25. 肉びと


 ふと気がつけば、一面の、さびしい野原に立っていました。


 空はいまにも崩れだしそうな灰色の海。

 身のみるようないやな風が吹きすさび。

 老いた獣の毛のようなせてかわいた草たちが、亡者のようにひしがれて。

 れたいろの地面の果てにあるものは、はるかにかすんで黒く横たわる丘ばかり。


 曇天と風と枯れた野原。ここにいるのは私ひとり。

 草にまれたかぼそい道の一本だけをうしろに従え、何をするもなくたたずんでいます。



 荒れる空には鳥のかげもなく、地には草がもだえるばかり。

 冷えた風だけが満ちる世界に、不意に、かん高い泣き声が響きました。


 風の叫びではありません。鳥の声でもありません。

 高いながらも湿った太さをねばりつかせるその声の主は、もっと大きな肉をまとったもののはず。


 いえ。

 肉でした。


 いつの間にあらわれたのか。それは私の視界の先を、よろよろ進んでいるのです。

 赤い肉のかたまりでした。

 頭はなく、耳も目もなく、毛皮どころかちゃんとした皮膚さえないようで。

 なにか短い、脚とも呼べないようなものを、よちよち無様ぶざまにうごかして。

 ぐんにゃりとした、手とも尾ともつかないものがつたなくうごめいて、まるでなにかを求めるように。

 骨もないようなが、むきだしの身をつめたい風になぶられて、乾いた草にいためられながら、目のまえを横ぎっているのです。


 それが、声をあげました。

 泣くような声でした。悲鳴のような声でした。

 痛切で、哀しげで、それでもどこかひどく滑稽こっけいな、肉色の声。


 その声が、私の身にひびきました。

 ずきり、と体がうずきました。

 胸か、腹か、下腹か。それすら定かでないながら、私の身体の奥のどこかで、千切れるような確かな痛みが全身にまで響いたのでした。



 は、そのまま野原をよたりよたりと歩いていきます。

 どこへゆくのか、ゆく先があるのか。風と枯れ草にまれながら、遠ざかってゆきました。


 ふと、背後にのこしたかぼそい道へと、ふいに意識が戻りました。

 空漠としたひろがりに背中をむけて、身体の奥にのこる疼きを抱えたまま、道を帰ってゆきました。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る