第51話 「好きな人との恋が実らない辛さとか、そういうのは全部知ってるから」


 * * * *


 どうして.......。どうして私じゃダメなの?

 ウチのが先に好きになってたのに。先生が現れたのは、ずっとずっと後だったのに。


「悔しいよ.......」


 涙が止まらない。逃げるように、稜くんの部屋から飛び出して。そのまま、ウチは部屋にこもった。

 鍵があれば、絶対にかける。ウチのこんな顔、誰にも見せたくないし。


 ウチの部屋がある2階には3つ部屋がある。階段から1番手前がウチの部屋で、1番奥が琴音さんの部屋。

 1つ部屋が空いてるとはいえ、泣き声を抑えないと聞こえてしまうかもしれない。

 それで部屋を訪ねられて、この顔を見られるのはもっと辛いから。


「先生に勝てないのか.......」


 想いを伝えなかった自分が悪いんだけど。でも、言わなくても伝わるって思ってた。いつかは気づいてくれるって。でも、稜くんにとってウチは対象じゃなかったのか。全くそんな素振りを見せてくれなかった。

 勇気を振り絞った時には、もう遅かった。

 その時には、稜くんの中に先生がいて――


 悔しいよ。先に想ってたから何があるとかは無いと思うけど。でも、やっぱりウチのが先に想ってたんだよ?

 想いの大きさだって負けないはずなのに、とか。色々思っちゃうんだよ。


 奥歯を強く噛み締めて、声を抑える。枕に顔を埋めて、涙を零す。

 こんなに好きなのに。ウチはどうすればいいんだし!

 好きな人に好きな人が出来た。きっとそれはウチの力だけではどうすることもできないことだ。

 でも、この気持ちはどうすればいいの?

 好きな人に恋人が出来たからって言って、この気持ちが消えてなくなる訳じゃない。

 薄れる時もあるかもだけど。ウチは稜くんの笑顔を見る度に、言葉を交わす度に、より一層惹かれている。


 この想いはどこにぶつければいいの?


 どれだけ堪えても、嗚咽が止まってくれない。それにつられるように、声も大きくなっていく。

 涙に濡れた枕が冷たい。

 今日、この枕で寝るのかと思うと。それは少し嫌な気がする。だけど、そんなことを言っている余裕はない。

 埋めた顔を少しでも上げれば、声が洩れてしまうから――


「そんなに悲しいの?」


 そんな時だ。蝶番が軋む音と同時にそんな声が投げかけられた。言の葉は優しく、声の音は穏やかに、ウチの部屋に入ってくる。


「何してるんですか、綾人さん」

「そんなにすすり泣く声が聞こえたら、反応せずにはいられないよ」


 嘘!? 聞こえてた!?


「そんなに悲しい?」

「わかんないです。でも、稜くんに先生という相手がいると分かったら。いてもたってもいられなくて.......」


 涙ながら、嗚咽を交えながら。ウチは綾人さんに言った。ここが男子禁制の女子部屋のある場所だということを突っ込むよりも前に。ウチは心の内を吐露していた。


「そっか。本当に好きだったんだね」

「嘘の好きなんてないし」

「その気持ちはよく分かる」

「なんで綾人さんが分かるんですか」


 そう言えば、前もそんなことを言っていたな。ウチの気持ちが分かるって。


「座っても?」


 入口に立ちっぱなしだった綾人さんが、ベッドを指さして訊く。涙にまみれた顔を見られないように、枕に顔を埋めたまま。ウチはゆっくりと首肯する。

 ありがと、と短く告げてから。綾人さんはベッドに軽く腰をかけた。


「僕はね、琴音が好きなの。でも、琴音は海斗のことが好き。琴音が海斗を好きになる前から、僕は好きだった。天真爛漫で、自由奔放で。でも、芯のある彼女が僕は好きなんだ」


 部屋に敷いたピンクのカーペットに視線を落としたまま、綾人さんは言葉をこぼす。

 熱の篭った言葉は、ウチの胸にじわっと染み渡っていくのが分かった。


「どんなに強く想っても、きっと琴音は振り向いてくれない。だけど、今日。稜くんの口から、海斗に大事な人が出来たって聞いて。喜ぶ自分がいた」


 拳を強く握りしめ、綾人さんは静かに語気を強めた。隣の隣の部屋にいるであろう琴音さんに、言葉が届かないように。配慮しているのだろう。


「これで勝てる。そう思ったけど、琴音が切ない表情を浮かべたんだ。あぁ、結局勝てないのか。そう思ったよ」

「.......」

「今置かれた立場はちょっと違うかもしれない。だけど――」


 そこで言葉を切ると綾人さんは、深く息を吐いてから。弱々しい笑顔を浮かべた。


「好きな人との恋が実らない辛さとか、そういうのは全部知ってるから」


 それだけ言うと、綾人さんはベッドから腰を上げた。ゆっくりと立ち上がった綾人さんは、そのままウチの方へと近づいてくる。


「ウチって魅力ないのかな.......」


 自然と口をついた。心の中に漠然とあった思いが、綾人さんの想いを聞いて。こぼれ出した。


「そんなことはないよ。亜沙子ちゃんの頑張りは知ってるし、こんなにも一途で真っ直ぐな子が魅力ないわけがないよ」


 ウチの言葉を受けた綾人さんは、慈愛に満ちたような声音で言いながら。ウチの頭にポンっと手を置いた。

 夏休みということもあり、今日はいつものようにお団子ヘアーをしていない。後ろで1つに纏め結っているだけだ。

 そんなウチの頭を何度かぽんっ、ぽんっ、とする。


「それはずっと見てきた僕が保証する。亜沙子ちゃんはとっても魅力的な人だから」

「じゃあ、どうして稜くんは.......」

「気づかなかった稜くんが悔しがるくらい、いい女になってやればいい。後で縋りついてくるかもだよ?」


 いたずらっぽい笑みを浮かべた綾人さんを見て、思わずウチも笑ってしまった。

 そんなことをしても、稜くんが振り向いてくれるとは限らない。でも、似たような境遇の人がいて、似たような感情を抱いていて。その人が必死に前を向いて

る姿が眩しくて。

 そうすれば、いつの日か。稜くんが隣に立ってくれるような気がして。

 ――笑っていた。


「亜沙子ちゃんは笑ってる方が似合ってる」


 いつの間にか。枕から顔を上げていたウチを見て、綾人さんはニッコリ微笑んだ。

 涙にまみれた顔を見られたことが恥ずかしくて、ウチは分かりやすく顔を紅潮させた。そして、それを隠すように。ウチはまた、枕に顔を埋めた。


「じゃあ、僕は戻るね」

「ありがとうございました」


 篭った声で返すと、綾人さんの笑い声が部屋に響いた。

 いつの間にか涙は止まっていた。悲しい気持ちが消えた訳では無い。どうして、先生を選んだの?

 その気持ちも無くなったわけではない。

 だけど、それよりも。同い年だから、同じみなが荘に住んでいるから、と胡座をかいて何もしなかった自分を見直す。そして、稜くんを振り向かせてやる。

 その意欲が強く出ていた。

 遅いかもしれないけど。まだまだ勝負が終わった訳じゃないんだし。

 何かの拍子で、ウチを見てくれるようになるかもしれない。


 淡い期待かもしれないけど。

 極小の希望を持って、ウチは稜くんにアピールしていこう。

 そう決意を新たにするのだった。

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