第九話 愛の秘薬

第9話 愛の秘薬 その一



 ある日、ポワーブルがあわてふためいて、森の奥のソルティレージュの家にやってきた。何事かと思って、彼の住処であるゴブリン城まで行ってみれば、ポワーブルの奥方、エメロードが男になっていた。


 つまり、エメロードは生まれたときは男だったが、魔法の薬で女に変身していた。魔法の効きめが切れて、もとの姿に戻ってしまったのだ。


「そうか。あれから百年以上になるんだもんな。効力も切れるってもんか」


 女のときには絶世の美女だったエメロードだが、男に戻っても、やっぱり絶世の美少年だ。女でないことが不思議なくらいの美貌の持ちぬしである。ところが、エメロードは自分が男になってしまったことを嘆き悲しんでいた。


「お願いです。もう一度、女の体にしてください」

「ええと……なんか、不都合なのか?」


 ポワーブルを流し見ると、小鬼の友人は太短い腕を組んで、深刻な顔つきだ。


「それがなぁ。おれはもともと、こいつが男だったときから好きだから、このままでもかまわないんだが、一つだけ困ったことがある」

「というと?」

「夫婦の夜の営みができない。試してみたんだが、あんまり痛がるんで、かわいそうになって、途中でやめたよ」

「なるほど。おまえさんは特別サイズだからな。女の体じゃないと楽しめないだろう」


 ソルティレージュは納得した。


「しかし、それは、たしかに困ったな。あのときの変身の秘薬は、もうこの世にはないはずだ。おれの兄さんが、となりの国の城を焼いたときに、お城といっしょに燃えつきてしまったんだからな。とは言え、このままでは、あんたたちがかわいそうだ。なんとかしてやらないとな」


「できるのか?」

「うーん。人間の姿を一時的に変えることは簡単だ。でも、このさい、恒久的に女のままでいられるほうがいいんだろう?」


「そんなことができるのか? 魔法をかけても、その魔法が解けたら、また男に戻ってしまうんじゃないか?」

「方法がないわけじゃない。だが、そのためには、エメロードにある決心が必要だ」


 絹のとばりの寝台のなかで、女みたいな仕草で泣いていたエメロードだが、こう聞いて、強い決意の色を示した。


「かまいません。もう一度、女になれるのなら」

「じゃあ、ちょっと下調べに行ってくる。またあとで来るよ」


 ソルティレージュが調べに向かったのは、例の人間を変身させる魔法の薬の出所だ。


 あれはとなりの国の王家が代々、若返りの秘薬として所蔵していた。大鍋いっぱいに湯をわかし、秘薬をたらしたなかに、処女の血をお守りにしてとびこむと、老人は若者に、若者なら、より美しく変身できる。


 エメロードは生来、この上ない美少年だったので、さらに美しく変身させるために、魔法が女の体に変えたのだ。


 もう一度、以前と同じ方法で女にさせるために、薬のルーツを調べた。すると、となりの国の秘薬は、もとを正せば、さらに隣国からわけてもらったものだったということがわかった。


 となりのとなりの国は、そのころ少し弱ったことになっていた。

 入り婿の王様が亡くなって一年になるが、めんくいの女王が再婚を嫌がり、誰の求婚も受けつけない。二人のあいだには子どもがなかったので、王家の血が絶えることを、忠実な家臣が案じているのだった。


 そうと知って、ソルティレージュは急ぎ、ゴブリンの城へ引き返した。ポワーブルとエメロードを旅に誘う。

 道の途上で、ポワーブルが言った。


「ところで、ソルティレージュ。アンフィニはどうしたんだ? この前、おまえの家に行ったとき、アンフィニを見なかったが」


 ソルティレージュは雪が降らない季節には抱きあわないという約束を守りきれず、つい先日、可愛い雪娘を消えさせてしまったのだ。今ごろ、雪を待つ雲のなかで、アンフィニはどんなにか落胆していることだろう。


