18. 蛙神

 蛙神。

 ――と書いて「あしん」と読むそうです。

 古くめずらしい言葉ですが、蛙神あしん信仰のある土地は、世界にたしかにあるそうで。

 私が少女時代をすごした村も、そんな土地の一つでした。


 村には蛙神が生きていました。

「生き神さま」「現神あらがみさま」などとも呼ばれて、人が生きているのとおなじに、生きて暮らしているのでした。

 小さな人間ほどもある、二足であるくアマガエル。

 アマガエルにそっくりな、ひょこひょこ歩く小柄な人間。

「あしんさん」と呼ばれるそんなものが、村には暮らしていたのでした。


「あしんさん」のお世話をするのは、私がそのころ通っていた学校の生徒の務めでした。

 学校にひとり「あしんさん係」が決められて、いつも「あしんさん」に付きそい、すべての世話を焼くのでした。

 休み時間に休むこともできないで、あしんさんの食べる虫をさがし、集めなければなりません。

 あしんさんを男子トイレにつれてゆき、トイレの中にまで入って、見守らなければなりません。

 あしんさんが大声を出したり、暴れたりした場合には、あしんさんに叫ばれたり、殴られたりすらしながらも、なだめなければなりません。

 そんな「あしんさん係」はもちろん、嫌で嫌でたまりませんでした。

 けれど学校でただ一人、「転校生」である私には、拒否する権利はありません。

 そんな学校がおわると、村のはずれの沼にまで「あしんさん」を送ってゆかねばなりません。

 家とは逆方向にある、ひどく遠い沼でした。

 臭くきたない沼でした。

 近寄るのもつらく苦しいそんな沼に、「あしんさん」を送ってゆかねばならないのでした。


 ある日、「あしんさん」に、沼へと突き落とされました。

 理由はまったくわかりません。

 ただ、黒くくさった、うんちのようなきたない沼につかったとたん、頭のなかは真っ白になりました。

 のような臭い泥に肩まで漬かった私にむかって「あしんさん」は、けけけ、と笑うような声をあびせました。


 そのとたん、真っ白になった私の頭の奥のほうで、なにかがぴちりと弾けました。


 けけけ、と笑っている「あしんさん」のみにくい顔面に私はパンチをぶつけました。

 へたりこんで、呆然とこちらを見ている「あしんさん」を、大きな石でぶん殴りました。

 耳ざわりな悲鳴をあげる前に、不恰好ぶかっこうにおおきな口を、落ちていた枝で、何度も何度もぶっ刺しました。

 這って逃げようとする「あしんさん」に背を向けて、学生鞄に手をかけました。

 中にはナイフが入っています。千枚通しも、縫い針も、包丁も、ライターも、裁縫ばさみも。ガソリンを入れた小瓶だって、化学準備室からもちだしてきた硫酸だって、電池と銅線でこしらえた自前のスタンガンだってありました。


 家に帰ってきたのは、もう夜になったころでした。

 吠え付いてきた犬のポチに「あしんさん」の残骸を投げました。

 意地汚いポチは「あしんさん」の臭い肉をよろこんでガツガツ食べました。

 私は精一杯泣きながら、父と母に、「あしんさん」をポチが食い殺したと訴えました。

 村じゅうの人たちがうちに来て、ポチを蹴ったり殴りました。

 最後には、みんなでポチを村の空き地へ曳きずりだして、ガソリンをかけて焼きました。

 キャンプファイヤーみたいだな、と思いました。

 火に照らされる村のみんなの表情は、ひどく晴れ晴れしていました。

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