僕らは、明日も恋をする。

 バレンタインの翌日の夜。

 兄さんが家に帰ってきました。兄さんは大学の入学と同時に家を出て、今はもう社会人です。バレンタインの翌日は毎年実家に帰ってきます。母さんからチョコレートをもらうためです。兄さんかなりの甘党だから。


 すき焼きを家族四人で食べて、僕は自分の部屋にいきました。すると、コンコンとノックをする音がします。ドアを開けると兄さんがホットココアを持って立っていました。両親に僕が元気がないからと持たされたそうです。


 兄さんはどうかしたのかと僕に聞いてきます。昔から頼れる兄さんです。僕は正直に失恋したことを話しました。すると、兄さんは笑い出すではありませんか。そんなの失恋のうちに入らないと。それにその子は誰かと付き合いだしたのかと聞きます。田口さんが誰かと付き合いだしたかなんて、聞いていません。だけど、田口さんが好きなのは僕ではないことははっきりしています。


 兄さんはそれなら振り向かせればいいと言いました。でも、どうやって? また本を貸せばいい。確かに話すきっかけはそれしかないけれど。


 ぐずぐずしていると他の誰かに取られてしまうぞ。兄さんのその一言で僕はまた話しかけることを心を決めました。


 兄さんが満足そうに部屋を去る時、ふと思い出して彼女は元気と聞きました。兄さんの彼女とは僕も何度か会っています。ただ、兄さんはにぃっと笑って、昨日別れたから次の彼女募集中と言いました。大人はやっぱり違います。


 

 ***


 

 バレンタインから二日経った朝。私は登校する道すがら桐谷君の姿を探します。坂道を上る途中に、日に焼けた桐谷君の横顔が見えました。隣にいるのは、女の子じゃありません。


 よし! と、気合を入れて私は坂道を駆け登っていきます。出来るだけはっきりとした声でおはよう、桐谷君と話しかけます。桐谷君はおはよう、田口と言ってくれました。私はその勢いのまま学校への坂道を駆け登っていきました。


 その様子を坂道の上から友人が見ていました。にっと笑っています。自然と顔に熱がたまりました。その友人は昨晩、電話で私にアドバイスをくれたのです。誰かと付き合いだしたなら、一緒に登校するはずだ。桐谷君は密かにモテるから彼女になった人は一緒に登校して周囲をけん制する必要があるというのです。でも、今日、女の子と登校していないということは……。私にもチャンスがあるかもということです! 


 確かに私は一度振られました。だけど、はっきりと付き合えないと言われたわけじゃない、私はまだあきらめずにいるわけです。屁理屈と言われるかもしれませんが、そう決めたらとてもすがすがしい気持ちでした。


 自分の席に着くと、おはよう、田口さんと挨拶されました。おはようと言いながら振り返ると、同じクラスの大人しい男子、大石君です。


 朝こんな風に挨拶されることなんてないからどうしたのかなと思っていると、大石君が一冊の本を私に見せてきました。田口さんが好きな作家さんの新刊が出てたから読まないかなと言うのです。いいの!? と思わず興奮した声が出ました。確かにそれは読みたいなと思っていた本で、お小遣いも足りないし、図書館に入るまで待とうと思っていた本です。大石君はもちろんと渡して自分の席に戻っていきました。

 

 いきなり本を貸してくれたのは、もしかして……。そう思うのは流石に自意識過剰でしょうか。


 

 ***


 

 なあなあ、聞いてくれよ。まあ、そううざがるなって。昨日の夜、あいつに聞いてみたんだ。ああ、あいつって俺の幼馴染のことだよ。ちょうど、帰りにばったり会ってさ。別に待っていたわけじゃないぞ。ちょうど部活帰りで。


 思い切って聞いたんだよ。バレンタインのチョコをどうしたのかって。


 普通渡したって答えると思うだろ。だけど、あいつは断られたけど無理やり押し付けてきたって言ったんだ。つまり振られたんだよ。


 それで? それでって? それだけだけど? 何だよ。そんなため息ついたりして。こ、告白ってこんなタイミングでするかよ。振られたなら俺にしろって言えって言うのか? そんな恥ずかしいこと出来るかよ。


 あ、なんだこれ? 手紙が教科書の間に挟まっていた。えーと、……。田口からの呼び出しの手紙だった。ていうか、今読んでいるっていうことは俺すっぽかしているし。


 ど、どうすればいい? え、田口普通にしているし、普通にしていればいいって? そりゃ、さっきすれ違った時も普通だったけどさ。え、バレンタインにチョコいっぱい貰っていたって? でもどれも名前書いてなかったんだよな。書いていたのは田口のこの手紙だけだった。


 どうすればいい? 普通にしていればいいって、普通ってどうすればいいんだ??



