第5話 ともに

青春の終わり


これは自ら投げた問い。

これは自ら向き合った現実。


憧れは、結局憧れでしかなかったというだけ。

それが分かったからこそ、明日へ進める。


さあ、一歩を踏み出そう。

隠すことのできない痛みをこの胸に抱えて


・・・


 麗らかな日差しが校舎を明るく照らし、外を見やればピンク色の花弁が空を鮮やかに染め上げている。

 一色で統一された景色とは裏腹に、人々の表情は様々だ。

 惜別の涙を流す者、未来への期待に胸膨らます者、反対に未だ定まらぬ進路への不安を振り払おうと明るく振る舞う者。

 しかし誰もが、この場所で共に過ごしてきた日々の終わりを噛み締めている。

「元生徒会長、あり得ないくらい泣いてたな...」

「ある意味羨ましくもあるよ。自分が卒業する時、泣こうと思ってもあれは真似できないって。」

 そうだな、とヒデが笑って答える。2時間に及ぶ式が終わり、少々倦怠感がある。

「つーか卒業式って何であんなに色んな人に挨拶させるんだよ。もっと時短しろ時短。」

「そう言うなよ、当人達にとっては一生に一度しかない行事なんだからさ。」

 と言いながらも、去年は同じようなことを俺も思っていた。今違う考えを持っているのは、送り出す人がいるかどうかの違いだろう。

「俺はこいつみてぇにわんわん泣いちまう程思い入れのある先輩とかもいなかったしな。」

「う゛〜っ。うるさいなーもう...」

 未だに少し目が潤んでいるランがからかうヒデに抗議の声をあげる。上下関係皆無な我々帰宅部と違って、バスケ部の彼女はお世話になった3年生も多かったようだ。

「んでどうする、そろそろ帰るか?」

「あ、ごめん。この後部の方でちょっと集まることになってるから、今日は先帰ってて。」

「あーいや、今日は俺もちょっと、な。」

 特に約束したわけではないけれど、きっとあの人は待ってくれている気がする。去年の騒動以降、会うことの無くなった彼女が。

「...空渕先輩?」

「まあ、その、そんなところ。」

 こういうところはいやに鋭いな。何となく気まずくなって、目を逸らしてしまう。

「そっか、仲良かったんだもんね。うん、ちゃんと挨拶しに行くの良いと思うよ。」

「そう、だな...」

 どうしても、言わなければいけないことがある。最後にしっかりと目を見て、伝えるべきことが。


・・・


「3年の空渕だ、よろしく。」

 そう言って彼女は、白く綺麗な右手を差し出してきた。彼女と初めて会話した、半年前のことが思い起こされる。

「君は堂々と話すんだね。これは、私も負けてられないな。」

 儚げな微笑を湛えながら俺の発表態度を褒めてくれた彼女。英語教諭に言われるより、ずっと嬉しかったのを覚えている。

 そんな様々な思い出が詰まった、彼女との始まりの場所。第二準備室の教室に入る。

「やぁ、久しぶりだね。」

「ご無沙汰してます、先輩。ご卒業、おめでとうございます。」

「うん、ありがとう。」

 窓際にもたれかかり、外を見下ろしながら彼女が答える。12月以来に目にする彼女の姿は、変わらず美しい。

「懐かしいですね、ここ。たった半年しか経ってないけど、とっても昔のことに感じます。」

「そっか、あれからまだそれだけなんだ...」

 これまでの高校3年間を振り返っているんだろうか、先輩は目を閉じて優しげな口調になる。

 これで、後は思い出話に花を咲かせて、一緒に写真でも撮って。それじゃあまたどこかで、と互いに笑い合って別れとしてもいいんじゃないだろうか。

 この愛おしい時間をそのままにしたくて、そんな弱気な思いに支配されそうになる。

 それでも。

 それでも、彼女に言わなければならないことがある。目を逸らしてはいけない。無かったことにはできない。

「先輩、言いたいことが、あります。」

「…」

 返事は無い。構わず、一旦深呼吸してから、意を決して告げる。

「先輩ですよね、犯人。」

 しばしの沈黙。彼女は変わらず瞑目しているので、このまま続ける。

「犯人なんて、正直誰だって良かったんです。もとから探すつもりはありませんでした。...それでも、気付いてしまったんです。だから、言わなければいけないと、思いました。」