「それを言わないでくれ。恋しい人を目の前にして、ずっと我慢し続けるなんて、おれにはできないよ」

「そりゃそうだな」


 旅のあいだ、ソルティレージュは白馬に、ポワーブルは人間の召使いに化けて、貴公子の服装をさせたエメロードにつきしたがった。エメロードは生まれつきが王子だから、貴公子の姿がよく似合う。


 となりのとなりの国に着くと、さっそく、ソルティレージュはエメロードを宮廷に挨拶に行かせた。めんくいの女王は、ひとめ見て、麗しいエメロードに恋してしまった。


「以前の王様より美しい男がいるなんて、思いもしませんでした。新しい王は、このかたより他にいません。すぐに婚礼の支度を」

「それは困ります。私は、その……結婚するわけには……」


 エメロードがうろたえているうちに、女王は決断してしまった。婚礼の準備はまたたくうちに進んだ。花婿はほとんど幽閉のように一室に閉じこめられる。


「おい、こら。ソルティレージュ。どうする気だ。変なことになっちまったぞ。おれの可愛いエメロードが、人間の女の夫になるだなんて、そんなこと許さないぞ。もし、あいつが心も男に戻って、やっぱり女を妻にしてるほうがいいなんて言いだしたら、どうしてくれる」


 ポワーブルは憤激して、馬屋で飼い葉をはむソルティレージュに文句をつけてくる。


「まあまあ、落ちつけ。これは最初から予定の内だ。結婚を承諾するかわりに、引き出物として秘薬を要求するんだ。女王の目の前で女に変わってやれば、もう結婚するとは言うまい」

「なるほど。そういうことか」


 それで、エメロードは女王との結婚を承諾したのだが、そのときになって問題が起きた。


 教会で夫婦の誓いを立てたあと、

「女王陛下。私はあなたの夫になると誓いました。そこで、あなたからも私に誠意を示してほしいのです。王家に伝わる秘薬を私に試させてください」と、エメロードは言った。


 だが、女王は困惑した。


「あなたの頼みなら、なんでも聞いてあげたいところだけど、それは不可能というものです。というのも、あの薬はもうないのです。美しくなれるというので、残っていた最後のひと瓶を飲んでみたのだけれど、なんの変化もなかったのよ」


 エメロードは馬屋に駆けもどった。

「どうしましょう。あんなことを言うんです」


「あの薬を飲んだって? あれは飲んで使うものじゃない。そりゃ効きめはないだろうな。しかし、すると困ったぞ。薬はもうない。あんたは女王の夫になってしまった。いっそ、このまま人間に戻って、この国で王になるというのはどうだ? ポワーブルには泣いてもらうことになるが、一度は人間の世界に帰りたがった、あんたじゃないか」


 エメロードは宝玉のような白皙を怒りで赤くした。男になっているあいだは、同じ人間でも女のときとは行動パターンが変わってくるらしい。


「本気でそんなことを言うんですか? ひどい人です。あなたが私を女の体にして、歓びを教えたんですよ。今さら男に戻ることなんてできません」

「わかった。わかった。悪かった。ちょっと言ってみただけだ。とにかく、少し時間をくれ。ほかに方法がないか調べてみる」


「あなたが魔法で私を女にしてくれたらいいじゃないですか」

「あんたの体は前の魔法に慣れてるから、違う魔法をかけるより、できれば同じ魔法で変身させるほうがいいんだ。薬の処方がわかればいいんだが」


 エメロードは碧玉へきぎょくの瞳で、じろりとにらんでくる。


「頼みましたよ?」

「うんうん。やっぱり女の子じゃないと、可愛くないな」


 エメロードでありさえすれば、男でも女でもどっちでもいいという、ポワーブルの愛は深いと、ソルティレージュは感心した。


(もし、アンフィニが男になってしまったら、おれはどうしたらいいんだろう? ちゃんと今までどおりに愛せるんだろうか?)


 おかしな心配をしながら、追いたてるように、エメロードを帰す。

 しかし、これという手立てはなかった。

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