着すると、迎えに出て来た案内役の神官に連れられて、ザクと白い廊下を歩いて行く。控の間に入ると、中にはティーザー侯爵家のお父様が居た。お父様も白の礼服を纏っている。


「ヴァルモントル公爵閣下、今日は娘の成人の儀に呼んで頂きありがとうございます」


「ティーザー侯爵、貴方の娘の成人の祝いだ。当然だろう」


「ありがとうございます。我が娘フィアラジェントに、何もかもをご用意頂いたようで、恐縮です」


「婚約者の成人の身支度だ。私が全て用意したかったという我儘だ」


「ありがとうございます」


 ティーザーのお父様はザクに深々とお辞儀をしている。


 ザクからの提案で、内々に王家には婚約者として私を家に住まわせているのだと打診されていたのだ。もちろんお父様もその話を了承している。


 そのことにより、私は国で一番強い後ろ盾を持つ事になり、王族貴族からの、私の魔力を欲しがる横やりを抑止出来るのだと言われた。


「お父様来ていただいてありがとうございます」


 私は、落ち着いて声を出した。ゆっくりと優雅に話すように気を付ける。


「フィアラジェント、父は病弱だったそなたが元気に成人を迎えられる事をとても嬉しく思う。おめでとう」


 病弱設定で、今までヴァルモントル公爵家で養生していた事になっているので、お父様も細かい演技をされるものだ。


「はい、お父様ありがとうございます」


 ちゃんと私もそれに乗っからなければならない。


 それから、私は白いドレスの端を摘まみお辞儀をした。ドレスからキラキラと光がさざめいた。


 周りに他にも神官等が居るので、よそ行きの会話だけど、とてもこそばゆい。ベールのお陰で表情を気にせずにいられるのでとても助かった。


そのあと祭壇のある部屋へと誘われた。歩いて行く途中の林立する白い回廊の柱がとても幻想的だった。


 大神殿には祭壇の間がいくつも有り、行事に合わせて大きさも様々あるそうだが、わりと小規模な祭壇だったのでホッとした。


 

 祭壇の間には、いかにも高位の神官様が着ていそうな豪華な神官服を纏った、白く長い口髭と顎髭をたくわえた、おじいちゃん神官様が居た。横に若いお付きの神官様がもう一人居る。白いひげのおじいちゃんが大神官様なのだと思った。


 人払いされているらしく、部屋には5人しか居ない。


 この人からは、強い魔力と、気持ちの良い浄化の力を感じる。


「これはこれは、皆、よくおいでになりました。ヴァルモントル公爵様、今日は私の願いをお聞き届け下さいまして、ありがとうございます」


 大神官様なのに、物腰といい、やけに腰の低い方だなと思った。


 それに、ザクに対して膝を折ったのだ。たぶん、人前ではしてはいけない事なのだろう。その為の人払いと思えた。


「そなたの願いだ。叶えぬ訳には行かぬであろう」


「ありがたき幸せにございます、さあ、こちらにおいで下さいませ」


 そう言って、白いお髭の大神官様は私に手を差し出した。


 私はその手に自分の手を重ねた。


 大神官様と触れた瞬間、そこから緑金の輝きが膨らんで、部屋中に広がった。

 私の魔力と大神官様の魔力が重なって共鳴している。


 後に聞いたのだが、その時、この部屋だけでなく、建物を貫き、緑金の大きな光の柱が天に向かい立ち昇っていたのだそうだ。


「ああ!何という……これが、古文書に伝えられる、穢れを祓う浄化の魔力なのですね……!」

 

 大神官様は、涙ぐんでいる。


「あぁぁ、なんと尊い!これでいつ死んでも悔いはありません」


「そなたは、まだまだ死にそうにないぞ」


 ザクはとてもつまらなそうにそう言った。


 私とティーザーのお父様は、口を突っ込む訳にもいかず、だまって事の成り行きを見ていた。




 その後は滞りなく、大神官様から祝福の言葉を頂き、『また、いつでも遊びにいらして下さいね』と言われて、帰途に着く。


 後ろの方で、ザクに話しかける時、ザクに『殿下』と話しかけて、ザクに「いつの話をしているのだ」と言われていた。もちろん人払いされている。傍付きの神官様は無表情を貫いている。


 大神官様は、わざわざ帰りの馬車まで見送りに出て来られたので、ティーザーのお父様はとても恐縮していた。


 後日ザクから聞いた話によると、大神官様はエルフの血が入った方で、ザクとは長い付き合いのようだった。










 




 



 

 



 









 


 


 



 

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