第2話 夢の恋人(後編)



 それから月日は流れて、十五年が経った。お城のお姫様が十五歳の誕生日を迎える日だ。


 お姫様は魔法使いから授けられた祝福どおりに、かしこく美しく気高い、これ以上はない貴婦人に成長していた。


 王様もお妃様も、姫をそれは大切にした。王はあの恐ろしい予言のために、国中の犬を殺してしまい、今では王国に犬は一匹もいない。

 これでお姫様が犬にされることはないと信じて、王様たちは安堵あんどしていた。今日のこの日さえ無事にすぎてくれれば、呪いは無効になると。


 王は安心しきっていたので、早々に姫の結婚相手まで決めていた。となりの国の王子が、家柄も年齢もちょうどいい。王はそれが姫の幸せだと信じていたけれど、じつのところ、姫には他に好きな男があった。お城の騎士の一人だ。騎士も姫を愛していることを、王は知っているのだが、身分違いだからと二人の結婚をゆるさなかった。


「さあ、皆の者。今日を立派に守るのだぞ。今日さえすぎれば、次は姫の婚礼だ」


 王の言葉を聞いて、姫は悲しみに胸がつぶれそうだった。誕生日の宴に駆けつけてきた隣国の王子を見るのもつらく、こっそり宴をぬけだすと、お城にある古い塔に一人でのぼっていった。


 塔のてっぺんからは、これまで聞いたこともない動物の鳴き声がしていた。不思議に思って最上階の扉をひらくと、恐ろしく年老いた女が、薄暗い部屋のなかで椅子にすわっていた。女は王女の見たことのない動物をひざに抱いている。とても可愛らしかったので、王女は無邪気に近寄って、動物の頭をなでた。


「おばあさん。可愛い動物ね」

「そうだろう? 抱いておやり」

「あら、いいの? ありがとう」


 王女は見知らぬ老婆から動物を受けとり、抱きかかえた。


「おとなしくて可愛い子ね。なんて動物なの?」

「そいつはね。犬だよ」


 もちろん、自分にかけられた呪いはお姫様も聞いていた。おどろいて、あわてて犬を離したものの、乱暴にあつかわれた犬は、怒って王女の手に噛みついた。


 そのとたん、魔法が効力を発揮して、呪いは現実のこととなった。

 美しい王女は小さくて愛らしい巻き毛の白犬になった。

 高笑いする女も、もはや、みすぼらしい老婆ではない。カボシャールだ。


「おバカさん。一生、その姿で苦しむがいいわ」


 カボシャールは自分の呪いに続きがあることを知らなかったので、意気揚々と言いはなった。


 ところで、そのころ階下も大騒ぎになっていた。姫の姿が見えないと言っているうちに、広間に集う人々が、次々に犬になっていった。たくましい猟犬もいれば、ひねこびたチビ犬もいる。乙にすました座敷犬も。斑もいれば、茶色いのも。

 王様やお妃様はおろか、城中の家臣、召使い、宴に集まってきた客までも、全員、大小さまざまな犬に変身する。


 ああ、これは姫が犬に噛まれてしまったのに違いない、呪いが成就されたのだと、王様が思ったときには、とりかえしがつかないことになっていた。塔のてっぺんから、またとなく可愛らしい白犬が駆けおりてきて、みんなの前に姿を現した。


「おお、姫や。おまえが姫だね。なんて姿になってしまったんだ」


 王様は声をかけたつもりだったが、それは犬の鳴き声だった。言葉が通じない。


 お城勤めの連中は、姫にかかった呪いの内容をみんな知っていた。もちろん、呪いの解きかたも。雄犬はこぞって白犬に襲いかかった。


「やめないか。皆の者。何をするか。この無礼者め!」


 王様は止めようとしたが、どうにもなるものではなかった。


 さて、どれくらいか時間が経って、城中の雄犬が試してみたが、呪いは解けなかった。彼女にピッタリあう鍵の持ちぬしがいないのだ。


 さんざんなめにあった白犬は、よろめきながら城から逃げだした。お城の外の森を駆けていると、うしろから大きな黒犬が追いかけてきた。抵抗しようとする白犬によりそってくる。


