第46話 「稜くんのことは凄く好きだから」
「どういうこと?」
「深い意味はないんだけどね」
俺の返しに。夢叶は先ほどの真剣な眼差しはどこかへ置いて来て、おどけたような態度を見せた。
でもこれが夢叶の本心じゃないってことは、付き合ってまだ日の浅い俺でも分かった。
ずっと好きで。半年、夢叶を見てきたんだ。これくらいの誤魔化しでは、俺の目を誤魔化すことは出来ない。
「そんな訳ないじゃん。夢叶がそんな顔するときはいつも何かある」
この間、俺が社会科準備室に行った時も。今日、バス停で低く渋い声を聞いた時も。
きっと、何かあったんだ。俺が知ることの出来ない何かが。でも、夢叶はそれを俺に教えてくれない。
どんなに真剣に聞こうと思っても。彼女がそれを話してくれないから――
「そ、そんなこと」
今。こんな楽しい場所に来て言うべき台詞じゃない。そんなことは分かっているけど。逃げるように、誤魔化すように、曖昧な表情を浮かべる夢叶は見たくないから。
「何でもいい。どんなことでもいいから。ちゃんと言ってくれよ」
「わ、わかってるよ?」
「わかってないよ。俺ってさ、そんなに子どもで頼りないかな?」
こんな台詞を吐いてる時点で子どもなんだろうな。それは理解出来てるんだ。でも、真意を隠して話されてるのがわかってしまうから。それが辛くて、耐えられなくて。
だから口から出てしまった。
すると、夢叶はまた曖昧な表情をこぼした。そして、歩く足を止めた。
「そんな事ないの。稜くんのことは凄く好きだから」
「じゃあ、もっと色々話してよ」
流れるプールで立ち止まる俺たちに。水温より冷たい視線を送ってくるほかの客たち。そんなことを気にせず、俺たちはただ見つめあって言葉を交わす。
「心配掛けないようにって思ってたのに。逆になっちゃったね」
「ほんとに。言ってくれない方が余計に心配になる」
真正面に向い合い。こんな言葉を放つのは恥ずかしい。俺は少し視線を逸らしながら言うと。夢叶は流れるプールを少しだけ逆走して、俺に抱き着いた。
周りからより一層冷たい。プールの水、凍っちゃうよ、ってレベルの極寒の視線。
まぁ、そうだよね。プールで抱き合ってるカップルとか見つけたら、リア充爆発しろよって思うやつが大半だよね。まぁ、ここに来てる人たちってだいたいリア充だと思うんだけど。
「ね、ねぇ。夢叶?」
でも、流石にこのままの状態は俺も恥ずかしい。
ってのは建前で。パーカー越しとは言え、胸が当たってて、水に濡れ肌が透ける腕で俺の体を絡められて。理性が保てそうにない.......。
「なぁに?」
「そろそろ離れた方が.......」
寂しい気持ちが無いといえば嘘だが。それ以上に、こんな人前で欲情したり。侮蔑にも近い目で見られ続けるのは辛い。
「そ、そうだね。ごめん」
自分のしていた行動が如何に恥ずかしいものだったのか。理解が追いついたらしい。夢叶はプールの中にいるにも関わらず、ゆでダコも驚く程に顔を真っ赤にして。
熱中症になってもこんなに顔は赤くならないぞ。
いや、まぁ。なったことないからわかんないけど。
「只今より、
密着させていた体が少し離れる。だが、それで傍から見れば近いと思われるだろう、という曖昧な距離で。
黙っていると、不意にそんなアナウンスが流れた。
「波が起こるんだって。どうする?」
アナウンスを聞いた夢叶が、恥ずかしさからか、まだ目を合わすことをしないまま。静かに訊いた。
周囲に目をやると。流れるプールにいた人たちが次々とプールから上がり、皆揃って同じ方向へと歩いている。
そして、その先にあるのは入った時に1番に目がつくプールだ。奥に行けば行くほど深くなり、手前は足首程度もない浅さ。子どもが浅瀬で、大人は深いところで遊ぶただのプールだと思っていたが。
どうやら違うようだ。
「どっちでもいいよ。夢叶は行きたい?」
