第9話 愛の秘薬 その四



 翌日。

 夜明けとともに、お城の中庭に、台所で一番大きな鍋が持ちだされた。新しい王様の命令で、その鍋いっぱいにグラグラと湯が沸かされる。


「何が始まるのですか? あなた」


 女王も見守るなかで、エメロードは鍋のなかに秘薬を流しいれた。


「じつは私は魔法使いなのです。今日はとっておきの秘術を見せてあげましょう。そこの馬屋番。ここに来なさい」


 エメロードに手招きされて、ルトローンは従う。


「さあ、服をぬいで、この鍋のなかに入りなさい」

「えッ? 王様。この煮え湯にでございますか?」

「うむ。例のものを持っていれば安全だから。一枚も残さず、全部ぬぐのだよ」


 例のものと言われれば、ハンカチのこと。それに今、王の手で鍋に入れられたのは、我が家に伝わる秘薬ではないか。

 ルトローンはそう考えると、覚悟を決めて服をぬいだ。


 みすぼらしい衣服をすべてぬぎすてると、均整のとれた若々しい体が現れる。その裸を見て、女王は赤面した。


 じつは、ソルティレージュはルトローンが用を足しているところを見ていて知っていた。彼の持ちものが人間の男にしては、規格外に立派だということを。


 毎晩、逞しい丸太にウットリしていた女王は、ひとめで、その見事さに惚れこんだ。おまけに鍋に身を投じたルトローンは、男らしい精悍せいかんな顔つきの美丈夫になっていた。


 女王が動揺していると、そのよこで、今度はエメロードが服をぬぐ。ほっそりと少女のように華奢な少年王は、残念ながら、とても男の大きさでは馬屋番にかなわない。丸太というよりは、若葉のついた可愛い小枝だ。


 さては花婿のすりかえが行われていたのかと女王は思った。

 なりゆきを見守る女王の前で、鍋に入ったエメロードは、妖精のようにも天使のようにも見える、世にもまれなる美少女に変身していた。


「嬉しい。女に戻れた」


 こうなっては、女王も迷わない。ルトローンを自分のとなりに呼びよせる。


「王が女になってしまわれたので、今からは、あなたが新たな王です」


 ルトローンはじつに威風堂々として、玉座にふさわしい。人格も素晴らしく、臣下も新しい王を歓迎した。


 その数日後には二人は結婚し、ルトローンは生涯、善政を敷いた。

 ルトローンの一家も城のなかに移り住み、何不自由なく暮らしたという。

 カプリッチ似の妹は、騎士長と結ばれた。ソルティレージュに手傷を負わせた、あの兵士だ。


 ところで、女に戻ったエメロードだ。いつのまにか一陣の風にさらわれ、中庭から姿を消していた。ソルティレージュが一角獣に戻って、エメロードと友人をつれだしたのだ。


「あの薬がほんとに最後のひと瓶だったようだ。もう同じ魔法は起こせない。これからもずっと女の姿でいたいなら、これが最後のチャンスだ。エメロード、この薬を飲むといい」


 ソルティレージュが用意したのは、魔界の月の魔力を抽出した霊薬だ。


「魔法で作った食べ物を食べ続けると、人間の体は魔法を帯びる。さらには、魔界のなかでもっとも純粋な魔力の結晶である、月の霊力を口にすれば、その人間は完全な魔物になる。これを飲めば、あんたはおれたちと同じ悪魔だ。そのかわり、薬を飲んだときのまま体の時間が止まる。あんたは死ぬまで女でいられる。どうする? 人間を悪魔にはできるが、悪魔を人間にすることはできない。一度、悪魔になれば、もう人間には戻れなくなるが……」


 エメロードは微笑して、ソルティレージュの渡した薬をひと息に飲みほした。


「これで、わたし、悪魔なのね。殿と同じになれるなら、後悔しないわ」


 やっぱり、少女のときのエメロードは、抜群に可愛い。鍋のなかで体が作りかえられたせいで、とてつもなく美味しそうな処女の匂いがしていた。エメラルドの瞳は、まるで魅惑の魔法のあめ玉だ。


 ソルティレージュは悪い癖を出して、不埒な情欲をいだいてしまった。が、エメロードにやんわり、たしなめられた。


「ダメよ。今度はちゃんと、殿にあげるの」


 ポワーブルは涙ぐんでいる。


「なんだよ。エメロード。可愛いこと言ってくれるなぁ」

「だって、あなたを愛しているんですもの」

「照れるぜ」


 二人の熱々ぶりを見せつけられて、へきえきしたソルティレージュは、さっさとアンフィニを探しに旅立った。魔法屋のある森は夏でも、世界のどこかには冬の国がある。


「おーい。アンフィニ。怒ってるかい? おれが我慢しきれなかったこと」


 雪の降る寒い国をやっと見つけたとき、アンフィニは笑っていた。


「いいわ。許してあげる。浮気しないでくれたみたいだから」

「おれには碧玉の瞳より、白雪の香りのほうが魅力的だよ」


 ほんとはちょっと、エメロードのことも好きだった。でも、彼女への愛は持続しない。たぶん次に会ったときには、キャンディみたいな瞳に魅せられることはない。


「ここに別荘を建てようか。そうすれば、いつもの森が夏のあいだ、ここで君に会える」

「素敵ね。世界中に別荘があってもいいわ」

「そいつはいいね。雪を追って世界中を旅する魔法屋。そのほうが、おれらしい」


 アンフィニといられるのは、いつも冷たい空気のなか。

 だけど、二人でいれば、それだけで、あったかい。

 どんな秘薬もかなわないほど。




 了

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