「イヤよ。やめて。あたしはたった一度の思い出を、ずっと大切にしてきたのに。こんなに汚れてしまったあたしを、あの人はもう、ふりむいてくれないわ」


 だが、黒犬は強引に彼女を占領した。しかし、その愛撫には、これまでの雄犬たちとは違う優しさがあった。

 なんだか、とても懐かしい感じだ。そう。初めての、あのときのように。


(そうよ。あの人も、こんなふうに、あたしを愛してくれたっけ)


 それで彼女は、いつしか彼に心をゆるしていた。二人の歓喜が一つにかさなって、ぴたりと鍵が錠前にはまる。二人の姿はもう犬ではなかった。魔法が解けて、もとの姿に戻っていた。


「シランス。あなただったのね」


 男は寡黙な魔法使いシランスだった。

 そして白犬は王女ではなく、意地っぱりの魔女。


 シランスはカボシャールの手をとって、不慣れだけど、真摯しんしな愛をささやく。


「おれといっしょに思い出を作ろう」


 カボシャールの頰に涙がこぼれてきた。


「一生、あたしを大事にしてくれる?」

「約束する」


 泣きじゃくるカボシャールを、シランスは黙って抱きしめた。


 一方、そのころのお城だ。

 大切なお姫様がヒドイめにあって城を出ていったと思った王様とお妃様は、姫君の葬儀のように悲しみに沈んでいた。


 そこへやってきたのが、森の魔法使い、ソルティレージュだ。こんな残酷な魔法をかけたソルティレージュに、王と王妃と恋人の騎士は食いつかんばかりに吠えかかった。が、ソルティレージュは平然としている。


「まあ、落ちつけ。さっき出ていったのは王女じゃない。おれが前もって別の女に、王女と同じ呪いをかけておいたのさ。あんたたちはあの子が身代わりになってくれたことに感謝するんだな」


 以前、カボシャールの住処を訪ねたときに魔法をかけた。カボシャールは自分がつれてきた犬に噛まれて、王女のすぐあとに変身してしまったのだった。


「王よ。今度はあんたが改心する番だ。おれの魔法は前述のとおり、心からその人を愛してくれる者にしか解けない。あんたたちの大事な姫を、ほんとにあんなことにさせたくないなら、ここらで認めてやるしかないんじゃないか? 姫には愛しあった恋人がいるんだろ?」


 しばらく王様の犬はうなっていたが、こうなると認めざるを得ない。


「わかった。それでいいから、姫をもとに戻してくれ」

「愛しあった二人を結婚させてやるんだな?」

「うむ」

「じゃあ、ここからさきは彼一人だ」


 ソルティレージュは立派な騎士の犬をつれて、塔への階段をあがっていった。塔の最上階の部屋に、姫君の白犬は隠れていた。


「ずっと隠れていたのは利口でしたよ。可愛いお姫様。あなたの恋人をつれてきたよ」


 声をかけると、古ぼけた寝台の下に隠れていた白犬は、くんくん鼻をならして姿を現わす。騎士の犬と鼻をこすりつけて再会を喜んでいた。


 が、やっぱり、ソルティレージュは悪魔だ。ソルティレージュだって、これが楽しみで人間界で魔法屋なんてやっているのだから。


「ちょっとのあいだ、眠っていておくれ」


 ソルティレージュは騎士の犬に眠りの魔法をかけると、可愛い巻き毛の白犬をベッドの上に運んだ。


「優しい乙女の匂い。けがれを知らない匂い。私はこれが好きなんだ。ねえ、許してくれるだろう?」


 ソルティレージュがささやくと、お姫様は甘い心地になって、魔法使いに身をゆだねた。ソルティレージュがすべての乙女を愛するように、乙女たちもみんな、美しく妖艶な一角の悪魔を愛さないではいられない。一角の血と処女の血が、本能で惹かれあうから。


「今は本気で君が愛しい。今だけはね。そして、このことは二人だけの秘密だ。君と私だけの大切な思い出」

「素敵よ。わたしのユニコーン」

「今だけの秘密。一時の夢」


 妖しい夢がすぎさる前に、相手は恋人の騎士に変わっていた。

 姫君はいつのまにかいなくなった美しい魔物に、心のなかでサヨナラをつぶやいた。


(ずるい人。つれない、愛しい魔法使い。忘れないわ。あなたの見せてくれた夢)


 恋人の腕に抱かれながら、姫はつかのま、夢のなかのもう一人の恋人に思いをはせていた。

 いつか、その夢が思い出に変わるまで……。




 了

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