21. ケムトレイル

 雲ひとつ浮いていなかった青空に、飛行機雲の筋をひいて、白い旅客機が横切っていった。


 機内は肉で充満している。

 シートの一つまた一つずつに、ぎっしり肉が詰まっている。

 白に黄色に小麦色、黒、浅黒にピンク色。

 色とりどりのぶよけた肌を惜しむ風もなくむき出しにした、贅肉まみれの男たちが、ぎゅうぎゅう詰めになっている。

 一糸まとわぬ男たちは、脂汗にまみれている。

 脂汗あぶらあせを流しながら、一心不乱にうごめいている。

 苛酷な死闘に挑むように、聖なる務めに励むように。

 がつがつ餌をっている。

 肉にあぶらに炭水化物、あまい匂いにソースの香り。

 バケツに顔をつっこんで、一心不乱に喰っている。

 その膨大な熱量が、ぶよけた肉を燃えあがらせて、どろりと滑る脂汗あぶらあせすら気体となって立ちのぼる。

 機内はまるでサウナ風呂。汗とあぶらの蒸気の地獄。

 地獄の責め苦を避けるためなのか。通路を行き交う客室乗務員キャビンアテンダントは防毒スーツに身を包んでいる。

 妖怪じみたガスマスク、全身をおおう特殊加工の不織スーツ。

 見るも異様な、どこか漆黒の軍服を連想させる防毒スーツの乗務員たちは、次から次へと鍋を運んで、中身をひしゃくでくみ取って、肉塊たちのバケツの中へと流し込む。

 豚舎の豚にするように、きたない豚を見るように。

 肉塊たちの汗が沸き立つ。機内に脂汗あぶらあせが満ちる。

 赤いランプとブザーが叫ぶ。ガスの濃度が達したと。


 非常口が開いてゆく。高度一万の極寒の空で。

 主任乗務員チーフパーサーは無感動に、むちをふるって合図を送る。非常口に立つ男たちに。

 肉塊たちとは対照的に、その男たちはがりがりだ。

 痩せてしなびた薄い肉。死人のようなその肌は、防護スーツにも脂汗あぶらあせにもまもられず、ただれて焼けて腐りかけている。

 下着すらも与えられず、ガスの染み込んだ生殖器はちぢんで溶けて枯れている。

 身につけたのは、口と鼻とを隠すだけの一箱いくらの布マスク。必死に握る大団扇おおうちわ

 非常口が開け放たれる。うすい空気の極寒地獄へ、あぶらの煙が吐き出されてゆく。

 機内の熱も逃げてゆく。

 たぎる体の肉塊たち、断熱性ある防毒スーツの乗務員たちは気にも留めない。マスク一つの男たちだけが、寒さと毒とに震えながら、赤く爛れた両目をこらし、必死に大団扇おおうちわをふるう。

 黒に塗られた油紙あぶらがみに「死」と紅く筆書きされた大団扇おおうちわを全力でふるい、死の煙を機外へきだす渾身のつとめ。

 必死にすぎて、震える足がお留守になり、何人かは機外へ吸われる。

 重い鎖で繋がれていて、落ちることこそないのだが、気圧と寒さに心臓をやられ、そのまま動かなくなった。

 潰れかけた目は眺めていた。はるか下方に広がる大地を。そこへ散ってゆく死の煙を。


 雲ひとつ浮いていなかった青空に、飛行機雲の筋をひいて、白い旅客機が横切っていった。

 その年、急死と流産が相次ぎ、その国の人口増加は急停止した。

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