26. 山撃ち


 山はしいんと静まっていた。


 小鳥の声が響いていて、時には山猿らしい声まで聞こえてきて。

 それでも山は静かだった。静かだとしか思えなかった。


――どんなに大きな音がしても、そいでも山は黙りこくっとる。

――山撃ちンときの山はそうだ。

――いっつもそうだ。


 むかし爺ちゃんが言っていた。


 その爺ちゃんは、いまは自分も黙りこくって、山撃ち道を歩いている。

 うす汚れた、ずっしり古い鉄砲かついで、下生したばえ踏んで、やぶをこすって。それでも音は立ちやしない。

 この山に負けず劣らず静まりかえって、爺ちゃんは進んでゆく。

 腹が重たくなってきた。あんなに行きたくたまらなくって、無理をいって爺ちゃんにせがんだ。その山撃ちがいまは怖い。

 静かな山が気味が悪い。黙ってすすむ爺ちゃんの背が気味が悪い。


 朝の晴れた空なのに、なにかが上にかぶさってきてる。そんな気がしてならなくなった。

 熊のような、でっかい猿ののような、あるいは山の天狗のような。そんななにかが姿を消して、上のほうからかぶさってる。

 山の空気にとけこんで、こちらをじいっとうかがってる。

 入りこんだものをわらって、にやにや笑いまで浮かべながら。

 そいつの顔すら見えたように思えたそのとき。


 爺ちゃんが、そいつの顔をにらみつけた。

 おれの頭が思い浮かべただけのはずの。そいつ爺ちゃんは、真っ向からにらみつけていた。

 何分そうしていたんだろうか。


「晴男。おまえはここで待ってえ」


 爺ちゃんが、ちいさな声でささやいた。

 聞き返すこそさえできなかった。いつの間にか、舌はかちこちに縮こまっていた。

 仕方なしにうなずいた。おんなじくらい固まった首で、なんとかやっと。

 こちらをふり返ることもしないまま、爺ちゃんは、そのまま道をのぼっていった。

 六けんほど先、でっかい樫の木のむこうへ、道が右へとまがる場所で、爺ちゃんの姿が消えた。

 そのままずっと、おれはその場で固まっていた。



 気がつくと、股ぐらがじっとり濡れていた。

 いつのまにか小便があふれ、それがすっかり冷え切るまで、俺は固まっていたのだった。

 爺ちゃん。

 もうどのぐらい経ったんだろうか。

 半刻ちかく過ぎたんじゃ――それでもおかしくないと思えた。

 足はあっさり動かせた。小便のしみたズボンが冷えて気持ちわるかったけど、びっくりするほどすんなり動いた。

 ただ胸だけがいていた。爺ちゃんののぼった後を追って、藪をがさがさ鳴らしながら、坂道をふんで、樫の幹を右へとまがった。



 そこに爺ちゃんが横たわっていた。

 魚を三枚におろしたやつにそっくりだった。


 背骨だけが、きれいにまんなかに置かれていて、その両側に、真っ二つにされた体がならんでる。

 どっちの中身もからっぽで、らしいもんは何にもない。血さえ流れていなかった。

 頭もきれいに落ちていた。体のむこうで地べたに座り込んでいた。

 苦しみも、痛そうなふうも浮かべずに、ただ両の目ん玉だけがりぬかれてる空っぽの目。

 ばらばらになった爺ちゃんの前に、ただ鉄砲だけが、見違えるほどぴかぴかになって、丁寧に置かれていた。


 悲鳴をあげて逃げ出した、その最後から、


 あはッ!

 あはッ!

 あはっはっはァ!!


 たしかに笑い声がひびいた。

 山撃ち道の入り口を抜けて、村にかけこむその時まで、山は全身で大笑いしていたのだった。



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