第四話 一角獣の贈りもの

第4話 一角獣の贈りもの(前編)



 兄を亡くしたソルティレージュは、ひたひたと細波さざなみのように押しよせる悲しみから逃れるために、何ヶ月ものあいだ走りとおしていた。


 一角獣の姿に戻って、人の来ない森のなか、荒寥こうりょうとした荒れ野、険しい山のいただきや、死んだように静まりかえった湖のほとりを、休むことなく駆けとおした。


 いくつもの国境を通りすぎ、彼の家から遠く離れた国に来たとき。

 森のなかでソルティレージュは、うっかり人間に姿を見られてしまった。


 人間たちは狩りの最中だった。弓矢や剣で追いたてられたソルティレージュは、足に怪我を負い、人間たちに捕まってしまった。


「なんと美しい生き物だ。これこそ話に聞く幻獣、ユニコーンか? 白銀に輝くたてがみ。鳩の血の色ような双眸。何より、この見事な銀の角。本日の獲物は、まことに素晴らしい」


 ソルティレージュを捕まえたのは、まだ若い子爵の一行だ。


「子爵様。よいものを手に入れられましたな」

「うむ。さっそく持ち帰り、ノエルに見せてやろう。これで弟も少しは元気になってくれるかもしれない」


 子爵には病弱な弟がいた。

 クリスマスの夜に生まれたこの少年は、わずか七つにしかならないが、あと三年は生きないだろうと言われていた。


「ノエル。帰ったよ。ほら、ごらん。とても珍しいものを捕まえた。おまえが喜ぶだろうと思って、つれ帰ったよ」


 ノエルは顔色こそ悪かったが、女の子のように可愛らしい少年だった。おりに入れられたソルティレージュを見て、喜びながらも、たいそう胸を痛めた。


「兄上。怪我してるよ。かわいそう」

「うむ。それは捕まえるために、しかたなかったんだ。なにしろ逃げ足が速いから」

「ぼくが手当てしてあげるよ。早くよくなって、元気に走りまわってね」


 弟の無邪気な言葉に、子爵は苦笑した。


「元気になったら逃げてしまう。檻から出してはいけないよ」

「うん……」


 病弱なノエルは自分が走ることができない。だから、怪我をして走れない獣が哀れでならなかった。


 ノエルは毎日、ソルティレージュにつきっきりで世話をした。この獣の看病を始めてから、不思議と持病の発作も起きない。


 兄の子爵は弟が元気になってくれたことを、ことのほか喜んだ。


 ソルティレージュのほうはと言うと、最初こそ腹を立てたものの、子爵の屋敷で暮らすうちに、仲のよい兄弟のようすを見るのが、とても楽しみになっていた。自分の兄を亡くしたばかりだったので、おたがいを思いやる兄と弟の姿が好ましかった。人間に傷つけられた怪我など、ほんとは数日のうちに治ってしまっていたのだが、兄弟のもとに残っていたいがために、動けないふりをした。


「ねえ、まだ走れない? おまえが元気になったら、兄上は逃げだしてしまうとおっしゃるけど、そんなことないよね? ぼく、おまえの背中に乗って森のなかを駆けてみたいよ。ほんとは自分の足で走れたらいいけど、それはできないんだ」


 ノエルはまるで人間に対するように、ソルティレージュに語りかける。体の弱い少年には他に友人もいないから、ソルティレージュをほんとの友達だと思っていた。


 ソルティレージュも心優しい少年が大好きだった。できることなら健康な体にしてやりたいが、ノエルは魔法でも簡単には治せないほど悪いのだ。体のなかみをごっそり入れかえるか、悪魔の持つ強靭きょうじんな活力をわけてやるしか手はない。


 そのまま、幾月かがすぎていった。


 子爵の屋敷に珍しい獣がいると、しだいにウワサが広まった。物見高い貴族や周辺の領主たちが、こぞって子爵に大枚の金貨や贈りものをして、一角獣を譲ってくれと申しでた。それがダメなら、せめてひとめでいいから見せてくれと言う。


 最初は断っていた子爵も、あまりに莫大ばくだいな見返りに、つい気持ちが揺れ動いてしまった。少しずつ人に見せるようになり、ウワサがウワサを呼んだ。子爵のもとへは贈りものが絶えないようになった。遠くの国からも、貴重な宝物を数々運んできて、何人もの王侯貴族が屋敷の前に列を作った。


 高価な代償を払った客たちは、檻のなかのソルティレージュに対して、たいへん失礼な態度におよんだ。ベタベタと体中をなでまわし、たてがみをぬいてお守りにしようとする。なかには、ソルティレージュをそのへんの馬のようにあつかって、背中に乗ってみようとする者までいた。清らかな乙女にしかふれることを許さない誇り高い一角獣を、俗悪にまみれた手でさわって不快にさせるだけでも許しがたいのに、この暴挙に、ソルティレージュは腹を立てた。


「ねえ、兄上。ダメだよ。あの一角獣は、ぼくの友達なんだよ。あんなに嫌がって怒ってるじゃないか。見世物になんてしないで」


 ノエルは優しい心を痛めて兄をいさめるが、お金に目がくらんでいる子爵は聞きもしない。そればかりか、あるとき王にこう言われ、ついにソルティレージュを譲ることに決めてしまった。


「なんとも素晴らしい生き物だ。あれを余に譲ってくれれば、そちを姫の夫にし、ゆくゆくはこの国の王にしてやるぞ」


 王には美しい王女が一人あった。

 子爵はこの話を承諾した。

 これを知ったノエルは、心の底から嘆いた。


「お願いだよ。ぼくの友達をあげたりしないで。兄上はもう充分、稼いだじゃないか。この上もっと多くを望むのは欲張りだよ。そんなことしたら、きっと悪いことが起こる。だって、あの子が怒ってる。ぼくにはわかるんだ」


「しょうがないだろ。王様と約束してしまったんだ。なに、悪いことなんて起こりはしない。今までだって、ずっとなんともなかった。あいつは姿が珍しいだけの、ただの馬さ。おまえには別の馬を買ってやるから、それでいいだろう?」


 ノエルの諫言かんげんにも耳を貸すどころではない。このとき、子爵はたしかに少し正気を失っていたのだろう。

 ノエルは悲嘆にくれて、ソルティレージュにすがりついた。


「ぼくのお友達。兄上は変わってしまったよ。王様になれると思って舞いあがっているんだ。ぼくは王様なんかじゃなくていいから、以前の優しい兄上が好きだったのに。もう嫌だよ。こんなところにいたくない。ぼくが走ることさえできたら……」


 泣きぬれる少年を見て、ソルティレージュは声をかけた。


「では、私と行くか? 私もおまえが好きだ。今まで、おまえのために我慢していたが、これ以上は耐えられない」

「おまえ、人間の言葉がしゃべれたの?」


 ビックリしているノエルの前で、ソルティレージュは自分の足を檻につなぐ足枷あしかせを、魔法で外した。


「心優しい少年。私と行くなら、おまえを好きなだけ野山を駆けまわれる体にしてやろう」


 ノエルはうなずいた。


「うん。行くよ。ぼくをつれてって」


 ソルティレージュが檻から出て、ノエルを背中に乗せたときだ。子爵がやってきて悲鳴をあげた。


「弟をどこへつれていく!」


 追いすがってくるのをふりきって、ソルティレージュは走りだした。子爵の屋敷は飛ぶように遠くなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る