失恋した昨日はバレンタイン。

白川ちさと

僕らは、失恋した。


 

 実は僕、失恋しました。でも告白して振られたわけではありません。


 見てしまったんです。僕の想い人田口さん。彼女が移動教室の時にいつまでも教室に残っていたんです。僕は隠れてこっそりドアの陰から覗いてしまいました。誰もいなくなったのを確認すると、田口さんは誰かの机の中に箱を押し込みました。


 この日はバレンタイン、間違いなくチョコレートです。それも彼女の様子からいって本命の。


 僕はもしかしたらと思いました。よく見えなかったけれど僕の机の近くだったからです。田口さんがいなくなるとすぐに自分の机に駆け寄りました。だけど、結果は残念ながら。


 彼女と最初に話したのは、林間学校の時でした。本が好きな僕は文庫本を一冊持っていっていました。林間学校は思いのほか楽しいもので、無理やり作られたグループでも和気あいあいとしていて、つい僕はどこかに本を置き忘れて行ってしまったのです。


 夕方になって自由時間になると僕は探して回りました。歩き回っていると田口さんが本を読んでいる横を通ります。ふと気になって表紙を覗きこむと、僕が持って来ていた本に間違いありません。田口さんが僕の視線に気づくと、これ大石君の? と聞いてきました。大石というのが僕の苗字です。


 僕が頷くと勝手に読んでごめんねと渡してくれました。そして、読み終わったら貸してほしいと言ってきました。僕は思わずその場で貸しました。本当は読み終わっていなかったけれど。田口さんにありがとうと言われると何だか嬉しかったです。林間学校が終わった次の日には返してくれたことも嬉しくて、つい他にも何か貸すよと言いました。


 その後、本の貸し借りを二度しましたが、夏休みが挟むと自然とそんなやり取りも無くなってしまいました。本当は夏休みの間に読んだ紹介したい本もありましたが、時間を挟むと何故だか言い出せなかったのです。


 だから、バレンタインチョコが机になかったのは、僕が失恋したのは、当然なのです。



 ***



 初めまして、私はどこにでもいる普通の女子高校生です。ただ、今日の前髪は決まっていないかもしれません。実は私、失恋したんです。昨日。そりゃ、髪もまともにセットできないに決まっていますよね。

 

 昨日はバレンタイン。私はその前の晩、チョコレートを手作りしました。エプロンをしてお母さんに聞いたり、弟につまみ食いされたりしながらなんとか完成させたガトーショコラ。私は仲のいい友達にだけ告白することを言っていました。


 相手は同じクラスの桐谷くん。サッカー部でレギュラーじゃないけれど、一生懸命練習している姿が素敵でつい目で追ってしまう。一年の時からこっそり見ていました。


 彼のかっこよさを知っているのは私だけだと思っていたんです。だけど、机の中を覗いてびっくり。私より先客のチョコレートが机の中にひしめいていました。形が崩れるのは嫌だったけど、無理やり押し込みます。手にはもう一つ、手紙を用意していました。私は迷います。だって、こんなにバレンタインにチョコレートを貰うなら私なんてお呼びじゃないじゃない? その時ガタッとどこかで音が鳴りました。私は慌てて机の中に手紙も押し込んでその場を去ったのですが……。


 手紙にはこう書いていました。

『お話したいことがあります。今日の放課後、教室で待っています』

 シンプルな告白の呼び出しです。机の中にいれてしまった以上、待たないわけにはいきません。だけど、桐谷君はやってきませんでした。


 それが答えです。



 ***


 

 聞いてくれよ。単刀直入言うと、俺、昨日失恋したんだ。


 なに? 冗談? バレンタインチョコをあれだけ貰っておいてって、よく知っているな。ああ、紙袋を提げているのを見られたのか。確かに靴箱にも机にも入っていたけれど。


 何が不満かって? 失恋したんだぞ。その中に本命チョコが無かったからに決まっているだろ。俺が欲しかったのは幼馴染のチョコレート。あいつ、朝会った時に明らかに本命チョコらしきものを持って来ていたんだよね。赤いサテンのリボンがちらちら見える紙袋を大事に持ってさ。いつもがさつなくせに。


 俺とあいつは小学生の時からの付き合いで、家が隣同士。いつもサッカーの試合に応援に来てくれて、自然と好きになっていたんだ。でもあいつお子様でさ。中学のときはもちろん、高校に入っても恋バナの一つもしたがらない。


