熱風の凪にて

威岡公平

1


 高校球児には、三度、夏が訪れる。そして三度目の夏をグラウンドの上で迎えられる球児は、驚くほど少ない。




 天知俊一が野球部のグラウンドを訪れたのは、夏の地区予選の熱りも冷めがかった、八月も半ばを過ぎたある日のことだった。監督に連れられ自己紹介をはじめた季節外れの新入部員に、整列した一、二年生の部員たちは好奇の視線を投げかけた。


「僕はもう、ボールを投げられません――投手は、出来なくなりました」


 俊一のそのひと言で、同世代の有名人の来訪に一瞬浮足立った部員たちの雰囲気が、まるで氷を落としたかのように一瞬で強張った。


「正直な気持ち、投手が出来ないのなら、このまま野球をやめようと思っていました。でも、皆さんの頑張っているところを見て、僕ももう一度野球をしたい、甲子園を目指して、グラウンドで戦いたいと思うようになりました――」


 強張りから驚愕あるいは動揺へと姿を変えて、部員たちの内なるざわめきが広がり続けるのが感じられた。気づいているのかいないのか、それをまるで意に介さないように、純一は歯切れのいいよく通る声で自己紹介を続けた。


「――もう何か月も遅れてしまっているけれど、こんな僕を迎えてくれた監督のためにも、頑張って、必ず取り戻してみせます!よろしくお願いします!」


 穏やかにグラウンドに吹いていた風は、緩やかに勢いを小さくし、いつの間にか止まっていた。このとき俊一の言った言葉を、濃人渉は、後になっても一言一句すべてなめらかに思い出すことができた。

 しかし、どうしてだろうか。それらの文言はどれひとつ立体感と感情を持って渉に迫ってくることがなく、かわりに風ひとつ吹かない中で肌を粘ったく熱し続ける重苦しい熱気と、俊一の晴れやかな顔、朗々とした声だけが、不思議と鮮明に記憶に焼き付いて、実感を伴って迫って来るのだった。


 その記憶は、濃人渉が生まれてから18年の人生の中で一番嫌いな笑顔と出会った瞬間の記憶にほかならなかった。

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熱風の凪にて 威岡公平 @Kouhei_Takeoka

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