「んー」
俺の問いに。夢叶はようやく顔を上げて、周囲を見渡す。まだ赤さは治まってはいない。だが、まぁ暑さと言えば誤魔化しが効く程度にはなっただろう。
眉間に皺を寄せた夢叶は、顎を手で摩りながら唸り声を上げる。
「行きたい気持ちがないわけではないけど.......人も多いしなぁ」
「人多いのは苦手?」
「まぁ、好きか嫌いかで言えば嫌いだけど。それよりも稜くんが――」
「ん? 俺がどうかした?」
「稜くんが人多いの嫌いじゃないかなって」
「どうし.......」
そこまで言いかけて思い出す。俺がここに来てから言った台詞を。
ウォータースライダーに乗りたい、と言った夢叶に。俺は人が多い、と告げたんだ。
暑いなか半裸で水の外で待つ、ということが嫌だと思っただけだった。だが、夢叶には最初の部分を端折って伝えていた。それゆえ、夢叶と俺の間に
全部、ちゃんと伝えて欲しい。そう言っていた俺が、全部を伝えられていなかった。
「ごめん、そういうことじゃないんだ」
短くそう言い放ち。俺は夢叶の腕を取った。
「えっ」
驚きの声と共に、夢叶は俺の顔と掴まれた自分の腕を交互に見る。
その様子が可愛くて。思わず笑みがこぼれた。
「いこっ」
そしてそのまま流れるプールを出て、俺たちは造波プールへと向かった。
そこには既にたくさんの人が居り、プールに入るのすら苦労するレベルだ。
「人多いけど大丈夫?」
手を繋いだまま、プールの奥へと入っていく。その途中で、夢叶は心配そうな声色で訊いてきた。
なんだよ。結局俺が、心配掛けて。不安にさせてんじゃねぇーかよ。
あれだけ偉そうなことを吐いて。こんなことしてるうちは、子どもだって思われても仕方ないよな。
情けなさや、不甲斐なさ。そんなものを強く感じながら、俺は夢叶の腕を引く。
「大丈夫。苦手ってわけじゃないから」
「え、そうなの?」
「うん」
俺の答えが少し意外だったのだろうか。夢叶はいつもより、ほんの少しだけ高い声で驚きを口にした。
プールに中腹までやってくると同時に、人工的に波が起こされる。
ガバッとやってくる波の高さは恐らく50センチ程だろう。だが、それでもその場で耐えきることが出来ず、後方へと流される。
「あはは、これ凄いね!」
隣にいる夢叶も同様に少し後方へ押されている。楽しげに笑いながら、元の位置に戻らんとする。
「凄いな。てか、津波の恐怖ってのを改めて理解した気がする」
「おぉ! 稜くんにしては勉強熱心!」
「にしては、ってのは余計だ!」
そんな軽口を叩いていると、第2波やってくる。前の人が波に攫われるように、少し体を浮かせてから後方へと流れてくる。
波は勢いを落とすことなく、俺たちの元までやってくる。夢叶はそれを覚悟してか、目をキュッと閉じる。
そんな怖いものでもないだろ。
そんなことを思っていると、波に体の主導権を奪われたように。体を少し浮かし、後方へと流される。それと同時にパーカーの奥にある胸がたゆん、と揺れているのが視界におさまった。
よかった、パーカーあって。無かったらマジで、ガン見だよ。何回も言うけど、いやらしい気持ちなんてないよ。そういう年頃だから。そういう事だよ。
「楽しい!!」
そう言う夢叶の声は、嘘偽りなく。心からの言葉のように思えた。
それから何回か波を受けると、造波タイムが終わったことを知らせるアナウンスが流れた。
それと同時にプールの点検を行うため、一時的にプールから上がるように指示される。
「ごめん、夢叶」
「何が?」
「せっかく夢叶とプールに来てるのに、並んで時間を過ごすのが嫌だったから。人多いとか言っちゃって」
「うんん! 別に気にしてないよ!」
プールから上がり、日陰で点検が終わるのを待つ。
手をヒラヒラと蝶々のようにはためかせながら、夢叶はそう言う。その姿ですらも可愛らしくて、あどけなくて。俺の彼女はやっぱり最高だよ。