  ***


 

 むー、あいつめ。あいつって? 幼馴染のあいつだよ。昨日、バレンタインチョコをどうしたのか聞いてきたから素直に答えたら、振られた振られた連呼しやがって。


 そりゃ確かに先生には振られたよ。でも、先生は結婚していなくて、彼女もいない。ということは、まだまだチャンスがあるってことだよ。むしろチャンスしかないよ。一年や二年なんてあっという間に過ぎちゃうんだから。そうしたら先生の生徒じゃなくなるから、結婚できる!


 なんかあいつが変に連呼してくれたおかげで吹っ切れた。


 昨日は流石に気まずくて、先生とまともに顔を合わせられなかったけれど、今日からはまた職員室に質問に行くんだ。先生の教科だけまたテストでいい点とっちゃうんだから。



 ***


 

 また来たか。実は言うとホッとしている。別に苦手な生徒という訳でもないからな。毎日のように質問に来ていたのにバレンタインチョコを断ったぐらいでいきなり来なくなったから、気にしていた。


 だけど、鞄の中にチョコレートを入れたか聞きそびれてしまったな。たぶんいい所のチョコレートで中に酒が入っているやつ。食べてないけど、それなりに値が張ったんじゃないか? 


 独身で教師をしているとたまにいるんだ。そんなに生徒に人気がないのはずなのに、熱を上げてくる生徒が。もう結構なおじさんなのにな。そいつらもいつの間にか卒業してそれきり。まあ、恋なんて一過性の風邪みたいなものだ。それがたまたま、俺だったってだけ。あいつも、そのうち飽きてもっと近くの奴に目が行くだろう。だけど、こんな風に過ぎ去るのを待っているだけだから、おじさん未だに独身なのかな……。


 ハッ。しんみりしてしまった。生徒に手を出すのはダメだけど、先生同士なら全く問題ない。おじさんだって、頑張るところを見せてやる。っても、石川先生を飲みに誘うだけなんだけどな。この前はいきなり二人きりだったから警戒されたのかもしれないから、他の先生も誘おう。



 ***


 

 過ぎ去ったことを気にするのは私らしくない。もう、すっぱり隣の大石さんのことは諦めよう。そう思うとすっきりした。生徒たちにこれ以上失態を見せるわけにはいかないし。チョークを持つ手にも力がこもる。


 授業が終わると、隣席の佐竹先生がお疲れ様ですと話しかけてきた。そういえばと、私は思い出す。いつだったかは忘れたけれど佐竹先生に飲みに誘われて断ったんだった。バレンタインチョコのショックでつい断ってしまったけれど。私が今夜は空いていますかと聞くと、佐竹先生はキョトンとした顔をする。そう言う顔をすると年齢よりも幼く見えた。佐竹先生は自分も今、聞こうと思っていた所ですと言う。


 というわけで、今夜は二人で飲みに行く。佐竹先生は地味だけど、私が荷物を持っているとドアを開けてくれたり先に通してくれたりと紳士なところがあるし。今夜が楽しみ。



  ***


 

 仕事から帰ってくると、明かりのついていない部屋だけが俺を迎える。そう言えばあいつ、この部屋に私物置かなかったよな。とか、どうでもいいことを考えながら明かりをつける。


 鞄をベッド脇に置くとそこにあったものに目が行く。そう言えば、母さんからの義理チョコ一つだけじゃなかった。バレンタインの朝に貰って、部屋に置いていて忘れていたけれど、隣に住んでいる女性ひとから義理チョコ貰ったんだった。他にも紙袋を抱えていたし、たぶん職場に配るチョコの余りってとこかな。


 俺はその紙箱を開けてみると、手作りっぽいトリュフだった。ひとつ掴んで口に放り投げる。うん。うまい。ビターの中にあるほんのりした甘さが舌をとろけさせる。


 これをくれた女性は確か、背筋がピンと伸びた黒髪の綺麗な人。毎朝、挨拶ぐらいしかしないけれど……。ふむ。


 チョコの入った箱をまじまじと見つめる。たっぷり生クリームをのせたガトーショコラを店に食べに行った元カノとはタイプが全然違うけれど。


 チョコを貰ったんだからホワイトデーにお返しをするのは、おかしくないよな。でも、ホワイトデーって、一か月先? 


 ――それまで待っていられないな。 


 

 


 



 


 

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失恋した昨日はバレンタイン。 白川ちさと @thisa-s

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