第10話 永久に想う その三



 夜が明け、インウイの体はすっかり女になっていた。女の愉悦に目覚め、男から離れられない。人間につけられた怪我なんて、すぐに治ってしまったが、出ていくことはできなかった。


「……こんなことなら、カレーシュに最初のものをあげておくんだった。そしたら純血の子どもが生まれたのに」


 銀の毛並みに金の角だっただろうか。それとも、金の毛並みに銀の角だっただろうか。今さら言っても遅いのだが。

 処女が失われてしまったから、次に会ったときには、カレーシュの自分を見る目は、まったく変わっているだろう。


「ほかの男の話なんかするな。殺してしまうぞ」

「殺したければ殺せよ。おまえなんか嫌いだ」


 口では言うものの、肌をかさねれば、全身がバターのようにとろけた。


「シャマード……ひどいやつだけど、こうしてるときのおまえは好き」


 数ヶ月がすぎた。

 両親やカレーシュが心配しているかもしれない。


「ねえ、おまえに少しでも慈悲があれば、せめて、父さんたちに会いたいんだけど。おまえのことを悪くは言わないからさ。ちゃんと帰ってくるから」

「おれに慈悲なんてない」

「バカ! わからずや! 頑固者! えーと……それから、ほかになんかないかな?」


 使いなれない悪口をけんめいに考えるインウイを、シャマードはまぶしそうに見ている。


「おまえはおれから離れるな。ほかには何も求めない。おれを憎みたければ憎んでもいい」


 その口調が痛切な哀感を帯びていたので、インウイはビックリしてシャマードを見つめた。


「おまえ、さびしいのか?」


 インウイが彼の頰にふれようとすると、シャマードは顔をそむけて外へ出ていった。だが、その一瞬にかいまみえたおもてには、たしかな悲しみの陰があった。


 夕刻、シャマードが帰ってきてから、インウイは聞いてみた。


「なあ、シャマード。おまえ、どうして、こんな山奥に一人で暮らしているんだ? ほんとは人のいる街に帰りたいんじゃないのか?」


 シャマードは答えない。

 インウイは純粋に育ってきたので、人の悲しみにふれると、自分も悲しくなってしまう。


「最初におまえに会ったとき、大勢の人間の血の匂いがした。だから、山賊だと思った。けど、おまえは山のなかで狩りをしているだけだ。それなら、いつ、血の匂いはおまえにしみついたんだろう? とても辛いめにあって、それで街から逃げてきたんじゃないのか?」

「なんで、そんなこと聞くんだ?」


 シャマードは不機嫌に尋ねる。しかし、


「そんなの、ぼくだってわかんないよ! だけど、おまえがしょげてるのは、なんかイヤなんだ」


 インウイが泣きたい気分でわめくと、シャマードは嘆息した。


「べつに、何もないさ。ただ……もう人を殺したくなかっただけだ」

「じゃあ、殺さなければいいじゃないか」


「それが、そうもいかないのさ。やつらも、ここまでは追って来るまい。おれは一生、この洞穴を住処にするつもりだ。おまえはイヤか?」

「イヤじゃないけど。干し草は好きだし、山の空気は澄んでて心地いいよ。それに、おまえのことも、前ほど嫌いじゃない……かも」


「気持ちいいことしてくれるからだろ?」

「そうじゃないよ! バカ! わからずや! えーと、女心のわからないトウヘンボク!」


 シャマードは笑いながら、インウイを抱きしめる。


「ちょっと前まで、自分は男だと言いはってたくせに」

「おまえのせいだろ」

「言葉遣いがなぁ。じゃじゃ馬ならしだな」


 なんで馬だと知ってるんだろうと、インウイはドッキリする。


「馬は嫌い?」

「じゃじゃ馬は好きだな」

「じゃあ、よかった」


 あれ? なんで、よかったなんて思うのかな……。


 インウイは自分の心の変化に、まだ気づいていない。

 でも、ふとしたはずみに、シャマードのさみしげなよこ顔を見ると、インウイの心は、キュッとしぼられるような痛みをおぼえる。

 シャマードの笑い声を聞けば心が弾んだし、優しくされると胸の奥があたたかくなった。


 二人ですごす山の生活は、しだいに楽しいものになっていた。このさきずっと、このままでもいいと思えるほど。


 しかし、そのころ、ソルティレージュたちは、何年も帰ってこないインウイを病気になりそうなほど案じていた。


「インウイ。どこでどうしているんだか。ちゃんと生きているんだろうか?」

「ソルティレージュ。あなたなら匂いでわかるでしょ? どうにかして探してよ。あの子、自分では一人前のつもりでいるけど、まだ子どもよ。誰かにだまされてないかしら」


 アンフィニに言われて、ソルティレージュは顔をしかめた。ソルティレージュだってそうしたいが、それができないから困っているのだ。


「じつは、もう何度も試してみたんだ。でも、あの子の匂いをかぎとることができない」

「まさか! もう死んでるんじゃ……」

「ああ。もしかしたら……」

「そんな……」


「あるいは、あの子の匂いが変わってしまったかだね」

「匂いが変わるなんてこと、あるの?」


「処女でなくなったらね。でも、そんなことあるだろうか? あんなに男の気質がまさってたのに、あの子が男に興味を示すとは思えない。人間にほんとの姿を見られて、殺されてしまったんじゃ……」

「ああ、どうしましょう」

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