 周囲の人を疑いたくなかった。だから犯人探しはしなかった。だけれど、分かってしまったんだから、その上で気付かない振りはできない。

「最初に十字架を見つけた時、俺の胸ポケットはやっぱり空だったハズです。それを、あたかもそこに入っていたかのように見せた。」

 手品みたいに、先輩は手の中に十字架を隠して、俺のポケットに手を突っ込んでそのまま取り出す。分かってしまえば、簡単だ。

「その後は、事前に用意していた写真を俺に見せ、俺が自分で十字架を撮っている隙に消去する。」

「…」

 先輩は何も言ってくれない。彼女は今何を考えているのだろう。

「図書室で十字架を見つけた時も、俺が本に気を取られている間にポケットに忍ばせたんでしょう。そうして、俺に呪いのアイテムであることを信じ込ませた。」

 家に置いてきた十字架がいつの間にかポケットに入っていて、祠に供えたのに帰宅すると自室にあったのではなく、十字架はずっと家にあった。

 後で母さんに聞くと、俺の部屋で十字架を見つけたのは午後のことだったという。図書室に行ったのは昼休みだ。その時点で、十字架が2つあったことの証明になる。

「そうしてあの日、俺達が祠に向かう前に先輩は先回りして仕掛けをした。小型のスピーカーを祠の中に隠しておいて、適当なタイミングで話し出す。」

 その準備をした際に十字架の回収もしたのだろう。祠の木札が前日と比べずれていたのも、そのスピーカーを隠す時に触れてしまったと説明がつく。呪いなんて言う割に、全部地道な作業の積み重ねだ。