「とりあえずさ、ウォータースライダーの方へと向かっておこうか」
「そ、そだね」
再開と同時にウォータースライダーに並べば、少しは並ぶ時間が短縮されるだろう。そう考えたのだが、皆考えることは同じらしい。
ウォータースライダー近辺にはまでたどり着くと、人が沢山いた。
「人、いっぱいだね。後回しでもいいよ?」
「いや、いいよ。ずっと後回しにして、最後出来なかった、とかになっても嫌だし」
そうなって夢叶の悲しい顔を見るのは辛い。そんなことを思っていると、プールの点検が終了したことを告げるアナウンスが流れる。同時に、大量の人がウォータースライダーに雪崩込む。
「あはは、こうなっちゃったね」
夢叶はその様子を見ながら、苦笑気味に言った。まぁ、仕方ないよな。だいたい中学生が勢い任せに駆けていくよな。
「いいよ。さぁ、並ぼ?」
「うん」
ウォータースライダーの出発点に行くための階段に上り、出発点から続く列に並ぶ。
「それでさ、夢叶」
「何?」
「さっき言ってたバスケ部ってのはどういう意味?」
「バスケ部の顧問は私がしてるんだけど、経験者じゃないし、教えることが無理だから外部コーチに来て貰ってるの」
訊いた質問とは少し違う語りが始まった。少し眉をひそめてしまったが、夢叶に気づいた様子は無く語り続ける。
「それでね、そのコーチに言われたの。もし、圧倒的な視野とセンスを持つガードがいれば全国と夢じゃないって」
ほほぅ。ここに繋がるわけね。
「それが俺ってこと?」
「まぁ、そうなるね。実際堂林くんも稜くんを推してたわ」
「堂林くん?」
聞いたことあるような、聞いたことないような名前をオウム返しすると。夢叶はハッ、とした表情を浮かべてから慌てて口を開く。
「バスケ部の人よ。球技大会で稜くんも対戦した、あの異様に体が大きい人」
「あぁ、あの人か」
説明を終えた夢叶は、まるで浮気の疑惑を晴らした後のように。ふぅー、と深い息を吐いてパタパタと手で顔を仰いだ。
いや、最初からそこは疑ってないんだけどね。
「バスケはやったことないし。今から素人が入ってもきっと邪魔になるだけだよ」
前の人が大きく進む。俺たちもそれに倣って前へ進む。
「そんなことないよ。稜くんなら直ぐにレギュラー取れるよ!」
「それが嫌なんですよ」
中学時代の”ある思い出”が脳裏を掠めて。俺は苦虫を噛み潰したような表情が表に出てしまったのが分かった。それを隠そうとするも、苦く重い思い出は上手く隠すことが出来ず。夢叶の顔はみるみる心配一色になる。
「ご、ごめんなさい」
「気にしないで。でも、夢叶にそんなふうに言われると、すっげー嬉しい」
嘘じゃない。本気の本気。俺の偽りのない想いを笑顔に乗せて伝える。
「うん」
それでも、先ほどの表情を払拭することは出来ない。夢叶の言葉には表情には、重たいものが残っているように感じた。
俺は満面の笑みを意識して浮かべ、夢叶のおでこにバチーンとデコピンを食らわせてやった。
「大丈夫だって、言ってるだろ。それでさ、バスケ部行ったら夢叶がいるんだっけ?」
「いたーい!」
俺がデコピンを食らわせてやった、そこを手で擦りながら。分かりやすく口先を尖らせて、夢叶はジト目で俺を見て言う。
「一応毎日顔は出してるよ」
「じゃあ、夢叶に会えるってことだろ?」
「ま、まぁ。会えるって言えば会えるけど」
「じゃあさ、とりあえず見学からでもいいか?」
昔の記憶は、思い出はそう簡単に消せるものじゃない。でも、それを乗り越えるためには、それに向かわなければならないのも事実だから。
その1歩を踏み出すために、そう聞く。すると、夢叶は少し明るい色を取り戻した表情で、うん!と頷くのだった。
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