第2話 階段下の首脳会談ー2
それでも、時々何で不機嫌なのか分らないときがあります。5分、10分前に来るなんてまれです。大抵、時間ぎりぎりに飛び込んできます。夏休みは受験生にとって頑張りどころ、ここで決まってしまうと言っていいでしょう。午前の授業は9時から12時までの3時間。午後の授業は4時から6時半までの2時間半。7時から9時半までは隔日ごとの1,2年の授業に当てました。この間に夕方の授業にやっておかねばならない宿題があります。急いでやっても、2時間はかかるでしょう。授業はお盆の3日間を除いて毎日ありました。生徒もしんどかったと思いますが、私も大変でした。でも、この夏休みを過ぎたら、たいていの子はぐっと実力を伸ばすのでした。内田君が午前の授業は機嫌がよいのですが、午後の授業の始まりになると機嫌が悪いのです。
思い当たることとて無く、仕方なく、垣内君にそれとなく聞いてみると、こういう事らしいのです。夏の4時は未だ暑いものです。時間ぎりぎりに遅れまいと、自転車を飛ばしてやってきます。クーラーの良く効いた教室に入りたいのですが、私は節約もあって5分ぐらい前に入れます。それが不満なのです。でも、生徒数の少ない塾のことを慮って言い出せなかったのです。それからは30分前に必ず入れておくことにしました。時間ぎりぎりに飛び込んできて、すぐに数学の問題を解く内田君の首筋に汗の玉があります。舐めてやりたいぐらい可愛く思いました。その話を誰かにしたら、その気があるのかと冷やかされました。でも、人の子でもこんなに可愛いのですから、自分の子も、もっと触れるときに、触れておけばよかったと思っても、後の祭りです。内田君は、その表情、体付きの様に、勉強もゴリゴリと押し切るような感じでやってきます。国語は抜群のセンスを持っていました。
垣内君はその顔つきのように少し線が細いのです。でも、数学、理科は内田君に負けていませんでした。しかし国語が全然駄目なのです。駄目というより文章音痴なのです。「俺の歌も相当音痴やけど、お前の国語音痴はそれよりひどいなぁー」と失礼な言葉も出ました。お母さんには、「小さいときに、会話をしました?」「本を買って与えました?」とこれもまた、失礼極まる質問をしてしまいました。それでもお母さん、怒ることなく、すまなさそうに、「人並みなことはしたつもりですが…」と答えられました。
実は一番教え辛いのが国語教科です。数学は計算力を鍛えるとか、解放のメソッドがあるのですが、国語の出題文章はその文章を書いた作家でも間違うという笑えない話があるぐらいです。
「国語は捨てて、漢字と文法で20点取れ!後は、他の科目でカバーせよ」と言わねばならないほどひどかったのです。国語の差が内田君との差なのでした。夏休みを過ぎた頃から、内田君がめきめき力をつけ、関学希望の付属どころか、進学高校でトップの灘高校に十分受かる範囲に入ってきました。灘は沢山、東大、京大に入っています。一人でも、灘合格はひょっとして生徒募集の助けになるかと、そんな思いもあって、勧めてみたのです。
「先生、1週間待って下さい、考えますから」。1週間がたち「どうや?」と訊くとこんな返事が返ってきました。「今でも、受験勉強しんどい。大学の受験だったらもっとしんどいやろ、もう受験は1回でいいです」と。関学付属を見事に合格しました。
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