 だから、油断していたんだ。バレンタインの朝に汗が止まらなかったよ。だけど、もちろんそのチョコの行方は俺だと思っていた。思っていたんだけど、あいつが下校するときにはもう紙袋もチョコも無くなっていたんだ。誰にあげたかは知らないけれど、あいつ、ちっちゃくて可愛い顔しているから、きっといい返事をもらったと思う。


 こんなことならクリスマスに一緒にゲームしている時でいいから告白するんだった。 


 あー……って、残念なものを見るような目で見るなよ。



 ***



 あーあ、やっぱり振られちゃった。予想はしていたんだけどね。それでもダメージあるよ。


 言われた返事が『そういうのは、大人になったらな』だった。


 え?? 別にいかがわしいことをしようとしたわけじゃないよ。でも、私だって十六歳で大人じゃないけど、子供じゃないと思うんだけどなぁ。せっかくお小遣いはたいてデパートで大人っぽい高級チョコレート買ったのに。


 モテないって言っていたから、絶対受け取ってくれるとは思ったのに、断るんだもん。本当は彼女いるんじゃないかな。みんなおじさんなんて言うけれど、よく見たら結構可愛い顔しているんだよね。こっちだって意地があるから、こっそりチョコ鞄の中に入れちゃった。


 でも先生に結婚してくださいは早かったかなー。せめて高三だったらよかったのかな。



 ***

 

 隣の席をまともに見られない。やっぱりバレンタイン当日に誘ったのはまずかったか……。いつもの職員室なのに、いつもより静かなのは気のせいか。


 自分ももう大人だから、バレンタインにチョコレートをせがむなんて真似はしない。だから朝一にバレンタインに気づいていないのを装って、今日飲みにいきません? おごりますよ、なんて誘ってみたのだけれど。やっぱり不自然だったか。


 隣の席の石川先生は今日も綺麗だ。五つ年下の石川先生は化学教師でたまに白衣を着ている。サラサラの髪に、細いフレームの眼鏡がクールビューティに拍車をかけていた。同じ学年を担任しているおかげで話す機会は多い方。だけど、そのどれもが事務的なことばかりでプライベートなことは何も知らない。だから、まずは二人で飲みにでも行って、休みの日に何をしているとか、好きな音楽は何かとかそんな簡単なことから聞ければと思ったのだけれど。

 

 すみません、今日はそんな気分じゃないんです。なんてクールな答えが返ってきてしまった。あれ絶対、下心があるの悟られてたよ。地味に振られちゃったよ。


 生徒からはおじさん、おじさん言われるし。おじさんに失恋はつらいよ。

 


 ***



 やらかしてしまった。教師を始めて早数年。答案用紙を職員室に忘れてくるなんて失敗したのは初めて。


 やっぱりまともに話したこともない相手にバレンタインとはいえチョコレートを貰っても迷惑よね。しかも、手作りとか気持ち悪がられたかも。


 だけど、バレンタインはどうしても気持ちを少しでも伝えたかった。相手は私の住むマンションの隣に住んでいるたぶん私より若いサラリーマン。出勤する時間帯が同じだから、よく玄関先でかち合う。会釈してすれ違うだけの関係が約一年。知っているのは表札に書かれている大石という名前だけ。


 なんでもいいからきっかけが欲しかった。だけど、いきなり告白みたいになったのは良くなかったかなって今更思っている。ほら、あるじゃない。肉じゃがを作りすぎたからお裾分けをどうぞって、なんか昭和で十分怪しいけれど。でも、義理チョコありがとうございます、なんて釘を刺されるよりはましだったかも。


 心に刺さった釘がズキズキする。次の授業では失敗しないように気を引き締めないと。 



 ***



 ……。え? なに? なんで、公園のベンチでぼんやり空を眺めているかって? 彼女に振られたからに決まっているだろ。


 昨日のバレンタイン。甘いもの好きな俺は毎年彼女からもらうチョコレートを楽しみにしていた。俺も彼女も仕事だから、仕事終わりに会うはずだったのに。待ち合わせ場所には来なくて、代わりに、ごめん、他に好きな人が出来たとラインで知らせてきた。


 学生時代から付き合っていたのに社会人になったらめっきり会う機会が減ってしまったのが原因かな。だからって、バレンタイン当日、それも直接言わないなんて。新しく好きになったって社内の……。


 いや、考えても仕方がない。とにかく今日は実家に呼ばれている。毎年バレンタインの次の日には実家に帰って母さんにチョコレートをもらうんだ。バレンタインに母チョコ一個っていつ以来だ? 






 

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