27. あなたのうまれたひ


 あれは昭和三十四年の暮れのことでした。


 私と、お母さんと、妹の和子は、四畳半の居間でちいさな炬燵こたつを囲んで、お父さんを待っていました。

 その場にいきなり、見知らぬおじさんがみこんできたのです。


 刈り込んだみじかい髪、それと反対にのび放題のおひげ。まゆ毛もぼうぼうで、その下のお目めだけがぎらぎらと光っていました。

 日にやけた腕も毛ぶかくて、その手ににぎったおおきな包丁を振りあげて、私たちをおどすように、おじさんは大声で怒鳴りました。


 ぱん。


 炬燵の天板てんばんが鳴りました。

 お母さんと、私と、そして和子が、一斉いっせいに、炬燵のうえに左のひじを置いて、二の腕でたたいたのです。


 ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。


 小さな板をたたき続ける私たちに、おじさんは驚いたような顔をして、すこし後ずさりました。


 ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。


 おじさんが大きな声をあげました。おびえたような声でした。

 後ずさったおじさんの、靴をはいたままの足には、古い畳からのばされた藺草いぐさの束が、びっしりからんでいたのです。

 包丁を振り回そうとした右の手は、くろぐろと伸びてきた箪笥たんすの影にとらえられました。

 左手は障子しょうじをつきやぶって、そのままずぶずぶ呑みこまれました。


 ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。

 ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。


 お母さんと私と和子が天板を叩くにつれて、すこしずつ炬燵の布団が、おじさんに向いている側が、だんだん姿を変えてゆきます。

 とうとう、私が腕をひろげたくらいある口を、大きながまぐちのような口を、炬燵はもっと大きくあけて、

 おじさんを、呑みこみました。


 畳も、障子も、箪笥の影も、何ごともなかったかのように、もとの姿ですまし返っていました。

 ちがうのは炬燵だけ。うねうねぐねぐね体をうごかし、最後にぶるんと震えたかと思うと。

 さっき布団がおおきく口を開いた側に、お父さんが座っていました。


 色白で、眼鏡をかけて、髪は両側へ中分けにして、丹前たんぜんを着たお父さん。

 私たちが思い描いていたままの、待っていたとおりのお父さん。


 和子はきゃあきゃあ笑いながら、お父さんに抱きつきました。

 私も、なにを話そうか迷いながら、お父さんのほうへと身を寄せました。


 お母さんもほっとした様子で、晩ご飯の支度をするため台所へと立ちました。

 炬燵から黒い影をひきずりながら。




 ええ、それが昭和三十四年の暮れのことでした。


 何を思ったのでしょうか。和子が不意になにげなく、あのときのことをお父さんに話したのです。

 笑っていたお父さんは、いきなり顔を強ばらせると、その次は顔を真っ青にして、大きな声でさけびました。

 たすけてくれ、たすけてくれと。

 炬燵の影をひきずりながら、部屋の外へと逃げようとするお父さんはぐにゃりとくずれ、肌のあちこちが赤黒くなり、ところどころに毛がわさわさと生えてきました。

 まるで、あのおじさんへ戻ろうとでもするかのように。


 私と、お母さんと、そして和子は、すぐに炬燵につくと、天板に左のひじをおいて、二の腕で叩き始めました。


 ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。

 ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。


 令和二年の、暮れのことでした。




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