第10話 永久に想う その六



 戦場に風が吹く。

 いやな暗雲もたちこめていた。

 奇岩が尖った牙のように大地からとびだす荒地を、敵兵が陣を組んで進んでくるのが見える。


「近くに街があったな。住民たちは逃げだしていような?」

「はッ。おおむねは。まだ三割ばかり残っているようですが」

「では、今すぐ街をすてて逃げるよう、触れを出せ。私はそれまでのあいだ、ここをもたせる」


 甲冑をまとったシャマードは、馬に乗って自軍の先頭まで進む。騎士道にのっとり、名乗りをあげた。


「我こそは騎士長にして、我が国きっての槍の使い手。戦神とうたわれるシャマードなり。我こそはと思う者、かかってくるがいい!」


 敵は数で勝るから、シャマードの名を聞いて、いっせいに襲いかかってきた。名高い戦神の首級をとれば、いさおしになる。

 シャマードは自分が囮になって、街の住民が逃げる時間を作ったのだ。


「私が敵をひきつける。そのあいだに、おまえたちは敵の背後にまわれ。一騎でも多くの敵を討ちとるのだ」


 味方に命じておいて、シャマードは一騎で敵に立ちむかった。


 多くの血が流れた。

 これまで戦場でそうしてきたように、シャマードの手はふたたび血で汚れた。敵をほふるあいだ、シャマードの脳裏には、インウイの微笑みしか浮かんでこなかった。血まみれの彼の人生のなかで、それだけが美しい思い出だったから。人生の最期にあたって、美しいことだけを思っていたかった。


(インウイ。私がいなくなって、泣いているだろうか? それとも、もうあきらめて、家族とともに故郷へ帰っていっただろうか? そのほうがいい。私のことなど忘れて、おまえは新しい人生を歩んでくれ。今度こそ、おまえにふさわしい男を見つけて。こんな血で汚れた、おれなんかではなく……)


 シャマードは善戦した。

 彼の槍の前に、何百という敵が倒れた。


 だが、限界だった。

 後方から奇襲をかけたはずの味方も、あっさりやられてしまったのか、それとも戦いを放棄して逃げだしたのか。ひそりとも切りむすぶ音を聞かない。

 周囲は敵だらけで、いつしか、シャマードも手傷を負った。


(ここまでか。もう少しのあいだだけ、敵をくいとめておきたかったが……)


 馬が矢を受けて倒れるにおよんで、馬上からなげだされたシャマードは覚悟を決めた。せめて、敵に生け捕りにされて戦神の名に泥をぬるよりは、この場で自刃しはてようとした——

 まさに、そのときだ。


「うわァ! なんだ、あれ!」

「化け物だあー! 馬の化け物だぞッ」


 敵方が目に見えて浮き足立つ。

 見ると、全身が銀色に輝く美しい魔物が、戦場の端に立っていた。

 ひたいの銀の一本角。

 銀色の巻き毛のたてがみ。

 美しい馬の姿をしているが、それが魔物であることは、ひとめでわかった。


(あれは……あの日、おれが射た……)


 インウイと初めて会った日、たしかに見たと思った獣だ。一角の魔物はまっすぐシャマードに向かってきた。近づくと、その瞳が古風な緑玉の指輪のような、どこか感傷的な色をしていることに気づいた。


「さあ、乗って。戦うんでしょう?」

「おまえは……まさか、インウイなのか?」

「そうだよ。ぼくと戦う?」

「ああ。街の人が全員、逃げきるまでは、ここから敵を進ませるわけにはいかない」

「わかっているよ。あなたがそういう人だってことは。だから助けにきたんだ。ほんとは一角獣は争いが嫌いなんだけど」

「すまない。インウイ」

「ぼくの家族が街の人を逃しているから、あと半刻もすれば、最後の一人まで逃げきるよ」

「よし。それまで戦おう」


 戦神は魔獣と一体になって戦った。

 一角獣の敏捷な動きについてくることのできる敵兵はなかった。まごついているところを、シャマードが的確に槍で突いていく。一千の敵が地に伏し、二千の敵が沈み、敵兵は弱気になった。すでに逃亡にかかる者までいる。


「何をしているか! 敵はたった一騎だぞ。やれ! やるんだ!」


 敵将は声をかぎりに叫ぶ。だが、いったん変わった風向きを変えることはできなかった。


「さすがに戦神の名は伊達ではない。このままでは全滅だ。しかたあるまい。退け! 退却だ!」


 半分にまで減った敵軍は、命からがら国境まで退いていった。


「おーい、インウイ。住民の避難を終えたぞ。もう大丈夫だ」


 その直後に、ソルティレージュたちがやってきた。


「シャマード。もういいんだよ。あなたはできるかぎりのことをしたよ。帰ろう。ぼくたちの岩屋へ」


 インウイは言ったけれど……。


 背中から返事はなかった。

 ぐらりとシャマードの体が傾き、地に落ちた。


「シャマード!」


 インウイは人型になって、彼のもとにひざまずく。兜を外したときには、シャマードはもう虫の息だった。

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