第3話置いてきぼりを食らう。

詩乃しのの元カレである隼人はやとや彼の家族が惨殺された事件とは……

昨秋の夜、隼人、そして彼の両親と妹が自宅である古い洋館で惨殺された。被害者全員の頭蓋骨が割られ脳みそが抜き取られていたという。口の中から、クシャクシャに丸められた紙の国語辞書の一部が見つかった。テレビでは海外に留学経験のあるタレントが「犯人は知的コンプレックスがあったのだろう」と分析していた。




そもそも事故現場である隼人の家へ行こうと言い出したのは、僕の今カノである詩乃だ。




僕らは隼人邸である洋館の中に入った。玄関ドアのナンバーキーは詩乃が解除した。重くて湿った空気に包まれる。木材の柱がニスで濡れているように光っている。建物には電気が通っていて天井の照明も問題なく僕らを迎えてくれた。




詩乃の案内で隼人の部屋へ向かう。オレンジ色の絨毯が足に心地よい。

僕と詩乃は広いリビングルームの隣の階段から二階へ上がった。

階段エリアも広い。吹き抜けなので二階から見るとちょうど目の高さにシャンデリアがある。

二階の長い廊下を僕と詩乃は無言で歩いた。屋敷内はとても静かでゴーストでも出てきそうだ。




そうして隼人の部屋の前に到着した。

黒い木のドア、鍵らしきものはない。詩乃が僕を見てため息をついた。詩乃は一度ドアノブに手を掛けようとして引っ込める。再び僕を見る詩乃。


やっと詩乃が重いドアを開けて僕らは室内に入った。




室内に入った途端、詩乃が吹いた。笑ったんじゃない、突然の号泣モードが抑えられなかったようだ。

隼人の部屋は十畳ほどだろうか。天井に黄色のライトが、白い壁、空色の絨毯が敷かれた床を照らしている。家具は何一つない。縦長の窓は外から雨戸でふさがれている。そこに詩乃の泣き声。

ドアの前にいる僕と詩乃から遠く離れた床、その空色の絨毯に大きな黒い染みがあった。黒い染みの形はバランスが悪く不吉な印象を受ける。僕らはその大きな黒い染みが死んだ隼人の残した血痕であることにすぐ気付いた。

詩乃が泣きながらたどたどしい足取りで血痕に近づいて行った。「私は望まないけれど運命に逆らえない」そんな感じだ。

隼人の血の上で詩乃が泣き崩れた。

「……隼人……隼人、どうして死んじゃったの?」

詩乃はしばらくその場で泣き続けた。


僕にどうしろというのだ? 僕の今カノが元カレを恋しがって泣いている。困る、実に困る。嫉妬に狂って壁でも殴ろうか。もうこの世にいない今カノの元カレに腹を立てて。

僕はただただ困りながら泣く詩乃を眺めるしかなかった。





「私もうダメだよ、こう、ごめん」

詩乃が絞り出すような声で言った。

僕が詩乃に渡した花束は無残にも床に散らばった。




「バカヤロー」

思わず口から飛び出した自分の言葉に僕はビックリした。我慢しきれなかった。僕は怒りがエスカレートしそうになり、一人で隼人の部屋を飛び出した。




最初から詩乃は僕のことなど眼中になかったんだ。インド製の固形石鹸って何だよ? 叔父さんのレストランで長々としゃべってた美肌になるインド製の固形石鹸の話。僕はそんなもの知らない。そんなもの詩乃と探し回った記憶なんかないぞ。おそらく詩乃と隼人の想い出だったのだろう。あの女、僕を隼人と勘違いしやがった。




あの夜、僕は詩乃を洋館に置き去りにして一人で帰宅してしまった。あれ以来詩乃とは会っていない。結局詩乃は学校に来なくなり、やがて退学してしまったからだ。

最終的に隼人を殺した犯人は捕まった。快楽殺人者だった。しかし何か報われない。僕の気持ちは、あの夜のあの場所に置いてきぼりを食らったままだ。





秋、マンションで一人暮らし。僕はリビングルームで芋焼酎を飲みながら、叔父さんから勧められた村上龍の『コックサッカーブルース』を読んでいた。今、僕は大学2年生だ。一般入試を受け直して第一志望の大学に入った。推薦入試に失敗したんだ。まぁいいじゃないか、バカなフリをしていればとりあえず学生生活は楽しめる。





僕ははこのままで大丈夫かい? あるがまま生きても大丈夫かい?

誰か教えてくれ、もしかして僕は、可哀想な奴なのかい?



今夜も僕は悪夢にうなされるのだろう。








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

呪われたあの夜 Jack-indoorwolf @jun-diabolo-13

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