「しかし、君の身には本当に不幸が降りかかったんだろう?」

「それも、そう思わされてただけです。思えば、先輩は俺を誘導するような発言が多かった。」

 始めは偶然だと思っていた不運の数々が、呪いに拠るものだと思い直したのも、先輩に効果が増幅する呪いもあると聞かされてからだ。

 『重要なのは我々の認識だ』

 女子バスケ部のキャプテンが言っていたらしい言葉を思い出す。毎日過ごしていれば良いことも悪いことも当たり前に起こる。

 それを、自分の身に降りかかる不運は呪われているせいだと思えば、呪いは実質的にその効果を果たす。先輩は俺が十字架を呪いのアイテムと認識するように仕向けた。

「教えて下さい先輩、どうしてこんなことをしたのか。それだけが、分からないんです。」

「...そうか。実際のところ、私にも理由なんてものは分かってないのかもしれない。」

 彼女はゆっくりと目を開き、呟くように答える。彼女の視線は天井に向けられているようで、その実どこを見てるか分からない。

「ただ、確認をしたかったんだよ私は。きっとね。」

「確認、ですか?」

 それは何を、と問う前に彼女は告げる。

「祠でした問答の通りだ。君にとっての、そして私にとっての愛とは何か。それが知りたかった。」

 思い出す。流円祠でした、神との対話。実際には先輩と俺との間でかわされた問答だった。あれを通して、彼女は一体何を得たのだろう。

「君はあの日、私達が一緒に帰った最後の月曜日。もう会えなくなるのが寂しいと言ってくれたね。私も、同じ気持ちだったんだよ。」

「それって...」

 その後は言葉にできなかった。想像に過ぎなくとも、あの時の彼女の想いを考えると、胸が締め付けられるような思いがしたからだ。

「とはいえ君への感情が、自分でもよく分からなかった。そのまま君と会えなくなったら、この気持ちが何なのか不明なままになってしまう。だから、確かめる必要があった。」

「それで、あんなことを。」

 何て不器用な人なんだろう。十字架や写真まで用意して、俺に信じさせるために図書館で待機して色々な話をして。それら全てが、愛とは何かを問うためだったなんて。

「笑ってくれて良い。臆病で卑怯な私は、このような回りくどい方法を取るしかなかったんだ。」

 自嘲気味な笑みを浮かべる彼女を見るのは初めてだった。その姿は、どこか隠していたいたずらを見つかった子供のように見えた。

「それで、知りたかったことは知れたんですか。」

「ああ、そうだね。どうしようもない現実に直面したよ。君にとっての愛は、隣にいることだと言ったね。そしてその時、君の傍らにいるのは私ではなかった。」

「それは...」

 それは違う、とは言えなかった。あの時の答えは咄嗟に出たものではあったけれど、それ故に俺にとって変わることのない真実でもあったから。

「君が祠へ行くのに私を誘ってくれてれば、なんて考えもしたよ。それすらも受け身な私に、どこまでも自己嫌悪したがね。」

 あの時隣にランがいたのは、言ってしまえばたまたまとか、タイミングとか、そんなもので必然性は無い。先輩に来てもらうことだって一度は考えた。

 それでも実際に一緒に祠へ向かったのはランで、これが答えで。不可逆で不変、どう認識したって変わることのない真実だ。

「あなたは、直接言ってしまえば良かったんだ。そうしていたら、もしかしたら...」

「うん、でもそうはならなかったんだよ。それに、結局最後はこういう形になっていたんだと、私は思うよ。」

 無意味だと分かっていても、もしもを考えてしまう。彼女が隣で笑ってくれている、そんな世界のことを。

「これが、私の理由だよ。迷惑をかけて申し訳なかったと思う。君と過ごした日々は、私にとってかけがえのないものだったよ。」

「そんなの、俺も同じです...」

「あの時祠で君の答えを聞いて、自分でも考えてみたの。隣にいてくれる人って言葉、私にもしっくりきたよ。」

 彼女も俺も、望むものは一緒だったんだろう。だからこそ、お互いの距離感が理想と違っていたことを無視できなかった。

「本当に、君には感謝している。...そろそろ、行くね。」

 最後に一度こちらを見て、出ていこうとドアに手をかける先輩。

 その背中に、どうしても言いたかったことを、最後に言えた。

「あなたのことが好きでした。初めて会った時から、ずっと。」

「私も君が好きだったよ。さようなら。」

 これが彼女と交わした最後の言葉だった。


 青春の終わり。もう、春は来ない。


・・・


 第二準備室に残って暫く一人でぼうっとしていたら、学校に生徒がほとんど残っていない時間になっていた。

 微かに遠くから賑やかな声が聞こえてくるのみで、廊下を歩く自分の足音が響く。気分はだいぶ落ち着いていた。

 教室に荷物を取りに戻ってくると、少ししてランも入ってきた。

「あ、シュン。まだいたんだ。」

「うん、ちょっとね。ランは、今部活の集まり終わったの?」

「そう。先輩達とお別れ会で、またちょっと泣いちゃった。」

 それを聞いて、俺と先輩は互いに泣かなかったな、と思う。涙を流さないから親しくなかった、ということは全く無いけれど。それでも、そのことにまた2人の距離を感じてしまって、胸が痛んだ。

「...シュンは?」

 その問いは、何を指しているんだろう。何を答えるべきなんだろう。

「振られたよ。さようならってさ。」

「え!?振られたの、空渕先輩に!?」

「うん。だからさ、俺の青春は終わったんだ。今日、きれいさっぱりと。」

 そっか、とランが目を落とす。場を取り繕うと何かを言おうとするも、言葉にならない。

 しばしの沈黙の後、でもさ、と呟いて、彼女が言葉を紡ぐ。

 いつものように、真っ直ぐに俺の目を見て。

「終わったんなら、また始めればいいよ。だって、春は何度だって来るんだから。青春がもう来ないっていうなら、赤い春だって良いし、虹色の春なんて素敵じゃない?きっとまだまだ、明るい未来が待ってるよ。」

 雲が晴れたのか、窓から光が差し込んでくる。暖かく、体を包み込むような優しい陽光を感じ、思わず目を細める。

「...そうだな。そうかもしれない、うん。虹色の春か。それはきっと、途轍もなく綺麗なんだろうな。」

 教室の窓から外を見る。桜の花びらが、新たに歩む人々を祝福するかのように、一面に舞っている。

 新しい春は、もうそこまで来てるのかもしれない、そう思った。






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ENISHI 須能 @silverwhitesnow

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